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おはようございます。ここ数日、晴れ間がなくてですね、洗濯したものが乾かないという、非常に所帯じみた悩みを背負い込んでおります。

責任ある立場の者はやがて引退し、次の人にその責任をバトンタッチするわけですが、その時に往々にして語られる言葉がありまして、すなわち「一人で背負いこんじゃいけないよ」。
 そうアドバイスる(アドバイスをする)先輩もけっこう少なくないのではないか。上級者責任というものは一人一人が通常持っている個人的責任範囲を超えて、組織的責任が一人に集中すること。あるいは、何かあった時の担保が上級者一人に集中することを組織的責任と呼んでいいと思うんです、やや分かりにくい説明になりましたが。
 一人の人間が何かに失敗すればその担保保証を行う。それは通常の一人分の個人的責任である。しかし集団や組織によって、個人が実現できない成果をもたらすプロジェクトが遂行される場合、失敗した時の損失は誰か一人では背負いきれないんですね。そのために、一般的に損失は参加したメンバーが応分に分担する。
 でも、組織であるからには一定のピラミッドのような形をしてるので、上級者の中に責任者ってのがやはりいるわけですよ。損失はいったん責任者が形式的に背負い、具体的な担保保証は話し合いなどによって決められ、普通は責任者一人では背負わないと思います。ムリですから。
 でもねでもね、そこがまぁなんちゅうか、人情と言うか浪花節と言うか、リスクによる損失、じゃねえや、リスクや損失というものは責任者が引き受ける、という建前に責任者の美学がある。もちろん、そんなのはナンセンスですよ。しかし、指揮系統・命令系統が機能する限り、指示や命令を出す者は個人の補償限度を超えるリスクを背負って当然だみたいな風潮がありますよね。そのへんの空気が根強いために、多くの働く人たちは管理職になりたがらないんですね。
 じゃ、管理職になった人はなんで管理職になったの?やっぱりどっか、その、リスクを負う代わりに指示を出す立場に立ちたいという歪んだ美学というものがね、やっぱあるんじゃないのかなって思うんですよ。それがポジティブな方向に作用すればいいんですけど、ネガティブな方向に走っちゃうと手に負えない。

ま、確かに、管理職になりたがらないという人の気持ちはわかります。管理職になっていろんな責任を背負い込み、労働時間が延長し、それでいてボーナスが増える保証はない。だけどまあ、レールに乗っかってる以上、そしてレールから降りることができない以上、そのまま終点に向かってバク進するしかないのかもしれませんね。


さあ、4月もそろそろ終わろうとしております。5月が迫っています。私が言いたいのは5月病ですよ。けっこう4月ってのはなんだかんだと年次の変わり目で慌ただしくてそれと気付かないけど、5月に入るとね、急に静かになって、考え出す。考えて考えて、まあ答えはないと思いますんで、考える方が愚かなのではないかと私は思うんですけど、それでも考えちゃうんですね。なぜなら、人間は考える雑草であるから。そんなとこでしょうか。さようなら

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