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生きたがりの私を赤裸々に。

あなたはここで生きてるんだ。
私も、ここで生きてるんだ。
ふと湧いた実感。
画面越しのあなたしか見てこなかったから。
顔が見えて、すぐ近くで声が聴ける。
そこに来てはじめて、生きてるんだって思った。
生きてるんだって、これからも生きてくんだって、そう思った。

穂崎です。
今回は、昨日行ったライブの話をしたいと思います。私が行ったライブは、クリエイターである音羽-otoha-さんのファーストライブ『unlockable』です。


今回は自分の思いをいつも以上に赤裸々に書いていきます。
口調諸々変わることをご了承ください。

少し前まで心が死んでた私

この言葉が、一番わかりやすい表現だと思う。
何にも心が揺れない、そんな時期が、ライブの少し前まであった。

そう思いながらもやっぱりライブは楽しみにしていたようで、家で勉強する時は音羽さんの曲を片っ端から聴いていた。

綺麗な曲だなとか、そういうことは前から思ってた。だけどそれまでだった。それ以上、何にも揺れなくなってしまった。

かつて私は、音羽さんの曲、特に歌詞に救われたことがあった。
しんどかった時の私、ただ生きることに精一杯になってた私の心を汲み取ってくれたような歌詞に私は救われていた。

だけどそれすらもなくなってしまうほどに、私の心は死んでいた。


少しふりかえってみると、他の記事でも書いてたかもしれないけど、私は優等生であろうとしてた。なんのために?誰のために?それが分からないからここまで壊れたんだろうなって思うけど。

優等生であろうとしてた私は大学の授業にも真面目に出てたし、部活も私なりに一生懸命やってたし、バイトもまぁそれなりに頑張ってた。

けど最近の私は出るだけ出て授業なんてほとんど聞いてないし、部活は自分の意思で1週間休んだし、バイトは大して変わってないけどいかに楽できるかを考えるようになった。

部活を休んだってことが何より大きかった。

今までずっと、部活が大好きで、部活の人も、演劇というものも、とても大切なものだった。
だけどなぜだろう。
私が私でいられる場所だったそこは、違うものへと変わろうとしていた。
こんなのはじめてだった。
このままだと私はここが嫌いになる。
その前に一度距離を取ろう。そんな思いもあって休むことにした。


少し話が脱線してしまったけれど、一言で言ってしまえば心を動かせないほど疲れてしまったということになると思う。
そんな私が、そんな状態を拭いきれないままライブに行ったのだから、色々と申し訳ないなと思う。


ライブの始まり

そんな心持ちの中で、私は友達とライブに行った。小学校が一緒だった友達で、中学からは離れていたけど、バイト先で再会した。

それが始まりで今ここにいるんだと考えると、ほんの少しだけ、あのバイトをしててよかったと思えた。

心が死んでた割に、準備の時は楽しかった。
友達とおそろいの服を買ったり、カバンどうするとか電車どうするとかって話をしたり。
この時から、少しずつ回復していったのだと思う。

そして会場に着いた。

すごい人の数だった。
大阪BIGKATで開催されたそれは、キャパ約800人。チケットはソールドアウト。それだけの人が、ライブにやってきていた。

開場して中に入る。
ライブハウスのライブに行くのは初めてだった。
それは一緒に行ってた友達も。

ずっとみんな騒いでた。
時間が近づいてきて、開演に先立ちましてのアナウンスが入った。
はっきり言うと、めっちゃ噛んでた。けどそれはわざとだったとすぐ気づかされる。
音羽さん本人がアナウンスしていたのだ。
みんなが気づいた瞬間、音羽さんの関西弁(大阪弁)が炸裂する。最高だった。

そしてライブが始まる。
おっと、ライブの曲のことをここで書きたかったのに、その前でこれだけ書いてしまった。

次のところで書いていこう。


ライブで見た、音羽さんの生きる力

曲はどれもかっこよくて、綺麗で、美しかった。
青のライトが音羽さんやバンドメンバーを照らし始まる。
私達も青に染まる。

どの曲も最高だったけれど、私はここで、一番最後の曲を紹介したいと思う。

曲の題名は「拝啓生きたがりの僕へ」。
音羽さんは、一時期活動を休止していた。そこから戻ってきて最初に投稿した曲がこれだった。

この曲が、私が最初の方に書いた「心を救われた曲」でもある。私はこの曲を、「どれだけ夢に敗れ壊れてもまた立ち直って歩いて生きたいんだ」というメッセージがこめられた曲だと解釈している。



私は今、小説家という夢を追いかけている。まだ叶えられてはいない。「小説を書く人」を小説家と呼ぶのならもう叶えられてるけど、自分の書いた小説を世間に出して…というようなことはそんなにしていない。

やりたくてもできない部分がやっぱりあって、どうしようもなく苦しい時がある。
気晴らしに好きな小説を読もうとしても、かえって苦しくなるだけで、読むのをやめた時もあった。そんな私に刺さった歌詞のひとつがこれだ。

気休め程度の音楽さえ
かえって痛みを増すだけだ
弱い僕がいけないのだ

拝啓生きたがりの僕へ/音羽-otoha-


私だ、と思った。
ここではもうこのことに対して深くは語らない。
ただ、この曲は私の心だと思ったと一言にまとめておく。

そして、歌の一番最後。
これは、演出もすごかった。

拝啓生きたがりの僕へ
「今日も元気はない。それに日によっては頭が痛くなる」
そんな憂と鬱の日々を きっと繰り返す
それでも最期まで君と死にたい

拝啓生きたがりの僕へ/音羽-otoha-

「生きたがりの」って言ってるのに死にたいの?
そう思う人も少なくないだろう。これはぜひ、MVを見てほしい。

この「死にたい」という言葉の裏には、「生きたい」が隠されているのだ。
ライブでもそれはしっかりと演出に組み込まれていた。

「死にたい」という言葉を塗りつぶして「生きたい」という言葉を浮き上がらせる演出は、ただただ泣いた。

何があっても、大好きな音楽だけはやめない。音楽で生きていくんだっていう音羽さんの心、生きる力を見たような気がした。

生きる力をもらった。
「生きていこう」と、そう強く思った。
私も、音羽さんみたいに、人に何かを与えられる人間になれるだろうか。
きっと、なってやる。
私が私を取り戻した瞬間だった。



ここまでお付き合いいただきありがとうございました。思ったことをそのままに書いてたらいつの間にかこんなところに。
小説以外でここまで長い記事を書いたのはいつぶりだろうと思いました。
書きながらまとめているところもあるので、分かりにくい読みにくい文章になってしまったんじゃないかなって思うところもあります。
すみません。

それでも、私の本心を書けたなと自己満足はしています。

来週から、休んでいた部活に復帰するし、レポートもこれからたくさん出るだろうし、忙しさは増していくけれど。
それでも書けるだけ書いていきたいなって思います。長文記事や短編小説の投稿は少し減ってしまうけれど、あたたかく見守っていただけたら嬉しいです。

それでは今日はこの辺で。
ありがとうございました。

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