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週刊オールライター第8号 2022のHISASHINJOを振り返る

 こんにちは。HISASHINJOです。noteのロゴマークが12月21日に変わってから初めての投稿になります。本日はクリスマスイブ。皆さんいかがお過ごしですか?私は今年最後の授業を受け、その後に親戚の集まりに出席、その移動前にこれを配信するという多忙スケジュールですw
今回は「2021を振り返る」記事を配信いたします。
「2021を振り返る」
ということで、世の中のニュースの振り返りをしようかなと思ったのですが、
芸能関係及びゴシップ等のニュースは選出してそれに対する私の持論をぶつけてしまうと、誤解を与えたり炎上の火種になってしまう恐れがあるためなるべく避け、今回は私の身の回りに起きた出来事を中心に振り返ります。

1月「学生証の効力を実感」

 ある日私は何気なく大学のサイトから「キャンパスメンバーズ」のサイトを見ました。一部の大学では博物館や劇場などと「博学提携」を結び、学生証提示で通常展示無料、特別展割引などの「効力」が卒業・退学まで与えられます。その中で見つけた江戸東京博物館のサイトに飛んだのですが、そこで
「2022年4月1日をもって全面リニューアルのため2025年まで閉館」
という告知を見つけて腰を抜かしました。
このニュースは、今まで学生証提示を利用して自分から行ってみた経験がほぼない私に焦りを覚えさせました。ちょうどチューターさんとの面談で
「行動力」「鉄は熱いうちに打て」
ということを話したばかりだったので
「これは行かないと本当に後悔するから行くなら今しかない」
と考え、急遽行くことになりました。
そして行った当日、私は
「もっとこの効力を使いたい」
と考え、幼少期から幾度となく行ったことのある科博(国立科学博物館)にポケモンと恐竜がコラボした巡回展がくるとの情報をつかみ、ポケモン好きの従兄弟を誘いました。科博もまた、常設展は学生証提示でタダになり、特別展も特別展チケットの料金から常設展の料金を引いた金額を払えば入れるのでとても得になるだけでなく、ポケモン好きの従兄弟と行けばより楽しめると考えたからです。
しかしそのチケットは残念なことに瞬殺の連続で諦め、都内全てのポケモンセンターを巡ることにしました。
とはいえ、博学連携の効果を実感した私は11月には授業が潰れて暇な時間ができた際に江戸東京博物館の分館的存在である江戸東京たてもの園、東博(東京国立博物館)での特別展ついでに常設展に、翌月にも、授業のレポートに関するネタを求めたついでに科博に行っています。
まだ行けていない施設も山ほどあるので今後もたくさん行こうと思っています。

この建物は鉄道会社シュミレーションゲーム「A列車で行こう9・A列車で行こうExp.」にも登場しています。

2月「両親が相次いでコロナ感染」

 2月初旬、私の母がコロナ陽性になりました。同居している父も私も濃厚接触者になり、2月はしばらく外に出れませんでした。さらに運の悪いことに父子共にかかりつけ医で受けたPCR検査の結果、父が陽性に。(私は陰性でした。)本当に辛かったです。祖母からの食糧援助もあってなんとか暮らしていましたが、かなり大変でした。感染防止のため寝る時間以外は1人でリビングにずっといて、ゲームやYoutubeを見て、援助された飯を食い、風呂を洗って犬の散歩もして寝るという、寂しい時間を過ごしました。また、健康観察も自主的に強化し、その期間飲み物は味覚障害の確認のため水ではなく、麦茶やジュースなどの「味のある飲み物」しか飲みませんでした。母が復帰できた時は本当に嬉しかったです。

列車から見えた富士山。
この写真を撮る日まで鉄道乗車を自粛していました。

3月「プロ野球開幕‼︎ しかし・・・」

 ついに開幕した2022プロ野球でしたが、シーズン序盤は私自身、楽しくありませんでした。阪神が開幕戦で大差をひっくり返されて大惨敗して以降、全く勝てなかったのでした。
「推しチームが勝つ喜び」
がなくなり、今季はこのままビリだとも思っていたくらい悲惨でした。ですがその後オールスター前最後の試合で借金を完済するなど復調し、ダントツでV2となったヤクルトには及びませんでしたが、最終的に阪神は3位という成績になり、まさかのAクラスフィニッシュとなりました。矢野燿大監督、ありがとう。そしてお疲れ様でした。
矢野前監督は良い監督だと思います。

本当に悲惨な開幕からは考えられないAクラスフィニッシュ。
色々と批判はありますが、矢野前監督はAクラスから1度も落ちなかったので良い監督であることに変わりはありません。

4月「川口オート観戦デビュー」

 ある時父は私に
「川口行こうか」
と誘ってくれました。私が森且行選手のことを尊敬していることは両親共に知っているので、父は気を利かせてくれたのでしょうか。当時の私は19だったので1人で入れないのでその気遣いもあると思います。
雨が降る中、川口オートレース場に行きました。私が行った時は、人気レーサーの黒川京介選手と佐藤摩耶選手が同じレースで競ったこと、雨に強い増田伸一選手が安定した走りで1着だったこと、スーパールーキー佐藤励選手が初めての湿走路でも2着だったことなど、私を興奮させるレースが展開されました。人生初の「ギャンブル飯」として、もりのやのモツ煮を食べましたが、臭みがなくてとても美味しかったです。
 次は森選手がいつか復帰したら1人で行く、と決めていましたが、それが早くもやってくることになるとは、この時は想像できませんでした。
詳細は11月の欄に書いてあります。

川口は6月頃から舗装工事でレースができませんでいたが、12月から再開されました。

5月「上島竜兵さん突然の訃報」

 この件に関しては、私の人生で最も死にかけた出来事でした。山手線の乗車中にこのニュースを知った時はもちろん驚きましたが、私のトラウマワードである「自◯」「◯◯り」というワードが出てきた時、トラウマでパニック症状を起こし、死にかけました。本当に命の危険に晒されました。そして自分の命をつなげるために、私の好きな乗り鉄をして気を落ち着かせることにしました。
その詳細をここで書くと記事が1本かけるくらいの超大作になってしまうのでここでは割愛し、上さんの1周忌にあたる5月11日にその当時の心境・状況を書いた臨時特別号を配信させていただきます。
以下の写真は、乗り鉄中に撮ったものです。

とにかく生きるために必死でした。
目的地も決めず、自分の命のことだけを考えて乗り鉄しました。
大船駅。この頃にはだいぶ落ち着き、ここで帰宅しました。
ですが万一のことを考えてメディア媒体にはほぼ触れませんでした。

6月「通勤ライナーにハマる」

 この頃乗り鉄でハマったのが「通勤ライナー」でした。乗り鉄というニーズ外の客なので正直迷惑だったかもしれないですが、なかなかない経験をしました。6月は東武鉄道のTJライナー、西武鉄道の拝島ライナーに乗りました。このほかにも多くの列車が運行されているので、乗りに行きたいと思っています。

私鉄にライナー列車が増えるきっかけとなった東武鉄道の「TJライナー」。
西武鉄道の「拝島ライナー」。

7月「安倍晋三元首相銃撃事件」

 大学で歴史を学ぶ身としても考えさせられたと同時に、私自身も恐怖に陥りました。7月8日、奈良県・大和西大寺駅前で応援演説をしていた安倍晋三元首相が銃殺されるという衝撃的な事件が起きました。
私も正直怖かったです。私は犯人の動機について「逆恨みからの犯行」と考えましたが、私の性格を考えた時、こうなり得ないと考えると怖くなりました。しばらくは私も精神のコントロールがいつ大きく乱れるかわかりませんでした。
なお、10月末頃にはTwitter上でのトレンドにトラウマワードが入っていたことでTwitterを休止せざるを得なくなり、それが1日経って落ち着いてきたと思ったら、私の好きなグループにいた元アイドルが週刊誌の報道被害によって引退を余儀なくされるニュースを聞いてしまったことによる激しい憎悪によってTwitter休止を1日延長せざるを得ない状況に追い込まれているため、5月、7月、10月は感受性が強い私にとって辛かった日が起きました。最も、5月11日の頃の方がもっと辛かったのですが。(人生で一番死にかけたから)

8月「青春18きっぷで宿泊遠征」

 上記2つの過去記事にも書いたことですが、8月には初めて青春18きっぷを活用した遠征をしました。

373系の普通列車。
この旅の第1目的です。
第2の目的「313系8000番台」。
観光も欠かすことはしませんでした。
徳川家康が隠居していた駿府城跡です。
寄り道乗り鉄の静岡鉄道。
18きっぷ利用者にとっては心強い
「ホームライナー」。
「炭焼きレストランさわやか」のげんこつハンバーグ。
飯テロ特別警報レベルのルックスでしょう。
武田信玄公の銅像。
今に生きてたらなぁ・・・

9月「一家で大阪に行く」

 9月初旬、一家で大阪に行きました。のぞみで一路大阪へ。
Be ambitious〜

初めての大阪上陸。
初めての環状線が221系とは・・・

 まずは大阪城公園に行きました。豊臣秀吉が築城した天下統一の象徴です。

大阪城。
ここは外せないでしょう。

 歴史的建造物を堪能した後は、森ノ宮漫才劇場「マンゲキ」でこの旅1回目のお笑い観賞。若手芸人のアグレッシブな笑いの世界を楽しみました。
 終わった後は地下鉄を乗り継ぎ、道頓堀へたこ焼きを食べに行きました。

引退秒読みの201系。
記録するならお早めに。

 帰りに乗った大和路線の車両が引退秒読みだった201系だったのはとても嬉しかったです。

道頓堀のグリコ看板。

 そして2日目、なんばグランド花月に向かいました。新喜劇の前に漫才などの時間があり、たくさん笑いました。そしてメインの新喜劇。私が見たのは
「ドリルすんのかいせんのかい」
というギャグでお馴染みの、すっちーさん(座長)と吉田裕さん(リーダー)のコンビのチームでした。しっかりと
「わーお‼︎わーお‼︎わーお‼︎わっ、来うへんのかい‼︎」
「毛細血管がいっぱいつまってるとこ脇‼︎(ワーキ‼︎)」
「ドリルすな‼︎すな‼︎すな‼︎・・・、顎、つま先、脇やめろ、ドリルせんのかーい‼︎」
が見れました。抱腹絶倒。前のめりになりながら笑い転げました(笑)。

NGKことなんばグランド花月。

 その後NGKの中にある「千とせ」で名物の肉吸いを食べ、この後もNGKでお笑いを見る両親と別れて乗り鉄をしました。まずは京阪特急の指定座席車「プレミアムカー」で葛葉に向かいました。

京阪特急です。伝統の色を纏います。

 葛葉にあるショッピングセンター「くずはモール」には、先代の京阪特急であり「テレビカー」と呼ばれて人気のあった初代3000系が展示されています。

「テレビカー」こと初代3000系。
長らく看板特急として走りました。

 葛葉で京阪の歴史に触れ、シュミレーターを楽しんだ後はプレミアムカーで京橋に戻り、京阪京橋駅名物「アンスリーのフランクフルト」と「ジューサーバーのミックスジュース」でおやつにしました。一度「キメて」みたかったので満足しました。

京阪京橋駅の名物おやつセット。
かつて日テレで放送されていた「笑神様は突然に・・・」で紹介されたのを見て知りました。

 その後門真市に向かい、大阪モノレールに乗りました。

大阪モノレールから見える太陽の塔。
次は目の前で見たいです。
大阪モノレールはかつて「世界一長いモノレール」でした。

 万博記念公園を横に見ながら山田に向かい、山田からは阪急電車で梅田に向かいました。

関西セレブの間では阪急沿線に住むことは憧れのようです。

 そして梅田からは、私の悲願だった阪神電車に乗車します。私は阪神タイガースファンの鉄オタでありながら、タイガースの親会社である阪神電車に乗ったことがないので「乗っておかなくてはいけない」と思い、乗ることにしました。悲願が実現して本当に嬉しかったです。

阪神タイガースファンとして乗っておきたかった阪神ジェットカー。
加速性能は新幹線にも引けを取りません。

 梅田から尼崎を経由して京セラドーム大阪の前にあるドーム前に向かい、長堀鶴見緑地線、千日前線と2つの地下鉄を乗り継いでNGKに戻りました。

「人のうめき声が聞こえる」と中川家礼二さんにネタにされたOsaka Metro長堀鶴見緑地線。1990年に鶴見緑地にて大阪で2回目の開催となった万博「国際花と緑の博覧会」にあわせて開業した路線です。
千日前線。いろいろあって結構評判は悪いみたいです。

 NGKには戻りましたが、お笑いライブが遅延していて合流が遅れ、夕飯は串カツを食べることにしました。

御堂筋線に乗り入れる北大阪急行電鉄の車両「初代ポールスター」。
置き換えが進んでいます。

 そして迎えた3日目は、USJで遊ぶことにしました。関空・紀州路快速で西九条に向かい、桜島線に乗り換えてUSJに向かいました。

大阪環状線を走る「関空・紀州路快速」。
和歌山や関空から西九条まで乗り、桜島線に乗り換えればUSJまで乗り換え1回ですみます。
ウッディ・ウッドペッカーとウィニー・ウッドペッカー。ちなみに帰り際には、エルモが姿を見せてくれました。

 USJで乗ったアトラクションは以下の通りです。
①アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド4K3D
②ミニオン・ハチャメチャライド
③ジュラシックパーク・ザ・ライド
④マリオカート〜クッパの挑戦状〜
⑤ジョーズ
⑥ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー
 中でも「ジュラシックパーク・ザ・ライド」は、恐竜オタクの私リクエストで乗りました。本来ならここのリストに「ターミネーター」が入る予定でしたが、換気が難しい構造が祟ったことによる当面クローズによって入れませんでした。

恐竜オタクの私リクエストで乗ったジュラシックパーク・ザ・ライド。
ただ、最後のずぶ濡れが想像以上だったので、マスクがお釈迦になるほど悲惨なことになりましたが、とても楽しかったです。
「スーパーニンテンドーワールド」で姿を見せたキノピオ。
甲高い声で「ハーイ」と聞こえてきそうな瞬間。
JAWSのアトラクション前にあるJAWSのモニュメント。
このアトラクションのキャストさんの演技はクッソ上手いことで有名で、YouTube界隈ではそれに注目した動画がアップされてるほどですw
USJにおける鉄オタのポジ要素「ホグワーツエクスプレス」。
フロリダ州オーランドのユニバーサルスタジオでは乗ることもできるそうです。

 最後まで「No limit‼︎」な1日でした。メーターが振り切れるくらい遊びまくりました。

焼肉の街鶴橋で撮ったスーパーニンテンドーワールドの広告を施した323系。
「走る配管工」と呼ばれているとかいないとか・・・

 夕飯は西九条で大阪環状線に乗り換えた先にある鶴橋で焼き肉を食べました。
そして最終日、再びNGKに行った両親とは別に、私は大規模な乗り鉄を敢行しました。母は大のお笑い好きで、大阪に行く目的がお笑い鑑賞かというくらい楽しみにしていたようでした。

草津〜西明石の複々線。
関東では考えられません。

 まずは乗っておきたかった和田岬線の103系に乗りに行きました。JR東西線の北新地から尼崎に出て新快速と普通を乗り継いで兵庫へ。
和田岬線で使われる103系は廃車の噂が後を絶たないですが、今のうちに乗れてよかったです。

「国電」の代名詞、103系。
本当に乗れてよかったです。

 そして神戸に戻り、神戸からは神戸高速・阪急で十三へ向かいました。

山陽姫路から阪神大阪梅田に乗り入れる特急に使用される山電5000系リニューアル編成。
直通特急には、阪神タイガースのプレートが掲げられています。
山電3000系。基本的に阪急神戸三宮〜山陽姫路の普通列車に用いられます。
甲子園球場100周年記念ラッピングの阪神電車。阪神ファンとしても記録しておきたかったので嬉しかったです。
阪急神戸線の特急乗車中、ミッフィー号とすれ違い。
SDGsトレインとすれ違い。
同人ゲーム「電車でD」にも登場した車両にラッピングされています。

 十三で神戸線から京都線に乗り換えて淡路に向かいます。

黒系の塗色とその巨体から「マンモス」というあだ名がついたEH10型電気機関車。
現存するのは淡路にいるこの61号機です。

 淡路に来た目的は、現存唯一の「マンモス機関車」ことEH10-61を見ることです。ちなみにこの近くにはDF50型ディーゼル機関車も保存されているそうです。

阪急電車は、1970年代の車両がまだまだ現役で走っています。
この5300系も1972年製です。

 昼飯を取るため、一度梅田に戻りました。
梅田からは阪神に乗って尼崎に向かった後、近鉄直通の快速急行に乗って近鉄日本橋に向かいました。

阪神ジェットカー。
4両で運行される普通列車は、シルバージェットと呼ばれるこの車両への置き換えが進んでいます。

近鉄特急の代名詞「アーバンライナー」。
大阪〜名古屋ノンストップ特急の座は後輩の「ひのとり」に譲りましたが、今でも人気を誇ります。
1駅だけ乗ったOsaka Metro堺筋線。
Osaka Metro唯一の通常の電車方式で運転されています。

 その後は地下鉄堺筋線で恵比須町に出て大阪唯一の路面電車である阪堺電車に乗りました。あびこ道行きで住吉大社に向かい、そこで天王寺駅前行きに乗り換えて天王寺・大阪阿部野橋へ。

大阪唯一の路面電車「阪堺電車」。
ただ、恵比須町周辺は治安が悪いと不評です。

 大阪阿部野橋からは近鉄南大阪線で針中野に向かいました。

近鉄南大阪線・長野線・道明寺線・御所線は、一部を除くJR在来線と同じ線路幅の1067mm軌間を採用しているため、新幹線の線路幅と同じ軌間を広く採用している近鉄の中では異色の存在です。

 針中野から近くにあるOsaka Metro谷町線の駒川中野まで歩き、谷町線で天王寺まで戻りました。 

沿線にお寺が多く存在することから、仏教の色の中では最も気品の高い色である「紫」を路線色に採用している谷町線。

 なんばからはこの旅で何度も使っている御堂筋線でなかもずに出ました。

Osaka Metroで唯一大阪市の外に駅がある御堂筋線。
新金岡と中百舌鳥の2駅は堺市にあります。

 なかもずからは南海高野線の普通列車と泉北高速鉄道からの南海直通でなんばに向かいました。

南海の最新車両8300系。堺東で区間急行に乗り換えました。
南海電車に乗り入れる泉北高速鉄道。
難波から泉北ニュータウンまで乗り換えなしの普通・区間急行や、「泉北ライナー」が設定されていて、とても賑やかなニュータウン鉄道です。

 そしてなんばからはいよいよラストスパート。地下鉄四つ橋線で住之江公園へ。

Osaka Metro四つ橋線。
大阪駅に近い西梅田から大阪臨海部を難波経由で結びます。

 住之江公園からは新交通システムのニュートラムでコスモスクエアへ。

「ニュートラム」と呼ばれる南港ポートタウン線。
地下鉄同士の乗り継ぎの役割も果たします。

 コスモスクエアで地下鉄中央線に乗り換えて本町に出て、大阪最後の鉄道乗車となった御堂筋線で新幹線との乗り換え駅である新大阪に向かい、大阪での鉄道乗車を終えました。

中央線を走る20系は、新型車両に置き換えられますので記録するならお早めに。
大阪最後の地下鉄乗車を終えて千里中央行きを見送る。
堺筋線、長堀鶴見緑地線、今里筋線以外の路線に導入されているこの新20系は、大阪市営地下鉄時代からのOsaka Metroの顔です。

 そして両親と合流して夕食をとり、新幹線で帰りました。

N700Aのロゴマーク。
新製された時からN700Aの車両は「A」と呼ばれています。

10月「日本の鉄道開業150周年」

 2022年10月14日は、我々鉄道ファンには忘れられない1日になりました。1872年のこの日に、日本で初めての鉄道が新橋〜横浜で走り始めてから150年を迎えたからです。私は大学の授業が終わるとすぐに乗り鉄をしました。
まずは新橋停車場に向かいました。

旧新橋停車場。日本の鉄道の歴史はここから始まりました。
新橋駅のシンボル「C11 292」。
当日はSL広場でイベントが行われていました。

 そして駅の券売機で
「新橋→桜木町」
のマルス切符を買いました。
開業当時の横浜駅は今の桜木町駅です。

日本初の中間駅品川駅。
開業当時は海に近かったそうです。
近頃、乃木オタ界隈で「さくたん駅」とも呼ばれているらしい川崎駅も開業当時を知る駅です。
日本の鉄道は新橋と今の桜木町を結ぶ線路から始まりました。
日本初の路線を走った110号蒸気機関車。
元々は青梅鉄道公園に保存されていましたが、2018年に鉄道開業150周年プロジェクトの煽りで桜木町に「里帰り」をしました。

 鉄道開業150周年を鉄道発祥の地である新橋と桜木町でお祝いした後は、特急を乗り継いで帰宅しました。せっかくの鉄道に関する記念日ですから、普通列車で帰るのも何か勿体無いしつまらないと感じたからです。

鉄道の日記念乗り鉄の贅沢として、日中運転が復活したばかりの成田エクスプレスに横浜から東京まで乗りことにしました。
成田エクスプレス専用の乗車口案内。
大宮〜新宿、高尾〜八王子が廃止されているため、何回か見ているのにも関わらず、初めてみたような感覚になりました。

11月「森且行選手に復活の目処がたつ‼︎」

 私の尊敬する人はオートレーサー・元SMAPの森且行選手です。
森選手は、SMAPから転身する際にファンや5人(なかま)に
「お互い日本一になる」
と約束して芸能界から飛び出し、そこから度重なる大怪我、スランプ、SMAP解散という大きな試練を乗り越え、2020年11月に見事日本一を掴み取ったのです。その姿勢に私は感動し、心の底から
「こんな人間になりたい。森選手こそ私の思う『人間の理想像』である。」
と思うようになり、いつしか「尊敬」へと昇華したのです。
ところが、2021年1月に飯塚オートレース場でのレース中に落車事故で大怪我を負ってしまい、長い間リハビリが始まりました。事故直後、誰よりも先に「SMAP(なかま)」の中居正広さんから
「神様は乗り越えられる人にしか試練を与えないと聞きます。」
という激励のメッセージを受け取り、5人体制の頃のSMAPで好きな曲であると公言する「前に!」を聞いて日々の活力としていた森選手。彼は「20年以上も約束を守るまで諦めなかった」素晴らしい性格ですから、神様も一筋の希望を与えてくださったのでしょう。
11月20日、飯塚オートでのトークショーで、森選手は2月を目処に復帰できると発言したのです。
本当に嬉しかったです。復帰したら見に行きたいと思っていますが、入場制限が6000人(クリスマスイブ現在。)とまだまだ厳しい制限な上、「森且行」という公営競技を知らない人でも名前を聞いたことがある有名人ですから人が殺到して復帰後しばらくは制限で入れなさそうなので、2ヶ月ほど間を空けて4月以降に行きたいと考えています。

4月に川口オートに行った際に撮ったポスター。
あと2日もすればスーパースターシリーズが開幕します。
工事用フェンスに貼られた写真の中でも一際目立つ森選手。

12月「さらば485系」

 ゲリラ配信でも悲しみを押し出しましたが、私の大好きな特急型電車である485系が引退したニュースはとても悲しかったです。

本当に悲しいです。


むすびにかえて

 いかがでしたか?今年もいろいろな意味で充実していました。

 最後までご覧いただきありがとうございました。
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 次回の配信は大晦日になります。2022年最後の日に2023年の抱負を宣言します。それでは次回もお楽しみに。

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