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日本における広場〜皇居前広場から空白の数十年を経ての渋谷スクランブル交差点〜

たいていの街、集落あるいは大きく言うと国家や文明において、「広場」という場は重要な役割を持っています。

古代ギリシャの都市国家では広場のことを「アゴラ」と言い、単なる人が集まる場所だけではなく、市場として商売が行われたり、政治の議論を行ったり、古代ギリシャ特有の直接投票を行ったりしていました。

その後の古今東西の文明でもたいてい、街の中心地には広場がありました。古代ギリシャ同様、商業活動や政治活動、宗教儀礼やあるいは軍事利用(閲兵式や戦争に勝利した後の凱旋式など)でも用いられました。

大きな都市にも小さな街にもたいてい広場はつきものですが、国家として重要な広場、というものも存在します。

有名なのはモスクワの赤の広場や北京の天安門広場、ニューヨークのタイムズスクエア、ロンドンのトラファルガー広場といったところでしょうか。観光地として有名ではないものもいれれば、おそらく世界中のどんな首都にもそれなりの広場があると思います。

日本、東京でいうとどこになるでしょうか?

サッカーの代表戦などで騒ぎになったり、あるいはハロウィンでの喧噪などで有名になってしまった渋谷駅前のスクランブル交差点がそれに当たるのではないかと密かに思っています。

もちろん交差点なのでそこで商売出来るわけもなく、ただ人が通り過ぎるための交差点なのですが、周辺の建物前の歩道を含めて「広場」としての役割を今の日本で果たしている代表的な場所ではないでしょうか。

もちろん、マスメディアによって作られている感を感じる部分はありますが、その作られている感に耐えうる広場というのはそう多くもないでしょう。言い換えると、マスメディアもソーシャルメディアも含めて「メディア映え」する場所なのが、この渋谷スクランブル交差点だと思います。

じゃあ、この渋谷のスクランブル交差点が日本を代表する広場になる前に、その地位にあった場所はどこかというと長らくなくて、数十年さかのぼった上での皇居前広場が当たるのではないかと思います。歴史の教科書とかで終戦時に土下座している人達がいたあの場所です。それ後にもメーデーでも多数の人達が集まりました。

昭和中期から平成前期まで特徴的な広場が東京・日本に存在しなかったということは、中央集権から地方分権が出来ていた証になるかも知れません。ラジオ・テレビの普及と一緒に、各地方でテレビ局・ラジオ局が生まれて東京キー局の影響を受けつつも、各地方での独自の番組もあって地方の独自性は維持されてきました。

しかし、既存のマスメディアの影響が減るのと同時に、インターネットの影響力が増してきたのが平静の中頃です。その頃に渋谷のスクランブル交差点にサッカー代表戦後に人々が集まって騒ぐようになったのですが、インターネットに地方の独自性はありません。もちろん出すことは可能ですが、テレビの東京キー局よりもはるかに強力な画一的強制力を持っています。稚内と東京と石垣島に住む人達が全く同じ情報(例えばYouTubeの動画)を同じタイミングで見ることが出来ます。

インターネットによる画一性の影響が出るのと、日本に「広場」が復活するのがほぼ同じタイミングだったのは偶然でしょうか?

今の渋谷スクランブル交差点と皇居前広場では性質も利用のされ方も異なります。皇居前広場がどうしても戦争の暗いイメージを引きずらざるを得ないことと、渋谷スクランブル交差点がバカ騒ぎしたい人ばかり集まってバカ騒ぎすることの差は大きく感じられます。

どちらが良いとか悪いとかいうのではなく、日本人にとっての広場に求められる役割が数十年の時を超えて大幅に変わったということでしょう。今後、渋谷の交差点の役割が変化するるのでしょうか? あるいはさらに新しい「広場」が現れるのでしょうか? もしくはまた日本の代表的「広場」の消滅を迎えるのでしょうか?

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