読書、教養、劣等感

 大学に入り1年経ち、つねづね感じているのは読書の必要性だ。

 かつて俺は中学でラノベにどハマりした。高校では読書をほぼしなかった。ドロップアウトしたのだ。駿台予備校を挟んで大学に、高校とのギャップに苦しんだ。アカデミーは読書を前提として広がる世界であるからだ。

 高校とのギャップを、大学の学びのハードさを感じた授業は史学概論Aだ。なんだこいつは、難しすぎる、何を言ってるのかがわからない。とりあえず必読と言われている、EHカー『歴史とは何か』に手を出す。難しい、よくわからないが、歴史に対する態度を何となく垣間見た(つもりになった)。 歴史家が事実に語り掛けそれを解釈する。人物の人柄の評価と事跡の評価は別物だ。・・・なるほど、これには気をつけていかなければならない。

 読書をしてこなかった俺にとって、史学概論や基礎演習は自らの無教養を確認する授業、いや苦行だった。同級生をみわたす。人見知りコミュ障ぼっちの自分にとってツイッターは他人の様子をうかがい知れる点でいい。本棚の写真をあげる人がいた。ーー岩波が、ほかに多数の文庫本がある。それ以前にマイ本棚がある。

 比べてしまう。本を読み豊かな教養を持つ同輩がいる一方、俺はなんなんだ。本を読まずYouTube、ニコニコや5ちゃんまとめ、やる夫スレに時間を費やした、なんと薄っぺらな人間ではないか。

このままではいけない。そうして俺は、他の人と比べて劣等感を感じたという非常に俗な、不純な動機をきっかけに本に手を出した。不純だが、課題のためではない、自ら望んでの読書である。そこで(適当に)手にしたのは外山滋比古『思考の生理学』、次に、たまたま目についた斎藤孝『読書力』だ。それぞれ強く影響を受けた。
外山は言う。受け身な態度を、自らでは推進力を持たず飛べないグライダーにたとえてグライダー人間と。独創性ある飛行機人間になれ、と。独創性は様々な知識経験がカクテルのように合わさり、ゆっくりと醸成されてー「見つめる鍋は煮えない」ー 独自性、独創性があらわれるのだという。
斎藤は本を読まない大学生の現状にふれながら、みにつけるべき読書力を示し、それの基準を設けた。「文庫100冊、新書50冊」、これを4年間で達成することができれば、読書力がある、教養を持った人である、と。本を読んでこなかった俺には痛いほど響く。

教養人。大学生活で達成するべく、今までなんとなく避けてきた読書に向き合うことを決意した。

 しかし、問題がある。俺はいわば、朝読書以来の読書ドロップアウト組であって、 「本の読み方を知らない」 ということだ。とはいえ、(現実では孤独であるが、本であっても)出会いとは不思議なもので、読書について書かれた本を手に入れたのだ。石黒圭『「読む」技術 速読・精読・味読の力をつける』は、ただ文字を眺めるだけのチャランポランな自分に、読書の仕方を教えてくれた。技術は身についたとは言えないし、今も読書のしかたについては模索中であるけれど、大変参考に、役立っている。


【紹介した本】

EHカー『歴史とは何か』(岩波新書)
外山滋比古『思考の整理学』 (ちくま文庫)
斎藤孝『読書力』 (岩波新書)
石黒圭『「読む」技術 速読・精読・味読の力をつける』 (光文社新書)

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