【アメリカ文化メモ②】”Banana Republic”

アメリカでも時々見かけるブランド、Banana Republic。日本でもよく見るブランドですが、名称に関連して騒動があるようなので、かいつまんでまとめてみます。

ブランドの設立

Fastcompany.comによると、MelとPatriciaのジーグラー(Ziegler)夫妻が、1978年に設立したのが現在のBanana Republicで、会社の名前はもともと"Banana Republic Travel & Safari Clothing Company"という名称だったとのこと。ブランドのコンセプトは、白人が1940年代にアフリカのサファリに旅行に行ったときに着ていたようなサファリ・スタイルの服装を売ることにあったといいます。

では、なぜサファリ・スタイルのブランドで"Banana Republic"という名称を使ったのでしょうか。その名称のもともとの意味にさかのぼって考えてみたいと思います。

Banana Republicの原義

さきほどの記事によると、Banana Repulicという名称は、もともと、O. Henryの1904年の小説で、ホンジュラスでの生活経験をもとに、貧しく政情不安定な架空の国に付けた名称で、そこから、グアテマラ、ホンジュラス、ドミニカ共和国といったラテン・アメリカで、米国に本拠を置くThe United Fruit Company(現在Chiquitaと知られる)といった大企業が巨大な権力を持ち、モノカルチャー経済化が進んだ国々を指す言葉になりました。こうした大企業は、自社の利益になるように、クーデターを支援するなど各国の政治に介入することもありました。その意味で、アメリカの帝国主義(imperialism)と切っても切れない用語といえます。
なお、この用語は、主に、アメリカ人が、そうした発展途上国を侮辱(disparage)するために用いられていたようです。

コロンビアの小説家であるガルシア・マルケスが、アラタカナという町でのUniuted Fruitによる農園開拓について述べた以下の文章が当時の様子を知る上で興味深いです。

バナナ会社とともに、小さな町に世界中から人がやってくるようになって、おかしなことに、コロンビアのカリブ沿岸にあるあの小村では、一時期、世界中のあらゆる言葉が話されていました。互いに言葉が通じないこともしばしばあったようです。そして、あまりの繁栄、というか繁栄らしき現象のせいで、クンビアを踊りながら札束を燃やすことすらありました。クンビアを踊るときには蝋燭をつけますから、バナナ農園の素朴な労働者たちが、その代わりに札束に火をつけたわけです。当時は、市長や判事の稼ぎが月六十ペソだとすれば、バナナ農園の労働者は月二百をゆうに稼いでいました。そんな状態では地方政府など機能するはずもありません。すべては金次第、バナナ会社が袖の下さえ渡せば司法も行政も思いのままです。

マリオ・バルガス・ジョサ『ガルシア・マルケス論 神殺しの物語』(寺尾隆吉訳)15頁

こうした背景をBanana Republicという用語を持っていることは分かりましたが、では、「サファリ」ブランド設立の際にBanana Repulicという名称を用いたかが疑問になります。ここは推測しかできませんが、未開なサファリを有するアフリカのイメージが、ラテン・アメリカの発展途上国を描写するために使われていたBanana Repulicという名称と(無意識的ななのか意図的なのかはわかりませんが)重なった、ということなのでしょう。

Gap傘下への編入

1983年にGapがBanana Republicを買収し、サファリ・テーマは捨て去られ、ブランドイメージの転換が図られました。

ブランド名に対する批判

上記で引用した記事によると、現在の多くの米国人は、Banana Republicの原義を知らず、ブランド名として認識しているようです。したがって、まだブランド名に対する批判は強くないようです。
しかしながら、上記の記事では、Black Lives Matter運動の影響の中で奴隷制に結びついた名称やロゴがキャンセルされていったように、この名称もいずれ問題になることは避けられないのではないか、と指摘されています。今後どうなっていくか注目です。

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