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全世界敵!自分も人も信用できなかった私が本音を伝えて愛されるようになった話

はじめまして!

全世界が敵だらけ
自分も人も信用できなかった私が
本音を伝えて愛されて人生が激変した
堀田かおりです。

突然ですが、
あなたにとっての世界は”どんな世界”ですか?


実は数年前まで私の世界の認識は
”敵だらけ”でした。


当時のことを思い出すと
いつも真っ暗闇の中にいるような心境。
自分の短所を克服したり、
弱味を隠すことばかり考えて生きていました。

そんな私が、

心の中に浮かんだ瞬間打ち消してしまっていた
感情や想いの本音をひとつずつ認めて、

目の前の相手への伝え方を
意図して変えていったことで

心が震えるような感動や喜びを味わえる天職や
本音で話せる大切な仲間に出会えて、
好きなことで独立起業し月商100万円達成したり、
尊敬するメンターからも信頼してもらえ
指名でお仕事を依頼されるなど
人生が激変していったお話を書いていきます。

まず簡単に私のプロフィールを書いていくと、

・影が薄く気配を消すことができる
 特技から「クノイチ(忍者)」と呼ばれていた。
→一度会えば必ず名前と顔を覚えてもらえるような存在。

・いつも小言ばかりで会うたびに喧嘩していた父
→「お前は普通の人とは違う、
 別格だから普通の人生を歩まなくていい」
と信頼してくれるように。

・やりたいこともないし
なんでもいいと思っていた仕事
→私自身も心から感動し喜んで感謝される天職に出会えて好きなことで月商100万超えも達成!

・元人見知り話し下手
→コンプレックスを克服して
 人前で話す事を仕事に。
 MC歴11年目(2024年現在)、結婚式や式典、イベントなど延べ500件以上の司会経験。

前田裕二さんやキンコン西野亮廣さん等
約800名規模の著名人イベント企画運営PRにも携わり、撮影会やトークイベントやセミナーなど主催。

人見知り話し下手を克服した経験と司会業の強みを活かして、自分の本音を言語化して伝えることで理想通りの人生を作るマインド講座やセッションを主宰。

こんな感じです。


お恥ずかしい話、昔の私って・・・大真面目に「頭痛と腹痛が友達です」とMIXI(メル友アプリ)に書いていたくらいネガティブだったので、

今では当時の話をしても、誰も信じてくれないくらい大変化を遂げました。

自分で言うのもなんですが、今ではその辺にはいないレベルで自分のやりたい事は全てやってきたし様々なことに挑戦するアクティブな人生を楽しんでます。


過去の私のように、

自分の中にもう一人の厳しい自分を作り上げて自分責めや我慢がスタンダードだったり、何をしたいのかどうしたら満たされるのか本音すらわからない、そんな女性の心を少しでも軽くしたい!

自分の可能性を、人生を、本当にやりたいことを、諦めないでほしい!

そんな思いで私のストーリーを赤裸々に書いてみました。

まず最初は、
私の今までの生い立ちや経歴や具体的にどんなステップを経て自分が変わっていったのかについて書きたいと思います。


少し長いですが、
できるだけ等身大に曝け出して書いていきますので、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。 

では、ここからが私の物語です。



1 欠けてる自分に気付いた幼少期

私は沖縄の小さな離島で、3人兄弟の長女として生まれました。

幼い頃の私の様子を母に聞くと「とにかく手がかからない」子。
何かを欲しがったり我儘を言うことはほとんどなく、絵に描いたような良い子だったそうです。

そのころの一番の楽しみは読書。
誰にも邪魔されないようにカーテンの中に隠れてひっそりと本を読んでるような大人しい子供。

自己主張や感情表現が苦手だったので保育園に通うようになった時あまりに喋らないので保母さんに、

「この子はもしかして耳が聞こえないんじゃないですか?」と母に指摘したほど。もちろん結果は「異状なし」だったのですが。


またある時は、

ほとんどの子供が大泣きする予防接種。

同じくらいの年の子はみんな泣き喚いてたのに私だけは注射の後も表情一つ変わらなくて、

ちょうど母が席を外してる間に注射が済んだので「まだ注射してないでしょ」と疑われてしまい、看護師さんに「娘さん、注射終わりましたよ、泣かなくて偉かったですね」と言われ唖然。

こんなこともありました。

小学校に上がった頃に妹と遊んでいる途中で急な大雨。急いで帰られなくてはと妹をおんぶしてダッシュした私。

もう少しで家に着くという目の前の階段で派手に転倒。背中に妹をおぶっているので手は離せず、顎から落下、3針縫う大怪我。

妹の泣きで気付いた母がドアを開けると階段は血だらけ。

そんな中で涙を必死に耐える私、一体なんの修行だったんですかね。痛みは覚えてないですがその時の記憶はうっすらあります。

泣いちゃいけない、迷惑をかけてはいけないと思ってたんですよね。

そんな幼少期を経て小・中学校になった頃、同じ学校には同級生で生徒会を務めるような明るい従兄弟達がいました。
私はどちらかというと、目立ちたくなくて息をひそめてるタイプ。この時点では、そんな自分自身のことをこのなんとも思ってませんでしたが、私の価値観が変わったのは祖母の存在でした。

私以外の二人の従妹は明るくて元気で自慢の孫。

でも私は人前に出ることすら苦手で、親戚の集まりでも恥ずかしくて挨拶すらできない。集まる行事の度に比べられて小言を言われました。

下の妹や弟も愛想がよいタイプだったので成長すると共に、今度は兄弟とも比べられて嫌味に拍車をかけて言われるようになり、そしてそれは母への嫌味ともなりました。

母からも毎回行事の度に

「今日はきちんと大きな声で明るく挨拶するのよ?私がおばあちゃんにまた怒られるんだから」と言われ、

これが、私は不足だらけの人間なんだ、私のせいでお母さんが怒られる、と自分を否定するきっかけだった気がします。


2 「○○○○は人生の損失」

中学校を卒業する頃、私は「高校生になったら必ずアルバイトをしよう!」と決めていました。

なぜかと言うと、うちはあまり裕福な方ではなく物心ついた頃から「お金がない」とずっと言われ続け、習い事もさせてもらったことがない。
両親からも「高校卒業したら大学なんて行かせれないから就職しなさい」と冗談半分で言われていて「今の学歴社会で高卒とかやばすぎる、自分でなんとかしなきゃ」と子供ながらに思っていたからです。

高校も、就職に有利そうな資格がたくさん取れる商業高校を選択。

ちなみに入学してすぐにアルバイトを始めたのは「貯金をする」そして「人見知りを克服」するためでした。

同い年の従兄弟との比較で「人見知りは人生の損失!」「ハキハキ話せない私はダメだ」とコンプレックスを抱えていた私。

このままでは私の人生マイナスのまま終わってしまう、なんとかしなくては!という一心で、アルバイトはあえて人と携わることが多い接客業。地元で一番忙しいスーパーに決めました。

配属先も食品コーナーのレジで、喧騒の中大きな声で「いらっしゃいませ」と声出しをしたり、商品の値段をお客様に聞こえるように読み上げたり、慣れないし恥ずかしいし、私にとっては嫌でたまらない地獄。

でも「劣等感」が強かった私は必死に日々をこなし、その甲斐があって半年も経つと仕事にも慣れ、友達もアルバイト先にできて楽しみで仕方ないと思うようになりました。


またこの時初めて人に必要とされる喜びを知ったので、アルバイト先が忙しくて人手不足のお店だったこともあり休みを返上して励むのが当たり前となりました。

平日は学校の後に閉店の22時まで働いて、土・日曜日は朝の9時から夜の22時まで働くなんてことも普通になり、

時給606円なのに(その頃の沖縄の最低賃金でしたw)扶養が外れそうになるくらい働いてました(笑)


その後、高校三年間続けたアルバイトと奨学金でなんとか学費を自力で賄うことができた私は親元を離れ、沖縄本島の学校に入学。

卒業後はなぜか「大阪で働く」と感覚的に決めており、学校のコネがある大阪の企業へ求人がなかったのに直談判で面接をしてもらえることになり採用が決まりました。



3 本音に蓋をして生きると決めた

高校時代アルバイト先では淡々と仕事をしていた私ですが、新卒で入った会社で早速壁にぶち当たります。

最初に配属された店舗は大阪本店でしたが、お客さんは口調も雰囲気も荒くてなんだか怖いし仕事も全く興味が持てず好きになれなかったんです。
モチベーションもなかなか上がらず悩む中、忘年会で上司に楯突いたことがキッカケで無視をされて仕事を教えてもらえなくなり居場所がなくなる事態から別の店舗へ異動することに(泣)

揉め事については鮮明覚えていて、上司が居酒屋のふくよかな女性店員さんにわざと聞こえるようなボリュームで「あの豚、焼いたろか」と暴言を吐いたことが許せなくて、社長やみんながいるの前で「Hさん、最低だと思います!」と説教したのでしたw言ったこと自体に後悔はしてませんが、今だったらもっとやんわり伝えてたはず・・^^;

その後も言動を誤解をされることが増えてからは必死に自分を殺して謙虚に仕事をする日々を過ごしていましたが、

ある日を境にパワハラが酷い上司に目を付けられてしまい、毎日罵倒されているうちに原因不明の発熱が2か月ほど続き、夜中に救急病院に運ばれるほど衰弱。そのことを相談したら…まさかここでも罵倒されてしまい説教中に気絶するという自体が起こりました。

真面目に人に迷惑をかけないように生きてきたはずなのに、新卒で入った会社でこんな状態になっている自分が不甲斐なくて悲しくて・・・当時は自分を責め続けました。

一度は、お風呂に水を貯めて命を絶とうとしましたがどうしても無理で、またそんな自分を責めました。

そんな時に手を差し伸べてくれたのが、"父"と当時付き合っていた"彼"です。


父が私の様子がおかしいことを母に聞き、電話で話した後に会社へ「退社」の連絡をしてくれました。

正直、当時は心も身体も限界。
でも自分からは怖すぎて言えなかったので甘えられて本当によかったです。

その後「実家に戻っておいで」と心配する父に、今ここで帰ったら負けた気がしてどうしても帰りたくない、と困っていたら当時の彼と同棲することになりました。あの時、この二人がいなかったら今の私はいないと思うので、めちゃくちゃ感謝してます。

その後の私は、自律神経を崩して鬱気味で心療内科にも通院。
1年くらい通ってましたが、どうしても自分責めをやめられなくて負のループから抜け出せないもがき苦しんだ日々を過ごしました。

その後、少しづつ回復していったので、短期のアルバイトからコールセンターで派遣として働き出しました。

ここに決めた理由は、自分にとって足りないと感じているコミニケーション能力の向上と口下手を治すため。
またしても仕事でやらざるえない状況に敢えて自分を追い込んで、コンプレックスを克服したいしようと奮闘するのでした。

その後も、やったことない仕事を経験したい、という思いと時給が良いという条件で3度目の転職先は営業事務の仕事で楽しく働いてましたが、

「仕事をよくサボる」男性上司の存在で雲行きは怪しくなります。

昔痛い目を見たので直接的に言葉にすることはなかったけど、態度に現れていたのか段々私への当たりが強くなり仕事も押し付けられるようになりました。
私は正義感が異状に強く真面目で曲がったことが大嫌いだったので、楽をしよう、サボろうとする人が許せなくて、はらわたが煮え繰り返るように怒ってました。


でもまたしても人間関係の雲行きが怪しくなったその時私が思ったのは

「誰にでもできるような仕事しかできてない私が悪い」そしてやっぱり自分の気持ちは表に出してはいけない・・・「本音に蓋をして生きる」ことをまたここでも決心のでした。


4 天職探しの旅

そこから私は今まで「給料と待遇がそこそこならなんでも良い」と決めていた仕事を「あなたにお願いしたい」と人から指名されるような仕事や存在になりたい!と天職探しを始めます。

今までとは全く違う目的での転職活動でしたが、よく考えたら圧倒的に職業に対する知識が足らなかったので、まずは世の中にはどんな仕事があるか?どの仕事が私にやりがいを与えてくれるのか?と調べました。

そんなある日、「習い事雑誌」の後ろにある職業一覧で着物の着付師と結婚式の司会者という仕事が目に留まります。その職業を選ぶ人が少ない点と責任が重い分きっとやりがいも大きいのでは?と。

この時は、ちょっと思い浮かんで候補の中のひとつにした程度でしたが、その数ヶ月後になんと私の地元の大親友が妊娠で結婚することになり、急遽私がレストランウェディングの司会をすることになりました。
今考えたらすごい引き寄せwww


当時は、正直、人前で話すのも得意ではないし不向きだと思ったけど、その時思い浮かんだのはあの雑誌と自分の「これかも!」という直感。

そこから親友の結婚式までは、強い責任感から台本を暗記するレベルまで読み込んで、何度もしつこく担当者に導線やタイミングなどを確認して当日の流れを完璧にイメージ。

大親友の結婚式なので終始号泣しましたが、マイクをもって話すときだけは気合で涙を止めて進行でき、感動の中幕を閉じました。


この時の経験から

「結婚式って嬉しい楽しい幸せなポジティブな感情でしかない!私はこんな空間に携われる仕事がしたい」

そう思うようになり本格的に司会者を目指し、スクールに通い始めたのでした。

いくつか見学や体験をして、私が所属をきめたのは大阪府内のスクール。

ここは事務所も一体化していたので司会の技術を学び、努力が認められたら所属でき、そのまま司会者デビューできる!という点が決め手でした。

そうして会社員を続けながら、最初は基礎コース半年間。発声練習や抑揚、声のトーン、話す間など司会者にとって必要な基本的なことを教わりました。

その後、イベントや式典やラジオ、結婚式など様々な現場に即したレッスン、並行して結婚式の司会者養成講座を受けた私はスクール卒業前に無事に結婚式の司会者としてデビューすることができました。

本格的にきちんとお金を頂いて、披露宴の司会をさせてもらった日のことは今でも忘れません。

2014年2月14日、美男美女のお二人でお互いにサプライズの演出を企画して感謝を伝え合う素敵なお二人♡
今でもその光景が思い出されるほど感動しました・・・泣。

ちょうどその頃、オーディションに合格し神戸FMMOOVというラジオ局で1時間のラジオ番組のパーソナリティーを1年間務めさせてもらう事にもなり、経験だけ羅列すると順風満帆に見えるのですが、実は内情は全然そんなことはありませんでした。

無事に司会デビューができて喜んでいたのも束の間、もちろんまだ出演料だけでは食べていけないし学び続けるためのレッスン料や交通費や衣装費など先行投資もあったので、

週5日間会社員をしながら夜など合間にアルバイト、その他にも練習とレッスンと打合せ、合間にも先輩方の現場の見学をさせて頂いたりと、

その時は「人より劣ってるならその分人の何倍も努力するしかない」とまだまだやらなきゃとばかり思ってたけど、数年間丸々のお休みはほぼなかったし、こうやって振り返ってみるとめちゃくちゃ頑張ってたな〜・・・・私。

なんだか・・・泣けてきます。


そして、レッスンに通っている時から感じてましたが、司会者ってみんな明るくてお話上手でクラスの人気者みたいな立ち位置の人が多かったんですよね。

冒頭にも書いたけど、私ってある程度克服してきたものの元々は人見知りだし口下手。
だからそんな陽キャの集まりのような人の中で頑張り続けるのは、本当にめちゃくちゃ大変でした。

レッスンの度に劣等感にまみれて「もう辞めたい」って何度も思ってた。

でも今までの経験で努力は絶対に裏切らないって知ってたから、どんなに落ち込んでも周りの評価が低くてもレッスンがない日も自主的に練習に通ったり、司会者は人の前に出て見られる仕事なので今まで適当だったメイクもヘアも勉強した。

その時もコテすら使ったこともなかった私にコテの練習やメイク道具を一緒に買いに行って色々教えて助けてくれた友人がいたり、

色々な人に新郎新婦役になってもらって打合せの練習をしたりと、

思い返せば、私は人に恵まれていたし、あの時の友達や仲間達がいなかったらデビューできていないかもしれません。

と、まあそんな感じでなんとか必死に頑張ってきた私だけど、そうしているうちに精神が擦り切れて限界を迎えます・・・。


デビュー後も定例の事務所の勉強会があり、レッスンの度にボスからの激しすぎる言葉の暴力で精神ボロボロに。元々人見知り話下手からスタートした私は、人の1000倍くらい努力しなきゃと思っていたけど、どんだけ練習してもダメ出しの嵐でさすがに落ち込みました。

デビューしてもアルバイトがない日は、事務所に行って練習。
ほぼ毎日通っていた事務所からの帰り道では、心斎橋の駅に向かうクリスタ長堀の地下通路を歩きながらガチで泣いてました。

当時は、なりたいと思ってなったにも関わらず、結婚式という一生に一度しかない日に失敗できないと不安で押しつぶされそうなのと、

ボスがとにかく怖すぎて食欲湧かなくて、水とミルクティーしか飲まない日々があったり、を続けてたら急激に病的に痩せてしまって色々な人に心配されました。

そんなときに「このままここにいても明るい未来は見えない!もうやめるしかない!」そう思わされる事件があり、

このタイミングは神の采配なのかもしれない、既に病み始めた私は「これ以上ここにいたら明るい未来が見えない」と事務所を退社することを決意。
なぜかなかなかYESと言ってくれないボスと5度目の話し合いにしてやっと退社が受理されました。

もっと細かく色々笑えないこともたくさんあったけど、時が経って、今ではやっと笑い話やネタにできるようになりました。


5 理想の世界を模索し始める

それからの私は、流石に病みすぎ他ので司会業はしばらく休業。

会社とアルバイトは引き続いてたので普通に働いてはいましたが、とにかく今は頑張るのではなくやってみたかったことをやろう!とそれまでも趣味程度に通っていたヴォーカルのレッスンの回数を増やしました。

練習をしているうちにヴォーカルの先生の紹介で、野外イベントやライブハウスに出演させてもらったり、新しい事務所を紹介してもらえ司会者としても再スタートを切りました。

前の事務所でのことがあるので「もう同じ過ちは繰り返したくない」と思った私は、とにかく「経験を積みたい。なんでもやります!」とアピール。
家から片道3時間以上かかる現場や少ない出演料、みんなが嫌煙する会場にも行ってみたり、とにかく持ち前の責任感と根性で喰らい付いていきました。

その時は「スケジュールNG一切無し」にしていて、とにかく第一優先は司会のお仕事、会社もアルバイトも並行してたのでほとんど休みはありません。

そんな中で迎えた9月のブライダルベストシーズンで私の今後の人生を考え直す事件が起こりました。

その当時、土日は披露宴本番と打合せ、平日夜も打合せが続いていた繁忙期。そのタイミングであきらかに私がまだ会社の時間に母からの着信。

実は去年の年末くらいから「おばあちゃんがいつ亡くなってもおかしくない」と聞いてました。

いつかくるかも、なんて思いながらも、そんなときは突然くるもので、少し嫌な予感がしながら折り返すと、

母「おばあちゃんが今度こそ本当に危ない、今夜が峠、明日帰ってこれる?」

その週に限って平日夜は連日打合せ、土日は本番が入って詰まっていた。
打合せはともかく本番は絶対に外せない、、、、。

「とりあえず、一度スケジュール確認して連絡する」そう答えて当時お世話になっていた司会事務所の社長に連絡して状況を説明したけど開口一番の社長の言葉は、

「どうしようもないことだけど、タイミングが絶妙に悪いね。

詳しい事情の説明は省きますが色々相談してみた結果、絶妙なタイミングや事情が重なりその週は全部変更不可。繁忙期で代わることも難しい状況でした。

そして、その夜遅くに母からの電話。おばあちゃんが亡くなったって。

おばあちゃんはその日の夜に亡くなり、お通夜は翌々日のお昼でした。

私は葬式に出席することができませんでした。

その日に「今、お通夜だよ」と妹からのラインと祖母の遺影の写真が送られてきた。

「遺影の写真、きれいに撮れてる写真でよかったさ、最後の顔綺麗だったよ」と。

仕事中だったけど、そのラインを見て物陰で号泣してしまいました。

その時に強く思ったのが「このままじゃいけない」という想い。

今の働き方を続けていては、もしも両親が危篤の時も同じ状態になってしまう。

今回の仕事は私じゃないとダメなような仕事なんだろうか?

そんなことはない…。

悲しいけれど、私じゃなくてもいい。

私しかできない仕事ではないし「あなたにお願いしたい!」と指名をされてるわけでもない。
そんな仕事しかできてないのに家族の葬式にも出れないなんて。
悔しくて涙が止まらなかった。

相談したときに社長が言ってた。

「堀田さんはご実家が遠いから残念な形になったけど、司会者は親の死に目にも会えないと思えとはよく言われていて。

社長は親御さんが亡くなったとき、同じ地域の会場で披露宴が午前中で午後からだったから葬式に出れたそう。
でも「あなたはご実家が遠方だから覚悟しておいた方がいいかも」と。

社長ぐらいの立場がある人でも無理だなんて・・・。

今私がいる業界や体制が、司会者という立場が、会場や新郎新婦に何も言えないような力関係で成り立ってしまってる、それが常識とされる世界なら、

このまま同じような働き方をしていたらどうにもならない!このままこの世界で同じ事を続けていてもダメだと感じた。

それと同時に比べるのも烏滸がましいけど、
例えば、私が徳光さんだったら?

徳光さんにお願いしたい!というお客様がいてそんな仕事をしていたら、

きっと立場も尊重されて多少の無理は聞いてもらえただろう。

私はそういう存在になりたいし、もう同じ想いは二度としたくない。だから、私が目指す、これから作っていきたい世界はそうしなくては!と決心した。

そこから私は、今の自分の能力ややりたいことを活かして、どうしたらもっと自由に働いていけるのか具体的に考え始めたのでした。



6 暗闇から光へ

この事件が起きるまでの私は、

がむしゃらに頑張ってる自分は偉いし、きっと頑張ってたらこの先に明るい未来が待ってると漠然と思ってた。

でも今回のことで、私がどんなに頑張っても私がいる今の世界の常識は変わらないし変えられないことを痛感した。

じゃあ私が理想とする働き方ができる世界にいかなくては?

それはどこ?どうしたらいいの?精一杯探した。

でも見つからなかった。

私の周りにはそんな考えや働き方の人はいなかった。そんな時に、Facebookから流れてきたある人の投稿に衝撃を受ける。

会社員を辞めて自分の好きなことで起業!

そんな事できるの?なんか胡散臭い。

でもそれは明らかに私が探してた理想の働き方に近かった。
その日を境に色々な方のブログを読み漁る日々。


そして、小田桐(当時は宮本)あさぎさんという方のブログに辿り着きました。

戦略的ワーキングマザーへの道

と掲げられたそのブログは、理想の男性リストを書いて2週間で結婚した戦略的ストーリーがコミカルに描かれていた。

しかも育休中にブログを開設し人気ブロガー、その後は自分が理想の人生を手に入れたノウハウを伝えて、文字通り好きなことをして生きているらしい。

正直今まで私は、悩むと自己啓発本をたくさん買っては、答えを本に探す日々を過ごしていつも不安で堪らなかった。

表面的には

「私は同世代の婚活に逃げる女子とは違う。自分の好きなことをやってる、全部やりたいことやってるの!」と思い込んでいたし、そう思わないと自分を保っていられなかった。

fでもここで、私の直感が「この人に会った方がいい!今、会いにいくべき!」だと告げた。

2017年1月 魅力覚醒講座5期受講。まだ六本木で6人づつリアル講座を開講していた時代のあさぎさん。

そこから、私にとって理想の働き方生き方をしている小田桐あさぎさんの当たり前に触れてからは、とにかく今までと真逆とも言えるような行動と決断の連続だった。

例えば、今までは「所詮、私なんてダメ」「人より劣ってることがたくさんある」と、自分の中の常識的ではない思考や行動、を直そう、克服しよう、隠そう、と必死にもがいてきた。

でも、今まで「自分を無意識に否定し続けていた」だから、ずっと辛かった。

逆に、自分のダメな部分だと思ってることこそ曝け出す、私はこんな人です、こういう事がしたいです、って口に出してみる、人に伝えてみる。

完璧でない、どうしようもない、そんなありのままの自分を許す。

腹が立って仕方ないあの人は、

実は、自分が許せていない事を平気でしている人だった。

サボっちゃいけない、人に迷惑かけちゃいけない、我慢するのが当たり前だと思ってたから、それをしない人が憎かった。

でも私もやりたくなかったらしなきゃいいんだよね、頑張ることや我慢することを選んでいたのは自分だった。

そう気付いた私が初めに取り掛かったのは

「隣の席の人の愚痴を聞かない」だった。

今思えば、いやいや簡単やん!?
聞かなかったらいいやん(爆笑)って迷いもせず思えるけど、人の話はちゃんと聞かなければいけないって思い込んでた当時の私は、そんな簡単な事ができなかった。

だって、私に話かけてくれてるんだよ?
なんか聞かなかったら悪いじゃん、可哀想って思って。

でも冷静に考えたら、毎日変化のない変えるつもりもない人の同じような愚痴を聞かされてる私は?可哀想じゃないの?

めっちゃ可哀想だよね(爆)!!!!!!!

当時は、自分より他人を優先する尊重するのが当たり前だったから、こんな小さな事でも清水の舞台から飛び降りるようなつもりで実行した。

愚痴が始まりそうな瞬間に「あ、もう行かなきゃ」って小芝居したり、相槌打ちながら席を立ってスルーしたりw

はじめは、めちゃくちゃ怖かったなー。

やっぱりどうしても顔色伺っちゃうんだけど、
彼女は最初は般若のような顔してた。怖っ。

でもメゲずに何度も続けてみたら、ビックリすることが起きた。

なんと…彼女が私に

愚痴を言ってこなくなったんです!!!

ビックリーー!!!!!!!!

まあ、とは言ってもその分は別の人に言ってただけなんだけどね。笑笑

彼女は"この人には言っても仕方ない"と判断したらしい。

なんだ!私が勝手に色々考え過ぎてただけで、きちんと態度に現してみれば良かったのか!

そこから私はこの経験に味を占めて、今まで当たり前のように我慢してきたことをひとつずつ疑って"手放す"ことを始めてみた。


何も大きなことを手放さなくてもいい、


まずは日常で疑いもせずに無意識に我慢してしまっている小さな「嫌なこと」をやめてみた。

最初は「私、嫌なことなんてひとつもしてない、毎日楽しいし全部やりたくてやってます、納得してます、なんなら前向きに人生生きてる私すごい」って思ってた。

でも深堀りすると全然違った!

本当は毎朝起きることも、会社に行くことも、メイクするのも、毎日愚痴ばっか言ってくる隣の席の人の話を聞くことも、

責任が重い仕事ばかり振られるのも、休みがなくずっと働いてることも、安い給料しか貰えてないことも、

人に気ばかり遣って顔色伺ってることも、全部全部ぜーんぶ嫌だった。

気付いた時は絶望しました。

気付きたくなかった、そんなに嫌なことがあって、でもすぐには手放せなさそうで。そして、そこに気付かなかったら・・幸せな気がするやん?
たまに気付いても知らんぷりして心を感じないように凍らせて、死にものぐるいで頑張ったら今だけ我慢したら時が過ぎるし。

でも、そんなんいつまで続けるの?ふとそう思えた時・・・

あれ?絶望こそチャンス、なのかもしれない。
また私の直感が「今こそ向き合う時」と教えてくれた。

2017年4月卒業パーティー1人づつ変化を話す場面


向き合っている中では、壁にぶつかったりもした。

「私は嫌なことを手放してるけど、それって私だけが楽をしようとしてるのかな?」

我慢が当たり前であり美徳と思い込んでいたから、このままでは自分が甘えて腑抜けになってしまいそうだと怖くなった。

でも気が付いた。

我慢をしたり愚痴を言っている人は、自分がそうしたくてやってるんだ。

「○○してみるのはどうかな?」と提案したり、話を聞いて”それって妄想だな~”って思って「本人に一度聞いてみたらどうかな?」って伝えても「それは無理」って言われたりして、

みんな幸せの感覚が違うし、変わりたくない、
その方が楽だったりメリットがある人もいるんだなって。

今までは敢えて苦手な事や嫌いな事を率先してやることで評価されたり克服してきたし、その方法しか知らなかったから欠乏感がなくなったら、もう私は成長できないんじゃないかと焦ったりした。


でも違った。


自分を卑下したり心に鞭打っても頑張り続けるのは無理。

私はもっと優しい世界の住人になりたい!
わざと自分で自分を痛めつけて死に物狂いで頑張るのはもう卒業したい!

私はもう我慢したくない!!!!


本当はずっと諦めてたこと、本当は全然前向きじゃなかったこと、できそうなことだけしか見ないように望まないようにしてたこと、

無理そうな願望や買えなさそうなモノは、最初から目に入らないようにしてたと気付いた。

私の頭の中で考えられる範囲のことなんて叶えられないはずがない!
全てが繋がった気がして、長く暗いトンネルを抜けて光が見えた。

2018年1冊目の本の出版で初めて講演会運営として携わる
2018年改めて全国出版講演会スタート。出発地点の大阪で初の主催&司会を務めてみる!司会以外で収入を得た初めの第一歩だった!

そしたら不思議と今まで自分のコンプレックだと思ってたことが少しづつ気にならなくなった。

例えば、人見知りで人の目ばかり気にしてきたからこそ、人の気持ちの変化に敏感になれて共感することができる。

口下手だからこそ、小手先じゃない想いが伝わるように気持ちを込めて話すことで安心できる信頼できると言ってもらえた。

声が低いこともコンプレックスだったけど、高い声の人が多い中で落ち着いた声だから聴きやすいと逆に強みになった。


今までずっと自分で自分を痛めつけて責め続けてきたけど、その戦いにやっと終止符が打たれました。


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あれから私は、自分の理想の働き方を、世界を、
自分の手で作り上げるためにずっと兼業していた会社員を辞めて独立。

その半年後、一つの区切りである月商100万円を達成しました。

会社員独立後、半年で一つの区切りである7桁突破!

今の私は、

司会、イベント企画運営主催、本音を深掘りするセッション、本音の伝え方長期講座、頭の中に浮かんだ事は全て挑戦し現実にする事ができています。

主宰の本音の伝え方講座についてメンターとの対談。

大切なここぞというパーティーやイベントでの司会の仕事も指名や紹介で依頼される事も増えて、

ランジェリーブランドMichiLu記念披露パーティー
統括&司会

セッションやコンサル、講座でも目に見えて感謝され喜んでもらえてる声も聞けて、リアルイベントでは「会いたかった」「写真を撮りたい」と言ってくれる方に囲まれ、

あの時憧れて会いにいったメンターからはなんと指名でお仕事を依頼され、2000人の出版講演会を大成功に導くなど・・・まさにあの時に描いた理想どおり、いや以上の働き方が体現できてる!

女子とお金のリアル 小田桐あさぎ2000人単独講演会にて総括&司会を務めました。

よく「色々な事してるよね」と言われてきたけど、長年自分に向き合い続け、感覚を信じて行動してきたからこそ、最近全ての根幹が繋がりました。

私は、人の心を動かすような「感動」の場を自分で作り上げたいし、そんな空間や環境に一番近くで携わっていきたい。

2000人でつくる大講演会

私にとっては「司会」も「イベント企画主催」も「セッション」も人の心が震える瞬間により近く触れられる「感動」で繋がってるってこと。


そしてこれからはもっとたくさんの人に、

ほんとーにネガティブだった私が性格も感覚も顔付きも180度激変できたメソッドも伝えていきたい!!!

今まで長い間地道に自分と向き合ってきた私だからこそ伝えられることを、もっと伝えたい!

本当に、心から変わりたい!!
もっと私にもやれる事があるんじゃないかな・・
自分の可能性をもっと信じたい!!!

私の人生このままでは終わりたくない・・
漠然とした不安を消し去りたい!!!

今度こそ絶対に絶対に自分を人生を諦めたくない!!!そんな女性達のために、私の悩んできた過去や克服経験が希望や光になれたらと思ってこのストーリーを自分を曝け出して書いてみました。


私も現在に至るまで挫けそうな時が本当に数えきれないほどあった。
でも今だから心から思う。

あの時、諦めないで向き合ってよかった!!

いっぱい傷付いたしたくさん泣いた。決してあの時より素晴らしい自分になれた訳ではないけど、たくさんの人に愛されて囲まれて幸せです。

自分を信じてここまで突き進んできてよかった!!

そう思うからこそ「あなたも本気で向き合えば変われる"し"人生は全ては自分次第"でいくらでも変化できる」って伝えたい。


この投稿を見てくれたあなたは、

私の変化を見て「今の現状と同じ未来がこれからも続くとは限らない」ということも感じてもらえたと思う!そして「私も変われるかも」と少しでも思って頂けたらとっても嬉しいです! 

そう思えたら必ず"なりたい私"になれるから
絶っ対に「大丈夫」だよ!!!


長文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございます!


これからも私は、世界で一番愛おしい存在である”私”へ、たくさんの景色を見せてあげたいし色々な経験をさせてあげたい。

だから今が比じゃないくらい、毎年毎日毎秒もっと変化していくし、その過程すらも楽しみながら自分の人生を駆け抜けていきます。

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