鑑筆久-Kagami-

関東在住の歴男です。「北九州の国衆・九州三国志・大友家」中心に普段は資料を黙々学んでい…

鑑筆久-Kagami-

関東在住の歴男です。「北九州の国衆・九州三国志・大友家」中心に普段は資料を黙々学んでいます。

最近の記事

ちょっとした記録-高橋高種-

半年前に、大仏セミナーに参加をしました。 有料でなかなか安価とは、言い難いですが、面白かったです。 そんな中でも偶然ですが、行きたい場所に訪れていたことが、 一昨日わかりました。 --「烏山神社」 東京都千歳烏山より シンプルで、カッコ良い感じでした。 大勢セミナーのだったので、長いができなかったのが残念。 江戸時代と関連深い寺院らしい。 「ちょんまり」ある説明書きって、すごく重要なことが書いてる時ってありますよね‥ ‥さて 下からが、面白いです⏬ 「高橋氏」が

    • 高橋記-②裏切りの理由

      ※当記事は、note/memoを前提に作成しています 前記事「https://note.mu/hudehisa/n/n6d3c5eb48c11」 にて「高橋鑑種」の処罰について記済 今回は「高橋鑑種の裏切りの理由」について。 彼なくして「戦国高橋氏」は語れないので、しばらくの間は彼関連の内容が続く もくじ↓ ======================== ①はじめに ②各関係 ③裏切りの理由 ④高橋家がゆえに‥ ⑤おわりに ======================

      • 高橋記-①処罰の理由-

        中世、北部九州擾乱の原因を作った主犯「高橋鑑種」 しかし反乱に敗し、大友氏(主君)により処罰が下される。 下された内容は「長男を人質に差し出すこと」「門司城を攻略すること」であり、命は処罰をされることはなかった。 ①で述べられても、難易である。 だが、大友宗麟時代を語る出来事では「耳川の戦い(高城戦)」に継ぐ事件なのだ。そんなことから、彼の処罰について「甘すぎないか?」「なぜ処罰をしなかったのか?」と疑問の意は多い。 ※尚、居城「岩屋・宝満山城」の移動は処罰の内容と

      ちょっとした記録-高橋高種-