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雑学マニアの雑記帳(その5)つぎ足し

2000年の7月に沖縄県名護市の万国津梁館で開催された主要国首脳会議(沖縄サミット)の晩餐会では、出席した首脳の平均年齢(56.7歳)に合わせて泡盛の古酒をブレンドして首脳たちに振る舞われたそうだ。沖縄では古来、泡盛の古酒が盛んに造られて来たが、沖縄戦の際にはそのほとんどが失われてしまった筈である。サミットの際には、なんとか古酒を探し出してきたものと思われるが、よくぞ残っていたものである。
さて、この泡盛古酒であるが、単に泡盛を瓶などにいれて長期保存しておく訳では無いようだ。長期間保存しておくと、どうしても風味が損なわれていくらしい。そこで、数十年ものの古酒を熟成させていく際には、「仕次ぎ(しつぎ)」という処理が行われるのだ。
まず、熟成用の瓷(かめ)をいくつか(図の例では4個)用意する。最初にそれぞれの瓷に新酒、あるいは若い古酒(例えば5年もの)を満たす。そして、例えば1年後に4番目(右端)の瓷から全体の数%程度の古酒を汲み出して楽しむ。そして、汲み出した分と蒸発などによって失われた分の古酒を3番目の瓷から補充する。同様に3番目の瓷には2番目の瓷から補充し、2番め目の瓷には1番目の瓷から補充する。そして最後に、1番目の瓷には、新酒あるいは若い古酒を補充してやる。こうすることで、単に熟成して古くなっていくだけでなく、常に若い泡盛のエキスが補充されることになり、味わいに深みが出て来るのだそうだ。

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実は、同様のアイディアが海の向こうでも実践されていた。スペインのシェリー酒は、樽で熟成させた上で出荷されるが、熟成の際には「ソレラシステム」と呼ばれる方式が採用されている。図にあるように何段か積み重ねられた樽を利用して、泡盛の仕次ぎと同様に一番下の段の熟成酒の一部を取り出して出荷した後、順々に一段上の樽から補充を行う。この方式によって、年度毎に異なる品質の均一化が図れるといったメリットもあるという。
洋の東西において、類似の熟成システムが確立されていたというのは非常に興味深い。単純に長期間熟成したものと、これらのシステムによって熟成したものの味わいを比較してみたいものである。
さて、このように「つぎ足し、つぎ足し」を行うと聞くと、思い出すのが「鰻屋のタレ」である。グルメ番組などで鰻店が紹介される際、決まって紹介されるのが蒲焼きを作る際に使用する「タレ」である。曰く「先代の頃から50年以上、つぎ足し、つぎ足しで来ている」のだそうだ。
「それは素晴らしい!」と納得したいところであるが、その前に科学のメスを入れてみなければならない。1年熟成タレと50年熟成タレにどれ程の違いがあるのか、検証しなければ、本当に凄いと断言する訳にはいかない。
ここで仮に、たれを壺に10リットル入れるものとしよう。そして毎日蒲焼きを焼く際に鰻をこの壺に沈めて炭火に掛ける訳だから、当然その分のタレが消費される。仮に2リットル消費されるものとしよう。そして、翌日にはその分の2リットルの新しいタレを補充するものとする。2日目開始時点では、補充後に十リットルとなったタレの中に、初日に仕込んだタレは8リットル残っている計算になる。その後、毎日同様の操作を繰り返したとすると、初日に仕込んだタレは、どの程度残っているのかを計算してみよう。結果は、次の表の通りとなる。

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30日後には15ミリリットル、90日後には10万分の2ミリリットルとなる。つまり、3ヶ月後には、当初のタレは殆ど無くなっており、完全に中身が入れ替わっているといえる。従って、それ以降は理屈の上ではタレの熟成具合に変わりはなく、3ヶ月モノでも1年モノでも50年モノでも変わりがない、という結論だ。泡盛やシェリー酒のつぎ足しは一年に一回程度しか行われず、しかも一回に取り出される量は全体の数パーセントであるのに対して、うなぎの方は(今回の計算例では)毎日20パーセントのつぎ足しと大量であり、つぎ足しの頻度も毎日と頻繁であるので、こういった違いが出て来るのだ。
もっとも、この結論をもって50年間つぎ足し続けてきたタレの価値にケチが付くこともないようだ。この手のタレは、充分な加熱殺菌を怠れば腐敗が進んで使い物にならなくなるのだそうだ。焼いている途中の熱々の鰻をタレに浸すことにより、タレの温度が上がる。毎日相当数の鰻をタレに付けることによって、低温殺菌に必要な温度と殺菌時間が確保されることになる。つまり、長年の間、毎日毎日店が繁盛して、かなりの数の鰻を焼き続けることによってのみ、熟成タレが腐敗せずに活躍できるということらしい。真偽の程は確かめられていないが、一理ある話である。それだけ顧客に評価され続けているという意味では、長い間使い続けているタレは、誇るべきものであるのかもしれない。
ただし、味に関しては、前述のように比較的短いサイクルでタレの中身が総入れ替えになるのであるとすれば、何十年もの間の熟成というのは、あまり意味をなさない。むしろ、潔く宵越しのタレは使わずに、「うちの店は、毎日新鮮なタレを使用しています。決して前日の残り物など使いません」などと謳った方が、個人的には魅力に感じる。和食の名店で「鰤の照り焼き」を作る際に、何日も前から熟成させたタレなど使わずに良い味が出せていることを思えば、熟成に拘る必要はないと思うのだが…


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