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初めて来たはずなのに、なぜか懐かしく感じる場所がある。そんな時は、あなたの忘れてしまった過去を知る誰かに聞けば、記憶がドラマのようにフラッシュバックする。

取り壊しの決まった大学付属病院の視察に来た建設副大臣の矢吹啓介は、
30才にして将来の日本を背負って立つ政治家と言われている。
「気をつけてくださいね。大学病院の検査機械には、放射性物質が
含まれていることが多いですから、地域住民の安全第一でお願いします・・・」
と、建設会社の社長に念を押した。建設会社の社長は愛想笑いを浮かべ、
「さすが、住民本意の政治で人気の矢吹先生。しかしながら、今回の取り壊しは、私ども五藤グループが点検に点検を重ねて・・・」
「その五藤グループが信用できないのです・・・」
「ですが、五藤グループは、あなたのお父さんが・・・」
5年前に亡くなった啓介の父は、一代で日本有数の企業グループを作った五藤啓一だ。五藤啓一の血も涙もないやり方に、中学生の頃から反発していた啓介は、中学時代から言葉を交わしたこともない。そればかりか妻の深雪と学生結婚して、名字まで五藤から矢吹に変えてしまった。
現場確認をすべて済ませ帰ろうとしていた啓介に
「副大臣、奥様から電話です」
と秘書が駆け寄った。
「もしもし・・・何ですか?」
あなた、そこの大学病院の山根教授と言う方が6階の小児病棟でお待ちだそうです。あなたが来ない限り、この病院とともに消える覚悟と・・・
妻深雪からの電話で、啓介は驚き、傍にいた建設会社の社長に
「もう、誰もいないと言ったではないか」
と怒りをぶつけ、数人を引き連れ廃墟のような病棟に入って行った。
山根教授がいるという6階には、誰もいないようだった。
エレベーター前で、啓介と一緒に来た数人は右へ左へ走って行った。
ひとり取り残された啓介に突然、白髪の医師が声をかけてきた、
「五藤啓介くんだね」
「もしかしたら、あなたは山根教授ですか?こんなところにいては危険です」
「立派になって・・・」
「あなたは、私を知っているのですか?」
「もちろん、お父さんもね・・・」
「あんな血も涙もない父のことは聞きたくありません。私は父の為に奈落の底に落ちて行った多くの人々を見てきました」
「そう、しかし、君が落ちて行ったという人々は企業戦争で君のお父さんに負けた人じゃろう。一つ間違えたら、君のお父さんが落ちたのかもしれんじゃろ」
「どちらにしても、私は父を許せません」
「まあ、いい・・・ちょっとおいで」
山根教授は手招きした。何かに引きずられるように啓介がついて行くと廃墟のような通路の奥に、一角だけ清潔な病棟があった。
山根教授は、その病棟の中に啓介を案内した。そして、
「まず、その洗剤で手を洗って、親指の間に特にばい菌がつきやすいから
念入りに洗ってな・・・」
と言い、防菌服を啓介に羽織らせ、
「ちょっと、ここで待ってなさい」
と言い残して山根教授は外へ出て行った。
ほんの数分して、背中に気配を感じた啓介が振り返ると、ガラス張りで病棟の中が見渡せるようになっていた。
そのガラスの向こうには数人の看護婦や医師が忙しく走り回っていた・・・
一人の看護婦が言った、
「山根先生、急患です。かなり重病のようです」
だまって頷く青年医師の山根教授がそこにいた。運ばれて来たのは、幼い子供だった。
小さな保育器に書いてある名前は五藤啓介。
6人の医師と6人の看護婦が長時間の手術に及んだ。
危篤状態の小さな啓介の体には両手両足に点滴や輸血、胸には、いくつもの機材、鼻と口には管がつながれていた。
やっと手術が終わって、一人の男性が通されてきた。
五藤啓一。啓介の父だった。
山根から病状を聞き、うなだれながら、
「はいはい」
と頷くだけだった。自信のなさそうな表情、曲がった背中。とても、大事業を一代で成し遂げた男には見えなかった。涙をポロポロ流し
「啓介をお願いします」
と言いながら、何度も山根に頭を下げていた・・・
「副大臣!」
と数人の男たちが走ってエレベーター前に戻ってきた声で
啓介は我に返った。
「異常なしです」
「誰もいません」
「たぶん、爆破工事の反対派の威嚇電話ではないかと」
男たちは、口々に報告していた。
啓介は、自分が防菌服を着ていないのに驚き、今し方、山根教授に連れられて行った方向を見ても、廃墟しか見あたらないのに、またしても驚いた。
 
少し疲れた啓介は、その日、6時には自宅に帰った。
家に帰れば愛する妻深雪や、子供たちが出迎えてくれた。
少し年はとったが、母も健在だ
「啓介、仕事はどうですか?」
「順調ですよ。お母さん。ところで、お母さん、私は子供の頃、山根教授って方にお世話になりませんでしたか?」
「ああ・・・山根さん、お世話になったよ。あなたの命の恩人だよ・・・」
「やっぱり、今日、お会いしたんですよ」
「うそ言って。山根さんは、お父さんが亡くなる前の年に亡くなったよ。お父さんの唯一の親友だよ。お父さんはいつも言ってたのよ。山根さんと知り合えたのは、啓介のおかげだって。啓介の病気が治ってからなのよ。お父さんの仕事が順調になったのは・・それまでは、食べるのがやっとだったのよ」
「どうして、そんな大事なこと教えてくれなかったんですか。お母さん」
「お父さんも私も、あの時のこと思い出すとシクシク泣いちゃうから。もし、話すんなら山根さんに話してもらおうって二人で話してたのよ。それにしても・・・おまえ、誰から山根さんのことを」
深夜、昼間のことが気になって寝付かれない啓介は一人ブランデーを傾けていた。そんな啓介に申し訳なさそうな顔をした深雪は啓介に歩み寄り言った
「ごめんなさい、よけいな心配の種作ちゃったわね」
啓介は首を横に振って、
「ううん、君に感謝してるよ」
と笑顔を深雪に返した。
 

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