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時をかけるおじさん 2/ 著者 ほうこの事情(心境編)

ではこれから、家族の闘病記、介護日誌を書くの?
といわれたら、そういう心境でもありません。

ではなんのために書くの?と聞かれたら、

つらいから吐き出したい。同情されたい。
記録に残しておきたい。状況を多少客観的に見てみたい。
たぶん、少なからず、どれも正解です。

「電動髭剃りのいいところは、何か作業しながら髭が剃れることだよな〜」
と、特に何も作業せず髭だけ剃りながら言う父をみながら、思う。

そう楽しくもない日々だと思えば、日々はあっという間に楽しくなくなる。
そんな中でもまぁまぁ楽しい瞬間はある。
それを見つけておきたい、とどめておきたい。
そういった美しめの理由は、嘘ではない。

だけど不本意に流れ着いているような現状に、不満はたくさんある。うまくいかないこともたくさんある。
自分のせいで招いた事実も、そうでない事実もひっくるめて、もうほんとうにたくさん。

日々、時をかけているおじさんは、なんだか呑気だったりわがままだったりタイミングが悪かったりして、よく人を苛立たせる。私ももれなく、日々、つい些細なことに苛立ってしまう。

人生で、小事件は度々あれど、私には大きな反抗期がありませんでした。
洗濯物一緒に洗わないでとか、クソ親父とか、そんな言葉吐いたことなかったし。
っていや、さすがにそれは今もないけれど…。

そんな私が数年間実家を離れて暮らし、戻り、さらに父の病気が進行した結果、今人生の中で、父に一番冷たい態度をとるようになってしまっている。

この年になって情けないけれど、それはある程度しょうがない。認知症の家族の同様の悩みは数多く聞くし、と自分で自分を慰める日がほとんどです。

父の病気は認めているつもりでも、進行していく病状はなかなか受け入れがたい。
とはいえ認めている「つもり」程度の自分であること。そして単純に自分自身に余裕がないこと。
そして結局父に対する態度は、自己嫌悪になって自分に跳ね返ってきたりすること。
そういう悪循環からは、現時点では抜け出せていないし、まあ、ずっと付き合っていく感情なのだろうなとも思っている。

もともと大雑把で、贅沢で、家族思いで、わがままで、怒りっぽいけどやさしい性格の父。
今もそんな父には、なーにいってんだかとつっこまずにはいられない、ちょっと笑えることも確かにあって。
だけど笑えない瞬間は確かに増えていて。

そして、病気が進行している今の父を日々目の当たりにしていると、ふと、もう今の父しか思い出せない自分にも気がつく。そうだ、父は、もともとこういう人だった。あんな人だった。こんなことができて、こういうことをしたい人だった。そういう当たり前のことを、私は忘れてしまっている。

ある意味では愚痴のような日記になるかもしれない。
だけどこんな状況でも笑える日はあるんだなあ、って
結局まあ何とか成り立ってる、そういう日々のドキュメンタリーが、
誰かを、そして誰よりも自分を励ますかもしれない。

そう思って、藁をもつかむような思いで信じて、つらつら書いてみようと思う次第です。

文・絵 / ほうこ


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