見出し画像

〝九条ジョー”こと、オガワタクヤ君への長い長い手紙

コウテイが、解散する。

その日は有給で朝から夕方までひと通りの用事を済ませ地元の街に戻り、帰宅前にカフェに寄りのんべんだらりと夕刻を過ごそうとしていた。
なかなかチェック出来なかったiPadを開き、Twitterを遡る。
その報せは開かれたタイムラインによってあっけなく晒された。

漫才劇場のツイートや下田君のツイート、信頼できるフォロワーたちの嘆息で埋まるタイムラインに、運ばれてきたコーヒーを冷めないうちにぐっと飲み、温度を保つことに腐心する冷静さを保とうと必死になっていた。
鍵をかけていない頃にフォローしていた九条君のページを開くが報告はなく、公式での発表がすべてであった。

彼の誕生日にアップロードされた10000円のnoteを思い出す。休養の最中、必死で紡いだ思いを読むには覚悟の足りない金額だった。
皮肉なことにこの瞬間、覚悟を決めた。「返金不可」のバリアを突破して、なけなしの10000円を差し出すと同時に、初めて彼らに出会った頃のことを思い出していた。

2017年の12月。ライブシーンに足を運ぶには少し鈍くなった年齢に差し掛かったこともあり、過渡期を少し過ぎた頃のよしもと漫才劇場の若手芸人を見る機会は激減していた。M-1グランプリの準々決勝で敗れた者たちのネタだけをオンエアした「Good Loosers」なる番組をスカイAで見て、少しでも誰かを知っておきたいという最後の「欲」が、自分と彼らを繋いだ。

臙脂色のマオカラーのスーツに身を包み、極限まで顔を近づけては奇声に似た嬌声をあげる「コウテイ」なる漫才師に目を奪われた。
それは、遥か遠い昔に夢中になった「ハイスクール!奇面組」を想起させるのに時間はかからなかった。まるで一堂零のような気品と紙一重の狂気を孕む九条ジョー君、出瀬潔のようにバリバリに立てた髪に表情筋をこれでもかと伸縮させる下田真生君。息つく暇もないグルーヴ感溢れる漫才にただただ圧倒されるばかりであった。

日本酒をちびりちびりと味わうように少しずつ彼らのことを知り、漫才を追い、テレビを視聴するようになった。偶然か必然か、敬愛する笑い飯やとろサーモンの久保田君にアシストされるようなかたちでの露出が増え、コウテイを好きな自分の目に狂いはないと偉そうに思った時期も。九条君が笑い飯や千鳥をGAORAで見て育ったことを知ったのは少し後の話だ。
だけど、周囲の期待に反するように主要賞レースではあと一歩の足踏みが続いていたように思う。もどかしさをおぼえる中、2020年のABCお笑いグランプリでの初戴冠。号泣する九条君ははっきりとこう言った。

「やっと認められた」

コウテイの名は、二人の身長差でもあり、自らを「肯定」するというダブルミーニングであるという(皇帝との噂も)。
今まで彼は、誰にも肯定されてこなかったのだろうか。そっと彼の傷みに寄り添うべく、自分も涙を流したことは記憶に新しい。その頃に購入した九条君の著書は、未だに手に取って読み返すほどの芸術性とジレンマに溢れた等身大の一冊だ。

左:芸人雑誌volume3/右:ボクノ聖書

とくに彼らに救われたのは、同時期コロナ禍で次々とライブが飛ぶ中、やっと開催されたそいつどいつとのツーマンであった。
何度も感染の波が訪れる関東の片隅で、冗談でも何でもなく決死の覚悟で幕張に向かった。自転車で二人乗りをし、下田君が九条君に股間を晒すエキセントリックなコントに漫才。九条君はいつになく「ズィーヤ」を連発して、その度に赤ん坊のように声を出し笑っていた。彼らがかける笑いの魔法にいつまでも酔いしれる夏の夜だった。

そしてコロナ禍は、微妙に彼らの未来に陰を落としていたことは否定できない。下田君の感染により辞退を余儀なくされたM-1グランプリ2021。捲土重来を期して挑んだ2022年。コウテイは年間を通して絶好調に見えた。いつもどおりやれば、M-1の決勝が見えてくると勝手に確信すると同時に、賞レースが甘いものではないこともわかっていた。

2022年11月30日、彼らはまたもや準決勝の壁に阻まれることとなる。

配信を見る限り、コウテイの漫才は非の打ち所がない完成されたものに思えた。宇宙人に攫われた下田君を九条君が助ける設定。散りばめられたギャグ、下田君のコミカルな表情とマイム、伏線回収の構成…すべてのパーツが噛み合った「完璧な漫才」に心から爆笑し心酔した。
一方、会場の熱量がそうでもないことを肌で感じていた。原因はファンである自分にはわからない。ただ、2020年のM-1準決勝で、おいでやすこがとオズワルドのブロックのトリで登場した時の感じに近しく思えた。
結果は余りにも残酷だ。後日YouTubeで公開された舞台裏の映像の片隅で九条君は、九条ジョーとしての実態を失っているように見受けられた。

2022年12月18日、コウテイは体調不良によりM-1グランプリ2022敗者復活戦を辞退。間も無く九条ジョーは無期限休養に入る。


気がつけば、カフェの客は自分を含めて数人。閉店が迫る店内で必死に九条君の叫びを受け止めていた。パブリックな場でなければ、自分を保つことができなかった。
「九条ジョー」の抜けた一青年・小川拓文君は因幡の白兎のようなむき出しの皮膚を晒し、それでも自らを肯定して欲しいと渇望しているようであった。
九条君は今、どこにいるのだろうか。でも、また彼が気まぐれに小川君の体に憑依することは、彼の文章を読んでしまった今は生命の危機さえも感じ憚られてしまう。
コウテイは2回解散して2回再結成した、奇跡の不仲コンビだ。だけど、「最高の10年間」を終わらせて九条君が消失した今、再結成を望むことはこの上なく残酷なことのように思えて仕方がない。

それでも、彼らの存在が、コウテイの漫才が、何よりも恋しく思う瞬間がある。
その恋しさを、彼への思いに変換し、心の中で投函することのない長い長い手紙を書くことで昇華させようとしている。

「九条ジョー」に託した10000円が、小川拓文君の健やかな未来に繋がりますように。

そっと祈りを捧げ、カフェを出て宵の街に日常を預けた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?