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VCは、大学に何をもたらすのか?早稲田大学の決断から考える、資金獲得だけではない大学発VCの役割と可能性。

大学発ベンチャーキャピタル(VC)は、大学の新たな財源確保の手段として、またイノベーションを産む場として注目が集まっています。これまでは政府が出資して国立大学で設立されるイメージが強かったのですが、私立大学でも慶應義塾大学に続き、早稲田大学で大学発VCが設立されるようです。

いきなり余談なのですが、先日、発売した月刊中央公論2月号に寄稿する記事の執筆のため、数ヶ月前に早稲田大学の田中総長を取材しました。そのとき、「学費を使うのは、教育機関としての大学に対してであり、研究機関としての大学は、それとは別に資金を得る必要がある」という話を聞きました。学費というものをそう捉えるのか…と思い取材をしていたのですが、今回の記事を読んで、あのとき総長の頭のなかには、すでにどのように資金を得るのかが具体的に描かれていたのだなと感じました。

閑話休題。研究の価値を計る考え方の一つに、社会や私たちの生活にその研究が貢献しているかどうか、というのがあります。もちろん、これだけですべての研究を評価することはできないのですが、一般人としては理解しやすく、大学としてもプレゼン効果が高いので、こういった視点を重視するところは少なくありません。

それで、今回の大学発VCの記事を読んでみて、本当に大学の研究を社会に活かしていくのなら、VCのような取り組みは不可欠なのではないかと思いました。というのも、多くの場合、大学の研究成果の社会実装は、産学連携等を経て企業の手によって行われます。そうなると、研究者は研究シーズを棚に並べるまでが自分たちの仕事であり、その先は企業がやってくれるだろうという意識に当然なっていくように思います。

研究者なのだから、これはこれでいいようにも思うのですが、研究成果を活かして社会に貢献することを真剣に考えるなら、研究成果がどのようにして社会に届くのかを理解し意識したうえで研究するのが大事なようにも思います。だけど、理解しろ、意識しろ、といっても、そうそうできることではないはずなんですね。だって、そのフェーズに関わっていないわけですから。

大学発VCは、これら研究シーズが市場に出るところに、大学がより直接的に関われる一つの装置です。研究成果を事業化するという一連のプロセスを体験すると、研究に対する考え方に大きな変化が出る可能性は高く。また、自ら事業を起こさなくても、間近でやっている人を見聞きしたり、やろうと思えばより能動的に社会実装できるという選択肢が身近にあるという事実があるだけでも、研究者の意識は知らず知らずに変わっていくのではないでしょうか。とくに大学院生やポスドクといった、研究者としての立場やスタンス、キャリアが固まっていない人にとって、こういったものが身近にあるのは非常に刺激的なように思います。

このように、大学発VCは大学に新たな機能を付与するだけでなく、大学の研究風土を変えるきっかけになるようにも思えます。風土というのは、すぐさま変わるものでもないし、変わったところで、すぐそれが結果に結びつくものでもありません。でも、ゆっくりとしか変化しないのであれば、先の先を見据えて早めに手を打つことが肝要です。今後さらに少子化が進むわけで、多くの大学が教育機関としてだけでは成り立たなくなるのは明白です。研究からより多くの資金を得られるようになるために、VC設立は大きな決断ではあるものの、必要な決断なのかもしれません。

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