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笑顔ってなんだ?

接客業をしている。
そのため、勤め先では朝礼時に笑顔体操をし、
日報では笑顔評価を記す習慣がある。

初めての勤務日。
店長と向き合い挨拶を交わすとき、店長の笑顔におののいた。
実際にそうしたわけではないが、私の内面で、一歩後ろに引いてしまった。

なぜ、そうなったか。

おそらく家で鏡を見ながら笑顔の練習をしたのだろうなというのが、
はっきりと見えたことと、いわゆる作り笑顔というものだったから。

接客業なので、笑顔は大切。
その笑顔は、ある意味仮面みたいなもの。
だから、顔の筋肉に覚えさせて、
いつだってその笑顔を作り出せるようにするのは、
ある意味プロフェッショナルといえるのだろう。

しかし。
私は、おののいた。
もし、お客さんとしてその笑顔を見たときに、お店から出るかもしれない。

そのとき、笑顔ってなんなんだろう?という問いが生まれた。

笑っている顔。
笑っているって何だろう。

喜んでいる表情?
楽しそうな感じ?

果たして私は、どんな笑顔しているんだろう。
心の中で、え?と思っても、顔は笑っている感じ。
そういうこともあるかもしれない。
だって、目の前にいるのは、お客様。
でも、なんだろう。
それって、いいの?

あるとき、原住民のPaintingfaceについて、話を聞いた。
顔に色や模様を描く。
そのPaintingfaceは、魂の現れだという。
どんな魂の持ち主か、そのPaintingfaceをみたら一目瞭然だという。
私はこういうものですという名刺みたいなものでもあるようだ。

そうか、笑顔もそれと似ているのではないかと思った。
赤ちゃんの笑顔は、魂の現れそのもの。
だから、なぜか、微笑み返してしまう。
思わず見てしまう。
嬉しくなってしまう。

そうか。笑顔って、作ってするものではなく、
その笑顔がどんなであろうと、
その人の内面が表に現れただけのこと。

そうかぁ。
と納得したところで、作り笑顔が習慣になってしまうことだけは
阻止したいと思った。

目の前にいる人、どんな人がいても、その人は私の一部。
それを知っていれば、自然な笑顔になるのかもしれない。

いろんな人に出会える環境ならば、
それだけ、いろんな私の側面を知ることができるわけで、
それは、私という存在の器を広げてくれる。
良い面も良くない面も、どちらもあって私であるのだから、
それを教えてくれる目の前のあなた。

ありがとう。

これでまた、私の内面は統合し、まとまっていくし、
分離感がなければ、より自由になっていく。
そういう感覚でいれば、作り笑顔も必要なくなる。

まるで修行と思っていた環境が、
まるでゲームと思えたとき、
悲劇が喜劇に転じて、
生きるって素晴らしい。面白いと言えるようになるのだろう。

そういう内面が表れたときの笑顔こそが、
その人らしい笑顔になっているのかもしれない。

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