自力救済できない日本人、自力救済しまくるアメリカ人

日本に限らず、違法行為に対して民間人が私的制裁(私刑)を勝手に下すことは法治国家であれば認められていません。いわゆる自力救済の禁止です。これは法治国家では自己の権利を侵害されてもその回復は行政なり司法なりの手続きによってしか行えないということです。

少し前にニュースで、公園の駐車場に大型バスが放置されていて、落書きもあり迷惑極まりないのに、土地所有者側が勝手に撤去できないという話がありました。個人的には無関係ながら、所有者の身勝手さには腹立たしいものがありますが、それでも勝手にこのバスを処分してしまうことは自力救済禁止の原則に抵触し、処罰されるのは元々被害者側だった方です。放置していた人が損害賠償請求をする権利が生まれてしまうのです。

非常に理不尽だと思ってしまいますが、法とはそういうものであり、そこで勝手に融通を利かせてしまえば法が法でなくなってしまいます。その対策をするには、このような不法占拠を禁止あるいは処分することが出来る法律を作ってしまうしかありません。その法律も今度は憲法との整合性を取らないといけないのでなかなか難しいでしょう。

警察に訴えても民事不介入が大原則ですのでどうすることも出来ません。この点に関しては、公権力は非常に無力です。財産は侵害されていますが生命が危機に陥っているとまでは言えないので、結局揉めている人同士で解決してね、ということです。迷惑を受けている側は、そんな馬鹿なとも言いたくでしょうけれど、自力救済の禁止は大原則なのですよね。それが勝手に許されたら、法の支配がない弱肉強食がいくらでも許されることになる、というのが理屈です。

その一方で、海の向こうのアメリカでは頻繁に銃乱射事件が続けて発生しています。この2,30年間ずっと、アメリカ社会における銃撃事件発生と、それによる銃規制論議が続いてきました。多少の規制はあれど抜本的な改革は行われていません。

全米ライフル協会(NRA)という巨大な組織が莫大なロビー資金をばらまいているから、市民の武器所有を認める合衆国憲法修正第2条が維持されている、という見方が一般的ですが、そもそもそのNRAに多額の資金が流れ続けているのは、修正第2条を支持している人がそれなりの割合で存在していることの証拠です。実際には半分以上が銃規制に賛成しているかも知れませんが、これはそもそもアメリカ合衆国の歴史にも深く関わってきますので、他国民が勝手にどうこう言う気にもなれません。

自分の身を守るために自分が武装する、というのはアメリカでは(少なくとも憲法上は)当然の権利として見なされます。もちろん日本では同じレベルでの武装は認められず、実際に行ったら即、銃刀法違反で捕まります。日本人的にはアメリカ人の武装は自力救済のレベルだと思うのですが、アメリカの憲法ではそういう扱いは受けていないのです。

かくして、武装した「善良な」市民が暴徒に対して銃撃しても、大罪にはならないのです。

じゃあその分、公権力が後退して市民の自由が等しく認められているのかというと、そうでもなくて、窃盗犯レベルでも武装した警官が暴力的な対応をして容疑者を確保どころか死に至らしめるケースが後を絶ちません。その問題は2年前のジョージ・フロイド事件でブラックライブズマター運動が巨大化した後でも、そんなに変わっていないでしょう。容疑者を逮捕しようとして死なせてしまったケースにおいて、白人よりも黒人の方が割合が高いと言われています。

その一方で一部の州では窃盗などの「小さな」犯罪は取り締まらないことにしてしまっていて、犯罪者から身を守れない人は犯罪を見過ごすしかない現実になってしまっています。警察・公権力含めて全てが自力救済の社会になっていて、日本人から見ると、中世的世界の形成でもしてんのかと言いたくなりますが、そもそもアメリカ社会には中世が存在せずにいきなり近代に出来た国家ですから、これも歴史的に経る必要があるのかも知れません。

ともかく、日本においては自力救済の禁止が強く、公権力の行使も比較的弱い一方で、アメリカでは自力救済したい放題に加えて警察も弱い相手にはガンガンぶちかましてくるという対照的な両国の現状です。

どっちもバランスが悪いなあと思いますが、この両国が70年以上も固い同盟関係にあるというのは不思議な話ですね。場所も文化も遠すぎるからこそ、お互いに近親憎悪に陥らずに程々の理解をする関係で収まっているということなんでしょうか。

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