【アメリカ食メモ②】バーベキュー
アメリカで生活しているとバーベキュー専門店に出会うことも多いが、ふとバーベキューとは何かが気になったので、調べてみたことを適当にまとめて書いてみた。
バーベキューとは
フロリダ半島に入植してきたスペイン系の移民によってもたらされた裸火の野外料理を指す、とのことである。
語源としては、①17-8世紀にかけてカリブ海にいたイギリスの海賊のバッカニーア(buccaneer)という異名が語源という説と②そのイギリスの海賊たちが、穴を掘ってその上に木枠を作って、木枠の上に食物をのせ、穴の中で火を焚いて料理したのを見た原住民カリブ族が、木枠(=バルバコア(barbacoa))の上で料理しているといったことからくるという説がある(松本紘宇『おいしいアメリカ見つけた。』17-8頁)。(他の本を見ていても、②の説に出会うことが多く、②の説が有力のようではある。)
バーベキューという言葉は、少なくとも17世紀中頃にはアメリカでは使われていたそうであるが、バーベキューが全米に広まった背景としては、1730年代から始まった信仰復興運動(the Great Awakening)の野外集会でふるまわれたのがバーベキューだったことが大きいようである(東理夫『アメリカは食べる。』124頁)。そして、その後の西進とともに、この調理法が定着していった。また、アメリカ併合後、テキサスのカウボーイたちは、スペインからもたらされた長角牛のロングホーンを北のカンザス州まで運び、全米に牛肉を提供する作業に従事していたが、その長旅で、裸火で怪我したために屠った牛肉を食べることも多く、その調理法が全国に広まったことも大きいという(同書125頁)。
牛肉の歴史
バーベキューの中心になるのは、豚と牛であるが、ここでは牛肉に着目したい。さきほどロングホーンについて触れたが、16世紀末に、(ニューメキシコを所有し、スペインの植民地とした)オニャーテがもたらした牛が、現在のテキサスの名産の長角牛「テキサス・ロングホーン」となったとされている(東『アメリカは食べる。』118頁)。そもそも、新大陸に肉牛が持ち込まれたのは、第2回の航海(1494年)時のコロンブスによってである。
このように、現在の肉牛は旧大陸からもたらされたものであった。当時アメリカには野牛であるAmerican Bisonは存在しており、Native Americanは、干し肉のjerkeyを食していた。彼らのエコシステムがいかに肉牛文化によって駆逐された。「草原‐バイソン‐遊牧民システム」から「草原‐牛‐牧場労働者システム」への変容について述べた文献を引用しよう。
バーベキューカルチャーの裏にはネイティブ・アメリカンの自足的なエコシステムを破壊した移民による肉牛ビジネスの発展があったことは、バーベキューの裏面史として記憶されておくべきことであろう。
バーベキューの地域毎の違い
バーベキューには地域ごとに違いが大きく、以下のような違いがあるようである。
-テネシー州メンフィス:ソースを用いるウェット派(metropolitan style)とパウダーをはたき込むドライ派(メンフィス独自の味)が共存。
-テキサス州:牛の胸肉であるブリスケットを用いる点に特徴あり。
-Eastern North Carolina:豚まるごと一頭のバーベキュー。薄切りにしてグレイヴィのようにソースをかけて食べる方式をとっている。
-Western North Carolina(アパラチア文化圏):豚の肩肉を酸味のかったソースを塗って焼く。
なお、カリフォルニアでどういうバーベキューを楽しめるかというと、San Diegoのバーベキューレストラン、Phil’s BBQが有名。その写真がこちら。
右がポークリブで、左がビーフリブ。シナモンが効いた甘いソースがびっちりついていて美味しい(が、全部に同じソースがついていて、たくさん食べすぎると正直飽きが来るような感じがしなくもない)。
【2023年3月6日追記】
テキサスで食べたバーベキューがこちら。お店は、AustinのTerry Black’s Barbecue。右上がポークリブで、その左下にあるのが牛のブリスケット(前股の内側にある肩ばら肉)。
レジでお願いしてレジの横にある台で目の前で切ってもらえるのがテキサス・スタイルとのこと(下の写真参照)。ここまでほろほろになるまで焼き上げるには相当の時間をかけているのであろう。店の外には、燻すための施設が併設されていて、外から眺めることができた。
なお、ニューヨークでもこうしたシステムのバーベキュー店が流行っているらしい(Mighty Quinn’s Barbeque)。
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