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鬱の元凶・加害モンスターと朝まで8時間耐久討論「人を病ませて満足かい?」

僕は好き嫌いがとんでもなく多い人間であることを、自覚しています。

食べ物の好き嫌いも多いし、人間の好き嫌いも相当はっきりしています。

当然ですが、合う人とはとことん仲良くなるし、合わない人とは何があっても仲良くなりません。

個人で仕事をしているため、今は関わる人間を選べる環境にあります。

幸いにして、嫌いな人と関わる機会が少ない方でしょう。

僕が本当に嫌いなのは、「こいつは嫌い」という理由で、相手をとことん攻撃して、心がズタボロになるまで加害する人間

ハラスメントに関する報道を見ていると、未だにこういう加害中毒の人間が結構いるようですね。

人だから好き嫌いはあって当たり前。しかし、嫌いな人間だからといって「相手に心がある」というのを忘れてはいけません。

今日は、人を病ませまくっていたある加害モンスターと対決した過去について記します。

争いを好まない僕ですが、過去に加害モンスターKと対峙して、8時間くらいディベートをして痛み分けに持ち込んだことがありました。

これまでの人生を振り返ったとき、最も許せないと思ったのがこのK。

彼は嫌いな相手を「気に入らない」という理由で、精神が病むまでとことん追い詰めます

今、振り返るとK自身も病んでいだのだと思いますが。

まだ僕が20代の頃。その集団に属していたとき、Kの加害行為により何人もの仲間が鬱状態に追い込まれました。

加害の動機は、彼のストレス解消

その組織の長は、個人主義のため「人が病もうが自分で何とかしろ。俺は関係ない」というスタンス。

問題解決を嫌い、面倒なことには一切関与しない人でした。

そして「病んだ奴が弱い。弱い奴は生きていけない。そんな脆弱な奴は去れ」という姿勢でした。

当時の僕は危機感を抱えており、何度か「先生、このままではここは崩壊しますよ」みたいに訴えかけましたが、「こわっぱが一丁前に何言うとんねん」みたいな感じで、にべもなく、あしらわれました。

やがてKが僕をロックオンしたのがわかりました。

相手を「いじめる」と決めた瞬間から、彼は陰湿な攻撃をしかけるのです。

怖くてしかたなかったのですが、「やるしかない」と腹を決めました。

僕は脆弱ではあるものの、腹を決めたらとことんやり合うタイプ。

「死ねばもろとも」という覚悟でKと対峙し、彼が根を上げるまで夜の10時から朝の6時くらいまで延々やり合いました。

相手を精神的に追い詰める人間は、そもそも人の話に耳を傾けない人がほとんど。

なので僕も表面的に聞いている振りをしながら、彼の意見に賛同しないよう心掛けました。

僕が主張したのは「自分の欲求不満の解消というくだらない理由で、人を鬱に追い込む権利があなたにはあるんですか?」というもの。

ほぼ、この一点張り。

ジャイアン相手に玉砕を覚悟して戦うのび太みたいなものですが、最後はKが根負けしたのか、「議論にならへんわ」と捨て台詞を吐いて帰っていきました。

戦い終えたとき、緊張感が一気に抜けてへなへなとなったのを覚えています。

「死ななくてよかった」くらいに感じていたのかもしれないですね。

僕が予期したとおり、その集団はその後、ほどなくして崩壊。

Kの噂が拡散され「あそこへ行くと鬱になるまで追い込まれる」と知れ渡ったからでしょう。

このとき属していた集団のことは、今でも大嫌いです。

理由は「嫌いな相手がいたら、潰れるまで攻撃せよ」という風潮があり、組織の長がそれを黙認していたから。

トップのポジションに立っていながら、利己主義、個人主義で、器が小さく人と向き合うことを避ける人間は、仕切る立場につくことを、最初から放棄してほしいものです。

しかし、自分を過大評価し「俺は何でもできる有能な人間」と誤認している人ほど、マウントをとりやすい上のポジションにつくことを望むもの。

今、思うとあの集団自体も相当病んでいて、ブラック企業で働いている生気を失った主体性のない人達が多く在籍していました。

仕切っていた組織の長は夜通し、自分の自慢話を語り、イエスマンたちがひたすらそれを首肯する、そんな気持ち悪い宴が毎夜、繰り広げられていたのです。

Kは加害行為の依存症だったので、病気を治さないと恐らく他の場所でも、ずっと人をいじめ続けている可能性が高いでしょう。

病名はついていなかったものの、行為に対する依存症だと思います。

今、僕はあるご縁があって小規模な組織をまとめる立場になりましたが、Kがいた組織に在籍していた経験が役立っています。

どういう人間を入れると、組織が崩壊するかを理解しましたし、またどういう人達が集うようになると雰囲気が良くなるかがわかったからです。

他者を加害しやすい悪質な人間がいると、その組織は瞬く間に悪化し、崩壊への一途を辿ります。

芸能人のスキャンダルが取りざたされると、ここぞとばかりに加害に明け暮れる人達が現れますが、今の病みまくった日本を如実に表しています。

嫌いな人間を叩き続けても、その人の人生は何も変わりません。

一瞬、すっきりするだけで、本人の生きづらさが減るわけがないのです。

「人を攻撃することでしか、溜まってしまった甚大なストレスを発散できない」という病んだ心性自体が、少しも甲斐性されていないからです。

特定の人を異常な叩き方をすることで、自分の人生の問題から目を逸らし続ける、勇気の欠片も持ち合わせない人間が、卑劣で気持ち悪くてしかたない。

そういう人間が、僕は大嫌いです。

嫌いなら付き合わなきゃいいですし、もっと自分の人生をより良くするために、とことん自分の問題と向き合い続ければいいだけの話。

相手の心が壊れるまで攻撃し続けても、何も楽しいことは生まれません。


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