高校野球の商業化の問題は、もっと大きなカテゴリーでの商業化によるもの

今年も夏の甲子園、高校野球がやってきました。今年の夏はさらに暑く感じますが、実際にグラウンドの上やスタンドにいる人はさらに厳しい暑さを感じていることでしょう。

ここ数年は夏の暑さの危険性から、真夏の昼間の高校野球の時間帯についての指摘や批判も相次いでいます。今年は石川県大会で馳知事が言及していました。

試合開始時間を決めた人は、試合中ずっとグラウンド内で直射日光を浴び続けているのでしょうか? 自分が関わらずに若者だけを危険な状況に追いやるのは、どこかの国の80年くらい前の戦争でもあったことですけれど、この国のお家芸なのでしょうか。

さて、そんな高校野球は、商業化されている(各所でビジネスの種にされている)一方で、高野連や朝日新聞はあくまで「教育の一環」という姿勢を崩さないため、その矛盾をしばしば批判されます。

ただ、そもそも高校生年代は義務教育でもないのでなぜ商業化を否定するのか分かりません。第一、引き合いに出される「教育」自体も存分に商業化されています。

テレビを付ければ東大を始めとする学歴を肩書きにした人たちがクイズに興じ、YouTubeを見れば道行く人の大学の偏差値で楽しんでいます。

旧来メディアだって、受験の参考書や勉強法の書籍は書店に大量にあり、教育とはなんたるかを語るコンサルタントはいくらでも見つけられます。これを教育の商業化と言わずして何と言うのでしょうか。

商業化されるのは別に高校野球に限った話でもないのです。

「高校野球をビジネスの種にするな」
とか、
「高校球児を金儲けの材料にするな」
とかいう批判も、またその批判を無視するのも、もっと大きいカテゴリーでの商業化が止めようもない時点で意味が無い気がするのですよね。

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