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ガンバの「攻撃サッカー」という呪縛

ガンバ大阪のサッカーと言えば攻撃的なサッカー!
と言うイメージは多くのガンバサポーターやJリーグファンにあると思います。特にそれが根付いたのは、10年間続いた西野朗監督時代なのは間違いありません。

10年間攻撃サッカーをし続けて、うち8年間が年間3位以上の順位で、リーグ優勝1回、ナビスコカップ優勝1回、天皇杯優勝2回、ACL優勝1回という輝かしい成績を残しました。この功績をたいしたことないと否定する人はいないでしょう。

96年のアトランタ五輪で守備重視のサッカーをせざるを得なかった西野監督が、大会後にサッカー協会からは守備的で将来につながらないという低評価を受けましたが、その後の柏レイソルとガンバ大阪での成功で覆しました。

ただ、多分彼の著書に書いてあったはずですが、2002年にガンバ大阪の監督に就任した時点で、守りを固めて勝つサッカーよりも攻撃的に出るサッカーに向いている選手が揃っていたから攻撃的なサッカーをしていた、という理由もありました。

よく見ていた私自身、守りを固めるマインドは選手にもあまり無かったように思います。2005年のホーム鹿島戦で、後半終了間際に勝ち越して3−2になったのに、その後も攻め続けてほぼみんな敵陣に上がり、カウンターを食らってあっけなく失点して3−3のドローに終わった試合では、ゴール裏(まだ芝生でした)にいた私はなかなかの精神的ダメージを食らいました。

そうは言ってもその年の最終節では、家長が得て遠藤が決めたPKで3−2と勝ち越した後も攻め続け、フェルナンジーニョが退場して10人になっても最後にアラウージョが決めて4−2で逆転優勝を決めました。

攻撃サッカーは当然ながら観ていて楽しいです。しかし攻撃ばかりで守備が整備されていないと悲惨なことになるという教訓は、2012年を見ていたガンバサポなら誰でも胸に刻み込んでいるはずです。

あの年のガンバはJ1チームで最多得点、得失点差もプラス、だけど17位で降格しました。早々に引き継いだ松波監督も大変だったと思いますが、後半17試合だけで見れば4位の成績でしたし、天皇杯は準優勝でした。本来の力を出せれば降格するはずではなかったと言えます。しかし、それまでにない熾烈な残留争いだったこともあって残念ながら降格してしまいました。やはり守備組織の構築失敗がもたらす惨禍は忘れるべきではありません。

2018年にももう一度同じ失敗をガンバはしそうになりました。その時は途中で引き継いだ現任の宮本監督が途中で何とか立て直して終盤の9連勝で一気に中位まで順位を上げてフィニッシュしましたが、一時期は最下位で17位とも差のある状態もあった以上は、やはり固いサッカーも必要なときには必要と思わざるを得ません。

2019年もウィジョ・食野・中村敬斗とレギュラー格のFW3人が夏場に移籍するという事態もあって一時は残留争いに加わっていました。昨シーズン、ようやくほぼずっと上位にいて最終的には2位で終えたという結果は、守備的でつまらないという一部の評価と引き換えに得られたとはいえ、長い目で見てようやくガンバのチームとしての実力が上向いてきた証しです。

2010年代に入って、2012年・2013年を除けば一番悪かったのは長谷川監督時代の最終年である2017年でした。2014年・2015年をピークにチーム力は落ちていっていましたが、宮本監督が引き継いでから何とか右肩上がりを続けています。

そしてこの2021年で、守備は計算できるので攻撃強化、という目算の元、
レアンドロ・ペレイラ
チアゴ・アウベス
というJリーグで実績あるFWを2人獲得できました。中盤のチュ・セジョンも加わり、昨シーズン終盤怪我で離脱した井手口が不在になっても中盤の守備に安心感をもたらすでしょう。これまでの補強は堅実かつ効果的だと思います。

さらにもう一人、いろいろTwitter界隈ではウェリントン・シウバの獲得がささやかれていますが、それはともかく、守備を固めつつ攻撃力を強化して、さらに強いガンバを作る、という方針は松波さんも宮本監督も一致しているのではないでしょうか。

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