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冬の病院は忙しい 3重苦でも乗り切った週末勤務明け日記

2ヶ月に1回やってくる週末勤務でした。土日ぶっ続けで1週間勤務になるのですが、こんな感じ(過去の投稿)。

そして一般的には他の季節よりも冬の病院は忙しいのです。具合が悪くなる人が途端に増えるし、怪我人も増える、特に冬の朝、雪が積もっているというような明らかな目に見えるリスクよりも、少し凍ったブラックアイスでつるりんっと転ぶ人が毎年多数出現して、週末は何人も何人も足首の骨折の患者さんで大忙しでした。

職業柄あまりスピ的な要素は信じない方だったのですが、note友の影響のせいか、最近はよくそういうことを考えます。週末、働きながらふと思いました。実はやってくる患者さんのパターンには波があります。足首(足関節)骨折の患者さんが一人やってくると、二人、三人、 . . . そして先週末だけで八人まで膨らみました。このパターンは肩(上腕骨)の骨折のパターンになったり、大腿骨骨折のパターンになったり、どうして、同じ場所の骨折がまとまってやってくるのかは偶然の一致とはいえ、何か目に見えない力が影響し合うのかと思うと不思議でたまりません。

先週末は足関節の患者さんが8人

病院には他にも根拠のない言い伝えみたいなものもあり、「Qワード」と呼ばれる迷信があります。仕事中に同僚に It's quiet today (今日はなんかいつもより暇=Quietだよね)と言った途端にポケベルが鳴り始め、いつにも増して忙しくなるので、絶対にQuietなどど言ってはいけないという掟があるのです。この迷信は数々の医療関係者により研究までされており論文にまでなっています。

QuietというQワードを囁き合うとその日が忙しくなるかどうかを調べている

Qワードを言ってもいないのにいつにも増して忙しかったので、理想的には時間をかけ、ゆっくりと、焦らずに淡々と業務をこなしたいものの、現実はもう目の前のことをこなすことで一杯一杯。

そして週末はそれぞれは小さいながらも3重苦(閲覧注意、見せちゃいます!)に悩まされました:ニキビ+口内炎+虫刺され(トコジラミ???)

急にできたニキビと口内炎
どこで食い付かれたのか、右足の脛の虫刺され

ぎゃああああ。いつもなら涼しい顔をしてゆったりとかっこよく勤務している私ですが(ふふっ)

いつもはこんな感じ

脛は激烈に痒いし、どこで食われたのか心配(トコジラミだったらどうしよう???)だし、口内炎はしみる。この2点はまだ人様から見えないのでよしとして、アゴにぷつっとできた久々のニキビにはまいりました。まだコロナ禍でみんなマスクしている頃なら良かったのに、気になって仕方がない。「病は気から」と申しますが、こんな小さな問題でも、にっこり笑顔になる気にならないし笑顔になると目立つんじゃないか。ストレスニキビだったとしても、ストレス→ニキビ という順番じゃなくて、ニキビ→ストレスの方が間違いないのに。

例えば皮膚炎にかかって目が腫れた、などの病に見舞われたときに病院に行ってお医者さんに「原因はなんでしょうか?」と聞き、返答が「ストレスですね」なんて言われたら腹が立ちませんか? ストレス→皮膚炎 なのではなくて、皮膚炎→ストレス なのであって、もしストレス→皮膚炎が本当で合ったのなら、永遠に治らない悪循環のストレス→皮膚炎→ストレスということになるし、永遠にわからない鶏が先か卵が先か問題になりますよね。

そして、もしお医者さんが目も合わさずぶっきらぼうでにこりともしてくれなかったらぜひ、この人は今口内炎がしみて痛かったのではないだろうか、いや、脛が痒くてたまらないのだろう、もしくは、ニキビを気にしてストレス真っ只中に違いないと思いを馳せていただけるとありがたいです(というのは冗談ですが)。

時を同じくして、事故を起こして修理中の私のトヨタはまだ帰ってこないので、レンタカー中

レンタカー中のマツダ

そして、床修理のため、業者さんを呼んでセントラルヒーティングを撤去したり、居間の荷物を移動させる作業が入り

プチ引っ越し、どうしてこんなに荷物が多いの
セントラルヒーティングの撤去、床下のdeafningと呼ばれる防音材
床の作業が始まった(こんなふうになってるのね)

私生活もまだまだ落ち着かない日々が続いています。


今週の通勤のaudibleお供はこちら

樋口一葉の師として知られる明治の歌人・中島歌子の一生を描いた、実在する人物のドキュメンタリー、映画を見ているような思いもよらず素晴らしい本に出会うことができました。江戸から明治への幕末、「桜田門外の変」「尊王攘夷」「水戸藩内での天狗党と諸生党の二派の対立」「徳川慶喜による大政奉還」の混沌としつつもエネルギッシュな時代を女性視点、中島歌子(登世)の手記として描かれています。歴史の苦手な私でも、こうやって女性の目から、恋バナに絡めて話されると物語にどっぷり入り込むことができました。

百人一首77番、「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ」という和歌がこんな意味を持っていたのかと初めて知っただけでなく、「流れが速いので岩にせきとめられた滝川が割れても末には合わさるように、あなたと今別れても行末にはきっと逢おうと思うことです」という意味が表面的な現代語訳としてだけでなく、歌子(登世)の手記を通して車の中で朗読を聞きながら泣いてしまうくらい切なく胸に響きました。小さい頃に百人一首カルタを一緒にやってくれた親兄弟に感謝。

何よりも前から考えていた復讐という気持ちの難しさについて、この本ではお見事な回収をしていますのでその視点からもひれ伏しました。ただただ素晴らしい、今年1番の傑作です。



いつもありがとうございます。このnoteまだまだ続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。