武士の主家への忠誠心とプロスポーツ選手のチーム忠誠心

今の時代では野球でもサッカーでも、プロ選手がより良い条件を求めてチームを移籍するということは当たり前になりましたが、90年代のJリーグ始まりの頃や、あるいはその頃やそれ以前のプロ野球では金のために移籍するのか、という非難はよくありました。

職業としてプレーして、評価が年俸の形で示される以上は、より高い金額を提示するチームと契約をするというのはある意味当然です。むしろ高い評価を他からもらっても移籍しない場合の方が、何からの理由が存在します。

プロスポーツの世界だけではなく、今の日本ではヘッドハンティングなりあるいは普通の転職市場経由なりで、より高い給料を求めて会社を変える人も多くなりました。

昭和のサラリーマン勤めが「宮仕え」と言われていた頃からすると隔世の感がありますが、チームや会社を変えることに対して拒否反応を示す人にしてみれば、これまで所属していた組織に対して忠誠心は無いのか、という非難につながります。

さて、この「忠誠心」ですが、イメージしやすいのは武士道において、侍が主人・主家に抱くものではないでしょうか。

その武士像も、忠誠を第一にするような武士が当然とされたのは江戸時代からです。特に5代将軍綱吉の時に儒学を奨励したのも大きかったはずです。

もちろん、江戸時代以前の武士に忠誠心が無かったわけではありません。戦国乱世の中で滅びゆく主家の殉じた家臣やその一族も当然ながら多数いました。ただ、そのような武士以外に、滅びる前に仕える先を変えたケースもたくさんありました。

そもそも江戸時代のような殿様と家臣のような関係は戦国時代の後半、分国法などが整備されてその地域のトップとその地域にいる豪族・土豪などの武士との関係性が整理されてからの話です。

仕えている中で不遇だったり、同格の武士と揉めたり、あるいは敵方から調略されたりして裏切ることはどこでもあったことでした。

裏切り、独立、寝返りなどで元いたところと戦うのは当たり前ですが、その戦いの結果、敗れてまた元のところに戻って仕える、支配権を認めるというのもよくあった話です。

現代人の感覚からすると、戦で命のやり取りをするまで揉めているのに、また元のところに戻ることがあるというのも不思議な感じです。その時代の武士はそういうものだ、と思うしかありません。

そもそも源頼朝の頃でも「御恩」と「奉公」がセットだったわけで、御恩が無ければ奉公もありません。元寇後に奉公に報いきれず武士層の苦境に対して、幕府の執権を握っていた得宗家が対処しきれなかったから後醍醐天皇が付けいる隙が出たのです。

その歴史を思えば、野球だろうとサッカーだろうと、球団やクラブから正当に評価されていない、もっと上手にやれると思ったプロ選手が移籍するのは全く当然のことです。そして移籍した選手がまた移籍して元のチームに戻ることもおかしくありません。

ただ、最初の移籍後の直接対決でその選手にやられて痛い目に遭ったことがあれば、ファンやチームメイトは複雑な気持ちかも知れません。

まあ何が言いたいかというと、移籍した選手と対戦することが合っても、また戻ってくるかも知れないのでブーイングなどはそれなりに抑えましょうということです。

今のガンバだと宇佐美・パトリック・倉田・井手口・菅沼ですかね。国内移籍で戻ってきたのはパトリック・倉田・菅沼ですね。

他にも期限付き・完全含めてガンバから移籍した現役選手はたくさんいますが、まあお手柔らかにお願いします。また戻ってきたら応援するので。

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