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ヴィジュアル系インサイドセールスが書く「ホッとする」ノート:家族との絶縁

このnoteは、2020年5月8日に配信した「ホットリンクのメルマガ」のバックナンバーです。メルマガ講読フォームはこちらhttps://service.hottolink.co.jp/mailmag/

こんにちは。ホットリンクのヴィジュアル系インサイドセールス、堤です。



もうすぐ、母の日ですね。
私は毎年、母の日は実家に花を贈っていますが、花が好きな母はとても喜んでくれています。



今回は私と母親、そして家族の話を書こうと思います。



以前に配信し話題にもしていただけた、「ガリ勉男子高校生、化粧に目覚める」



その後の私と、家族の話です。



とても個人的な話ではありますが、続編としてお読みいただけたら嬉しいです。



これは、高校卒業と同時にそれまでの人生を捨てた私が、再び家族と向き合うまでのお話・・・。




高校生の時に心を壊し、家族との関係が壊れてしまった私は、高校卒業と同時に家を出ました。



当時の私は、高校で様々な問題が起こった時に、誰も救ってくれなかったと感じてしまい
学校、社会、そして人間そのものに不信感を募らせていました。それは親に対しても同様でした。



「誰も信じる事ができないなら、自分を信じるしかない」



そう心に決めて、卒業式の日に校門を出た時、私はもう2度と地元には戻らないつもりだった。
実際そこから長い期間、一切家族との連絡は取らず、事実上絶縁状態になりました。



1人で生きる事の大変さを何も知らなかった私には、その後様々な困難がありました。
社会的な手続きや、そもそもの生活の問題・・。



バンドのメンバーや友人の家に泊まらせてもらったり、バンドが所有している機材車に寝泊まりしたり・・
そんな生活を送っていました。



冗談のような話ですが、本当にお金がなすぎて食べ物が買えず、1食がふりかけを舐めるだけ、そんな時もあったくらいです。



・・・お腹が空いた・・・温かい布団で眠りたい・・・家に帰りたい・・・



何度もそんな気持ちになりましたが、必ずそれをかき消すように、高校生の時の忌まわしい記憶が蘇りました。




毎日、吐き気のする朝、僕は俯きながら、重たい足取りで校門へ向かっていた。



「女みたいな見た目で気持ち悪いんだよ!!」
・・・僕を迫害し続け、集団で暴力を振るった同級生達・・・

くだらない争い、友達ごっこ、立ち向かえない日々・・全てがくそ食らえだった。



「そんな子に育てた覚えはない!!」
・・・成績の悪い僕は認めてくれなかった母親・・・

自慢の息子、愛してる、いつだって味方だからね・・今までのそんな言葉、全て嘘だと思った。



「音楽でプロになんてなれる訳がない」
・・・僕の夢を全否定した、死んだ目の大人達・・・


あいつらの思い通りになんかならない。僕が思い描く奇麗な世界は、ここには無い。
それならば・・・音楽の力で理想の世界を作ってやる・・!!



以前にも書きましたが、ほどなくして私はMIYAVIさんに弟子入りする事になり、食事や寝泊まりもかなりお世話になっていました。
自身のバンドの活動が軌道に乗ってからも、メンバーと共同生活をしてなんとか生活をやり繰りする日々でした。



全国ツアーから帰ってくると電気が止まっていたり、お湯が出なかったり・・・。
その生活はかなり過酷でした。



それでも全身全霊でバンド活動に取り組み、次第に私はヴィジュアル系シーンで名前が知られるようになっていきました。



憧れのバンドとの共演、CDのリリース、ワンマンライブ、全国ツアー、雑誌やラジオ、テレビといったメディアへの露出、カラオケ配信・・・
私とバンドの仲間達は、次々と夢を叶えていきました。




私には中学の同級生に親友がいます。彼は、私の夢を応援してくれ、定期的にライブにも足を運んでくれていました。
元々よく、私の実家に遊びに来ていたので、私の家族とも面識があります。



彼はいつも、私と家族の関係を心配していました。



「お母さんは大丈夫なのか?連絡した方が良いんじゃないか?こんなにたくさんの人に応援されるようになったんだ。きっと知ったら喜ぶよ」



しかし私は、親には音楽の道を強く反対され、強引に押し切る形で実家を出てきました。
今の状況を知ったところで、私の夢を否定するだろうと思いました。



高校生の頃にヴィジュアル系のバンドを始めた時、「男が化粧なんて気持ち悪い」「やっぱりあいつ頭おかしいんだ」
そんな事を言う人も周りにはいました。



自分が大好きな事、命賭けで努力している事を否定されるのだけは許せなかった。
だからそういう人と関わってしまうと冷静でいられなくなるのが嫌で、なるべく避けるようにしていました。




それから私が初めて親に会ったのは、何年も経ってからでした。
父親の仕事の関係で、実家に様々な問題が起こり、どうしても私が会うべき状況でした。



中学生までの楽しい想い出と、高校時代のトラウマが残る、田舎の私の地元。
様々な感情が交差しながら、かつての私とはまるで変わった風貌・・・長髪、派手な髪色、ロックバンドマン然とした姿で、私は実家に帰りました。



そんな私の姿に、両親は驚いた様子はありませんでした。
むしろ驚いたのは私の方でした。



実家には、私のバンドのCDやポスター、「SHOXX」「Cure」「FOOL'S MATE」といったヴィジュアル系バンドの専門誌がたくさんありました。



・・・え・・・どうして・・?



母親が泣きながら、私に言いました。
「貴宏おかえり・・本当に夢を叶えたんだね・・。CD毎日聴いてるよ。ずっと、会いたかった・・」



私は知らなかったのですが、親友が情報を伝えていて、両親は私のバンドのCDは全て買い、掲載されている雑誌も全て見ていたのです。



母親は何度も何度も、高校生の頃の私を理解しなかった事、追い詰めてしまった事を悔やんだと言いました。
初めて、息子が上手くいかない状況になり、どうしたら良いか分からなかった。自分が未熟だった、と・・。
私も大人になり、その気持ちは理解できるようになっていたので、心配をかけてしまった事を謝りました。



それから、食事をしながら、これまでどんな事があったのか、お互いの事をたくさん話しました。
そして両親は強く、一度私のライブに行きたいと言いました。迷惑になる、嫌がられると思い行けなかったとの事でした。



私はライブに両親を招待しました。



ワンマンライブ。超満員の会場には、私のバンドのファンの方達、共に駆け抜けてきたバンドのメンバー、戦友であるスタッフ達・・。
私が愛する人しかそこにはいません。



見て欲しい。これが、僕が思い描いた理想の世界。争いや偽りのない、奇麗な世界・・・。



客席の照明が落ち、オープニングSEがかかり、ステージ袖でバンドメンバー、スタッフと共にいつものように円陣を組みます。
細かい曲構成や演出の最終確認をし、全員の気持ちを一つにまとめます。「さあ!いこうか!!」



ライブがスタートし、僕は演奏をしながら昔の事を思い出しました。



高校生の時、部屋にこもりヘタクソなギターをずっと練習していた。
当時母親は、僕がプロになんてなれる訳がないと言った。



母さん・・この音が聴こえるか?あなたにずっと、聴いて欲しかった。
僕はあれから必死に・・必死に戦ってきたんだ・・!!



プロとして正しかったのかは分からない。その日僕は、両親と自分自身の為だけに演奏した。



ライブは大成功に終わり、終演後の楽屋にも両親を招待しました。



「貴宏をお願いします・・・!!」



母親がメンバーやスタッフにそんな事を言って回り、私も「もうやめてよー!」などと
笑い交じりに止めたりと、とてもロックバンドのライブ後の楽屋とは思えない、和やかな雰囲気に包まれました。



この日を境に、両親は私のバンドの大ファンになってくれ、ライブにも定期的に来てくれるようになりました。



「音楽の力で理想の世界を作る」



そんな夢がまた一つ実現できた気がして私はとても嬉しかった。
大好きな両親とまた、気持ちを一つにする事ができたのだから・・・。




あれから何年経っただろう。
私はビジネスの世界で、また夢を追っている。



そんな私の姿を、両親も喜んでくれています。
また髪の色がピンク色になった時は「仕事辞めたの!?」と驚かせてしまったけど・・・。



幼い頃、両親がたくさんの教育の機会を与えてくれたからこそ、
私は大脱線した人生を軌道修正できたのだと思う。



今、大人になりたくさんの事を理解できるようになると、両親への感謝は尽きない。
本当にありがとう。



もうすぐ、母の日ですね。



世界は今までとは大きく変わり、今年は会えないかもしれない。
でも僕たち家族は繋がっている。



また、お互いの事をたくさん話そう。



家族だけじゃない。



世界は分断されたけど、僕たちは繋がれる。
今こそ、新しい理想の世界を作る時だと信じたい。


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