見出し画像

Deepfake Drakeとパブリシティ権のマルチモーダル化

Deepfake Drake

生成AIの話題が尽きない日々だが、最近興味深かったトピックに"Deepfake Drake"がある。

ghostwriter977というtiktokアカウントが、"Heart on my sleeve"という曲をアップロードしたのだが、ボーカルにAIで生成されたDrakeとThe Weekndの声があてられていた(ビートとリリックはおそらく自作)。
Drake・The Weekndのいずれも時代を代表する超著名アーティストだが、この曲に本人は関わっておらず、無断で作成された。

この"Heart on my sleeve"は瞬く間にバイラルヒットとなり、TikTokで1000万再生を突破したほかSpotifyでもかなり再生されたようだが現在はいずれのプラットフォームからも削除されたようだ。
事の顛末はこのあたりの記事に詳しい。

ほかにも、"AIアリアナ・グランデがNewJeansの曲を歌っている動画"や"AIトラビス・スコットがTwiceの曲を歌っている動画"など、著名アーティストのボーカルを使った無数のコンテンツが次々とアップされている。

こうした"著名アーティストのAIボーカルによる楽曲制作"現象について、日本法に照らした法的な整理と展望を考えてみたい。

著作権 - 声自体に著作権は発生しない

まず著作権が問題になるが、上で挙げたDeepfake Drakeのようなケースは基本的には著作権侵害にならないように思われる。
なぜなら、著作権というのはあくまで具体的な表現を保護する制度であって、具体的な表現を離れた何かを保護する制度ではないからである。

これは"アイディア・表現二分論"と呼ばれる著作権制度の基本的な原理で、日本の著作権法のみならず各国で広く受け入れられている。
例えば、絵であれば具体的な(あるいは特定の)絵を離れた"作風"自体は著作権制度で保護されないし、小説であれば具体的な文章を離れた"文体"自体は著作権制度で保護されない。
具体的な表現の裏側にある"アイディア"は著作権の保護から外し模倣可能にすることで、文化を発展させようという発想だ。

Deepfake Drakeのケースにこれを当てはめると、DrakeやThe Weekndの"声"(声質であったり発声の仕方の特徴であったり)自体は著作権で保護されない。著作権で保護されるのはDrakeやThe Weekndの特定の楽曲だが、声をAI生成することは特定の楽曲を真似ていることにはならない。

これと別の角度から、AI生成する前段階で、AIをトレーニングする際に学習データとしてDrakeやThe Weekndの曲を用いていることは著作権侵害にならないか、という論点もあるが、こちらも基本的には著作権侵害にならないように思われる。
なぜなら、日本では著作権法30条の4第2号というAI学習を見据えて設けられた規定があり、AI学習目的での他人の著作物の利用は無断であっても著作権侵害にならないとされているからだ。

第三十条の四 著作物は、次に掲げる場合その他の当該著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合には、その必要と認められる限度において、いずれの方法によるかを問わず、利用することができる。ただし、当該著作物の種類及び用途並びに当該利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない。
(中略)
 情報解析(多数の著作物その他の大量の情報から、当該情報を構成する言語、音、影像その他の要素に係る情報を抽出し、比較、分類その他の解析を行うことをいう。第四十七条の五第一項第二号において同じ。)の用に供する場合
(後略)

もっとも、30条の4も万能ではなく、他人の著作物を無断でAI学習に用いることができない例外として但書が用意されている。具体的には、「著作権者の利益を不当に害する」に該当する場合にはAI学習に用いることができない。
しかし、この但書の適用範囲は相当限定的に捉えられるというのが立法趣旨に照らして素直で、また一般的な考え方と思われ、Deepfake Drakeのケースで但書に該当すると主張するのは容易ではないと思われる。

そうすると、Deepfake Drakeのようなケースで著作権侵害を主張するのは基本的に難しい、ということになる。

※なお、上で紹介した"AIアリアナ・グランデがNewJeansの曲を歌っている動画"や"AIトラビス・スコットがTwiceの曲を歌っている動画"については、既存楽曲が使われている以上著作権侵害の主張は可能だ。ただ、その場合の著作権侵害の被害者は曲が使われているNewJeansやTwice(の曲の著作権者)であって、声がAI生成されたアリアナ・グランデやトラビス・スコットではない。

パブリシティ権 - 声にも発生するか?

それではAI生成ボーカルを使用された著名人は泣き寝入りするしかないのか。
著作権とは別の権利として、著名人には"パブリシティ権"という権利が認められている。

これは法律で明記された権利ではなく、判例上認められた権利だ。
2012年のピンク・レディー事件判決(最判平成24・2・2民集66巻2号89頁)で最高裁により肯定された。

最高裁の判示は以下のとおり。

人の氏名,肖像等(以下,併せて「肖像等」という。)は,個人の人格の象徴であるから,当該個人は,人格権に由来するものとして,これをみだりに利用されない権利を有すると解される(中略)。そして、肖像等は,商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり,このような顧客吸引力を排他的に利用する権利(以下「パブリシティ権」という。)は,肖像等それ自体の商業的価値に基づくものであるから,上記の人格権に由来する権利の一内容を構成するものということができる

つまり、パブリシティ権とは、"肖像等にある顧客誘引力を独占する権利"であるといえる。顧客誘引力とは、字義どおり顧客を商品やサービスに引き寄せ獲得する力のことである。

上記最高裁判決によれば、パブリシティ権侵害の要件については、「肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用」したような場合など、「専ら肖像等の有する顧客誘引力の利用を目的とするといえる場合に、パブリシティ権を侵害するものとして、不法行為法上違法となる」とされている。

Deepfake Drakeのようなケースでパブリシティ権を主張することはできるか。
まず、無断でアーティストの氏名を使っているとしてパブリシティ権を主張することが考えられる。
しかし今後は、アーティストの氏名は曲のアップロードページ等に使われていないが、声はアーティストのものがAIで再現されている、というケースの出現も予想される。
この場合は、"声にパブリシティ権が発生するのか"が問題になる。

パブリシティ権の典型的な発生対象は、氏名又は肖像である。
もっとも、上記最高裁判決はパブリシティ権の発生対象を「人の氏名、肖像等」としており、氏名や肖像以外にもパブリシティ権が発生することを想定していると思われるが、声が該当すると想定しているかどうかまではわからない。

声にパブリシティ権が発生するかどうかについて掘り下げた議論は必ずしも多くは見られないが、私見では、声にも顧客誘引力がある限りでパブリシティ権を認めるべきではないかと思う。

まず、氏名や肖像にパブリシティ権が認められる一つの根拠として、それらが個人の人格の象徴であることが挙げられているが、声についても個人の人格の象徴としての性質は十分あるのではないかと思う。声には一人一人固有の特徴があり、声によって個人を識別可能である点で氏名や肖像と共通しているためだ。また、肖像と同様に、アーティストなど著名人の声には顧客誘引力があるのであるから、パブリシティ権を認めてこれを保護する必要性もある。

したがって、声にパブリシティ権は認められるべきであり、Deepfake Drakeのようなケースでは、(例えアーティスト名は使用されておらずとも)アーティスト側の法的対抗措置としてパブリシティ権侵害の主張を用いることが可能ではないかと思う。

パブリシティ権のマルチモーダル化

Deepfake Drakeを起点とした考察だったが、これは広くは”パブリシティ権のマルチモーダル化”という概念で捉えるべき問題ではないかと思う。

AI技術は日進月歩の勢いで進化し、これによりマルチモーダル化(=生成AI文脈では、テキスト、音声、動画等複数フォーマットの情報をAIが取り扱い、又は生成すること)が進んでいる。
Deepfake Drakeも、AI技術のマルチモーダル化により生み出された現象だといえる。

このような現象に法的に対応するためには、”パブリシティ権のマルチモーダル化”が求められると思う。パブリシティ権の側も、技術のマルチモーダル化にあわせて"マルチモーダル化"の議論・検討が必要になる。パブリシティ権のモーダル的外延を画するにあたっては、パブリシティ権が人格的権利であるという点に照らして、問題となるモーダルと個人との人格との間にどの程度結びつきが認められるか、という点が一つのポイントになると思われる。

Deepfake Drakeでは声の問題が顕在化したが、今後は別のモーダルの生成が問題になる可能性がある。例えば、著名人の特徴的な動作・仕草の生成があり得るかもしれず、注視が必要だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?