【アメリカ食メモ③】Thomas JeffersonとMac & Cheese

1801年、アメリカ第3代大統領に就任したトマス・ジェファーソンは食通で知られていた。彼は、就任以前は、ヴァージニアの知事を務めた後、1785年に駐フランス行使に任命され、フランス滞在中、ジェファーソンはフランス料理を学び、フランス料理を愛した。それは、彼個人の所有する黒人奴隷のJames Hemings(当時19歳)をパリのレストラン「コンブー」に修業に行かせたほどであったという。

ジェファーソンには、ヘミングスのほか、Helculesという黒人奴隷もシェフとして雇っていた(その後、逃走を恐れてシェフ業務から離れさせ、農作業を行わせたとされているが)。そのHemingsとHelculesの二人を扱ったNetfixのドキュメンタリーが以下のシリーズのエピソード3である。ジェファーソンの功罪を含めて考えるのに面白い題材である。

このドキュメンタリーで触れられているとおり、一般的に、マカロニチーズグラタン(mac & cheese)は、ジェファーソンが考案者とされている。Mac & Cheeseはアメリカのスーパーでよく見るし、この前行ったパイの専門店では、Mac & Cheeseを包んだパイまで売っていた。この料理は、ジェファーソンが愛したイタリアのパルメザンチーズとマカロニをフランスの調理法でグラタンにしたものである。したがって、これはアメリカ料理である。上記のドキュメンタリーでは、確証はないものの、おそらくヘミングスが実際には考案したのではと触れられている。名の残らない奴隷によって考案された料理なのかもしれないと考えると、悲しい歴史を持った料理とも言える。

彼の『ヴァージニア覚書』を読めばわかるように、(黒人は白人より劣っているとは考えていたものの、)彼自身の道徳的理想は奴隷制の廃絶にあったが、結局のところ、多額の借金を負っている自分や家族の生活のために13歳の子供の奴隷を売り払って家族から引き離す事もあったし、逃亡した奴隷に鞭打つこともあった(クリント・スミス『場所からたどるアメリカと奴隷制の歴史』25−26頁)。そして、よく知られているように、奴隷であるサリー・ヘミングス(料理人のヘミングスの妹)と約40年に亘る性的関係を持ち、6人の子供を産ませたとされている。また、彼は、黒人と白人が同じ政府のもとで同居することは不可能と考えており、ハイチなどに国外退去させることを考えていたという(前書31−2頁)。

彼の美食趣味から全く離れた話になってしまったが、Mac & Cheeseの成立史の裏にはそうしたアメリカの暗黒史があることを覚えておいた方がよいだろう。

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