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パーソナリティ

この数年、心理学に関心を抱くようになった。

きっかけはある精神科医の小説だった。拘置所において死刑囚の監察医としての勤務する中で過ごす精神科医と死刑囚との日常生活を描いているが、刻々と死刑の宣告を待つ死刑囚たちと過ごす日常は、簡単に言葉に表せないものがあることだろう。


さらに、この小説に出会った当時、勤めていた職場のあちこちに、それまで経験したことのないような個性的な人々がちらほらと目立って気になってきた。小説によって認識が広がったのかもしれない。

そして、そういう人に出会うたびに決まってその人たちのターゲットが自分であるような気がしていた。その理由はよくわからなかったが、最初は単なる偶然、運が悪いのだと思っていた。

そして、様々な書物をめくるうちにパーソナリティが原因となる性格の特徴がいろいろとある事を知るようになった。

しかし当時はまだ、他人にこんなことがあった、こんな人に出会ったなど笑いながら話せる段階であった。

自分がターゲットだと思うようなったのは、認識が広がって、自分がそのような角度で他人を見る傾向を持つようになったからだと思う。むろん自分自身の内面への傾向にも関心を持つようになっていった。


例えば境界性パーソナリティの女性に出会ったことがある。彼女は仕事ができて、上司からも大変重宝がられる人物だった。にもかかわらずある日突然おお声でわめきだしたのだ。「何でこんなことするのよ。違うでしょ!」

周囲の人間はその勢いに押されて、また意外性に驚いてほとんどの人が黙ってしまった。または顔をそむけたり、下を向いてしまった。彼女は私へ依頼した仕事が頼んだことと違うと言って大声を出しているのだ。

数日前パートとして配属されたわたしは、彼女の仕事を受け持った。快く説明してくれて、快諾した。ところが出会った数日後に何となく、私を避けようとする彼女を感じていた。まぶしそうに私を見る、または見るのをさけようとするのを感じていた。

その数時間後に大声でキレたのだ。原因は私?

そう思った。彼女と仲のよさそうな周囲の仲間も私が何ごとかを仕掛けたと思ったようだ。彼女の異変は私が仕掛けた・・・?!

職場の上司もそう思ったようだ。一日のうちで数回そんな繰り返しだった。なんだかんだ一週間ほどそんなことが繰り返されると周囲は彼女を伴って、医療機関を訪れたようだ。そこで伝えられたことは境界性パーソナリティというものだった・・・そうきいた。

私は懸命に精神科医の解説書をめくるようになる。

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境界性パーソナリティ (以下 岡田尊司氏より抜粋)
喪失体験や見捨てられ体験、あるいはそれを想起させるような出来事にでくわすたびに、不機嫌になったり、不安定になったりの変動が激しい。短時間に別人のように状態や方向性が変わってしまう。自殺企図は言うまでもなく自傷行為や過食、危険な性交渉、薬物乱用などにエスカレートすることもある。
もともとある「性格」の障害ではなく、あるきっかけから、「困った性格状態」を発症する障害の一つである。この障害となる人にも、様々な性格の持ち主がいて、単一の障害ではなく、共通した状態を呈する「症候群」であり、背景にある原因も単一ではない。
境界性パーソナリティが発症するとき、通常きっかけとなる出来事がある。それは一つのこともあれば、複数に絡んだことであったり、間隔をあけて起きている場合もある。しかし注意しなければならないことは、きっかけと原因は別だと言いう事である。
原因はすでに長い時間をかけて用意されている。
一方きっかけは、たまたま最後の一押しとなったに過ぎない。ただし、きっかけとなった出来事が原因と無関係なわけではない。きっかけとなる出来事は、かつての心の傷や痛みをよみがえらせるような性質を備えているといえる。
見捨てられ不安が強い。対人関係が両極端で不安定。目まぐるしく気分が変わる。怒り、感情のブレーキが利かない。自殺企図や自傷行為を繰り返す・・・
発症時期にはかなり個人差があり、低年齢時期に発症するほど深刻であるらしい。そしてそのほうが家庭環境の影響が大きいと言われている。大方は数年で嵐は収まり改善してゆく。本人が自分の問題を克服し、その後どのように生き方をしてゆくかの中において魅力的に成熟した人間ともなるし、できない時は偏りや幼さをとどめることもある。後半生にその人らしい人生が現れる。


職場内では、私を犯罪者の如く見ていたようだ。結果的には、どうやらそんな疑いは晴れて何とか開放される日は近づいた。

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