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時をかけるおじさん 4/ 父がちょっとおかしいぞ

2010年、57歳の父と、ニューヨークに旅行に行った。我ながら、仲良い父娘だなーとおもう。ちなみにこのとき私は24歳の社会人。
だがその時の父は、なんだか少しおかしかった。

アメリカは慣れっこなはずの父が、なんだか変な動きをしていたように見えた。
自分の持っている株の相談に行くためにどこどこへ行くというので、じゃあ地下鉄でこれにのって…などとアドバイスをしようとすると受け付けようとせずつっぱねる。そして後で合流したときに、行けたの?と聞くと行けなかった、という。

娘を連れてのニューヨーク、ほぼ母国であるアメリカで父はリードしたかったのだろう。私もニューヨークに精通しているわけでもないが、探り探りで目的地に行くくらいの旅のノウハウは持ち合わせていた。しかしそのときは、父が行きたいところとやりたいこと、そこまでどうやっていくか、などのやりとりがなんだかうまくいかない。
ちょっと父のようすが変だな、と思ったのはこれが初めてかもしれない。

その頃からか、階段をスムーズに降りれなくなり、足元がおぼつかないときがあった。
しかしその後取り立てて大きな出来事もなく、普段の父の様子はそれほど変わりないように見えた。

父は60も目前にして長年いた会社を退職し、転職をした。しかし周囲とそりが合わないことを理由に間も無くまた転職。歳もとっているというのにヘッドハンティングやらつながりで次々と声がかかる父。

その後再度転職するも、2012年に会社都合で退職。詳しくは聞いていないが、社内でパワハラのような訴えがあったときく。おそらく仕事に支障をきたすような理不尽さを伴う変化が家族には見えないところでたくさん出ていたのだろう。
例えばアポをすっぽかしてしまう、自分で言ったことを覚えてなくてコロコロ変わる、あるいはやや前時代的な強気な父のやり方がパワハラに見えたりなど、そういう積み重ねで仕事が続けづらくなったのだろうと思う。とはいえ父も母も、そういうことを子供にあまり話さなかった。

転職の合間には家にいる時間が増え、ぼんやりとした様子も増えた。外で待ち合わせなどをして落ち合う、などをしづらくなったのはこの頃からかもしれない。
それでもまだ活力はあり、仕事をしていたときにはなかなかできなかったと隠居生活を楽しむように、本やCD、家電などを買い漁ったりしていた。新しもの好きは昔からだったが、新しくテレビを買っては、またテレビを買って来たりする。ちょっと異常だ。

記憶力の低下が父の行動ひとつひとつに支障をきたすようになってきている。それは日々の父を見ている家族全員が感じはじめていた。ただ一人、父自身をのぞいては。

文・絵/ ほうこ

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