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息子とNICU

息子は生後2日にして救急車に乗った。
大学病院に搬送となったからだ。

私が分娩先に選んだのは家から2駅の無痛病院を得意としているクリニックだった。
何かあった時のためにNICUのある大学病院の方が、とか医者の家族は日赤系の病院で産むらしい、とか色々迷ったけれど、10ヶ月の間無理なく通えて、計画無痛分娩ができるということで選んだ。(ごはんが美味しそうだったということもある)

何か問題があった時は周産期医療センターのある大学病院に搬送となることは知っていたけど、どちらかと言うとお産の前に「大学病院に転院してください」と言われるイメージだったし、搬送される件数は年に10件あるかないかくらいだったので、息子が搬送されるなんて全く想像もしていなかった。
本当に全く想像していなかったので、搬送と言われた時には心からびっくりしてしまった。コウノトリを全巻読んだにも関わらず、おめでたい話である。

お産の時に元気な産声はなかったけれど、小さく途切れ途切れでもふにゃふにゃ言う声は聞こえたし、1人の助産師さんが息子に付きっきりで何かをしてるのも横目に見えたけれど、「ちょっとまだ外の世界に慣れてないねー大丈夫だよー」と言う言葉をまるきり信じてしまった。
少しは母らしくと「がんばれー、がんばれー」と言ってはみるものの、お産後はとにかくひたすら寒く、うわ言レベルの応援でほとんど心はこもっていなかったと思う。

なのですっかり元気になった翌日、「息子に会いたいです」と伝えて連れて行かれた先で、まだ保育器に入っている息子を見て驚いてしまった。
「元気なんだけどね、呼吸がちょっとまだ苦手みたいで、少し暖かくして酸素濃度を上げています」
動揺する私に助産師さんはそう伝えてくれたが、生きる上で呼吸が苦手はかなり問題では‥?と遅まきながらうろたえる。

ただ「全然触ってもらっていいからね」と言われ、触れた息子は暖かくしっかりとした感触で、弱々しい感じはしなかった。なんなら隣のベビーベッドで寝ている女の子ベビーより力強く見える。(息子は3300gとやや大きめ)

少し安心して、むやみに不安になるのはやめようと心に決める。合流した夫も同じ意見で「まだ産まれたばかりだしね」と言い合った。

だからこそ、院長先生に「念のため搬送して、大きい病院で見てもらった方がいいと思う」と言われた時は心底ゾッとした。大丈夫、大丈夫と言われるまま信じてきたが、やはり楽観的すぎたのか‥

夫と小さな小さな息子を乗せた救急車を見送る心細さは忘れない。付き添いとして同乗する院長先生に何度も「よろしくお願いします」と繰り返した。

産院に残された私は1人で入院期間を過ごすことになったが、産院の先生や看護師さんは私の気持ちをよく汲んでくれて、入院中でも付き添い付であれば息子のお見舞いを許可してくれるなど色々気を配ってくれた。

お見舞いに通ったNICUは想像していたよりも明るい雰囲気で緊迫感も悲壮感もなく、少しだけ安心する。お医者様に治療計画書を渡してもらうが、内容よりも「日齢2日」の文字がやけに胸に刺さった。まだ日にちでしか産まれてからの時を表せない子だと思うと、息子が尚更小さく、鼻に繋がれた呼吸補助のチューブが痛々しく思えた。

結局、息子は大学病院に9日間だけ入院し、元気に退院した。色々検査してもらったが、新生児一過性多呼吸ということで、肺に羊水が残っていたのが原因で後遺症などの心配もないとのことだった。

本当によかった。
息子の小さな体の中で何かが起きても私には気づける自信がない。検索すると事あるごとに出て来る「普段と違う泣き方」に頭を抱えるばかりだ。だからお願い、どうかどうか健やかに、元気に育ってね。
そしてもし何かが起きているなら、「これぞ普段と違う泣き方だ!!!!」という泣き方で、鈍い母に知らせてね。


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