見出し画像

ちょっとした記録-高橋高種-

半年前に、大仏セミナーに参加をしました。
有料でなかなか安価とは、言い難いですが、面白かったです。

そんな中でも偶然ですが、行きたい場所に訪れていたことが、
一昨日わかりました。

--「烏山神社」 東京都千歳烏山より

シンプルで、カッコ良い感じでした。
大勢セミナーのだったので、長いができなかったのが残念。

江戸時代と関連深い寺院らしい。

「ちょんまり」ある説明書きって、すごく重要なことが書いてる時ってありますよね‥


‥さて
下からが、面白いです⏬

「高橋氏」が戦国時代より伊豆見城より「現地(世田谷区)」に移り住み、守護神としてやってきた。

当時は
「高橋氏」は人口多そうだからな‥と、時間もないので写真だけ撮って帰りました。それから以後、若干忘れていたのですが。少々気になることがったので、調べて見ました。

結論から言うと
⬆️の「高橋氏の石碑」は「大蔵氏系高橋氏の子孫」によるものです。

「あれ?ここ?東京じゃなかったけ?」と一瞬思いますよね‥
紹運や鑑種しかり、なんとなく九州の印象が強いんですが

石碑の先祖は「高橋高種(たかたね/)」になります。
「高種」は「高橋長種」「長種の弟」
後期高橋家(大蔵)の直系三兄弟の長男です。

※史書を読むとたまに、訳で「高橋鑑種」と「たかたね」と読むものもあるので、名前がめんどくさいですね

--「高橋高種」この方は、長男なのですが、父親との確執があり当主にはならず、母親系を頼り「京都(足利家)」へ後に「北条早雲」に仕えます。

なので、次男である「高橋長種」が当主になっているんですね。
※父親との確執は、調べると難しくて長いので省きます。

--京都に渡ってから、高種は九州に戻ることはありません。
時代は「戦国時代初期」京都・畿内が大波乱の時代であり、波乱万丈な人生を歩んでいます。

彼は、後に「北条家」に、なので北条氏に詳しい方だと詳細詳しいと思います。
そして、戦国時代が開け江戸になり子孫がここ世田谷(千歳烏山)へ移り住んだとの感じですかね‥。

九州では、「高橋長種」以降は「大友系・秋月系」と高橋氏の血縁が無茶苦茶になってるのに比べて、関東系だと直系に近い子孫もいるかもしれません。


こちら、たまたま行った先にあったので、びっくりしました。

もう一度、調べたいなと思ったのは
「高橋高種」について知りたかったので、持ってる論文・書籍・史書を漁り行き着いた先が「烏山神社」だったのです。「偶然!」

ちなみに「高橋高種」の墓は、静岡県にある様です。
やや遠い‥ので、三連休とかあった際に行くのが私にはちょうどいいかな?と思います。

しかし、関東系といえど、ちゃんと大蔵氏の証「‥種」はあるので見分けやすいです。

-----------ちょっとした家系図

●中国 漢王朝  →     倭国へ逃亡  →    (すごく省く)  →   長種・高種父 →

→「長男)高橋高種」‥京都へ(畿内戦国時代)  のちに「関東系高橋へ」

→・「次男)高橋長種」‥勝 (病死)   vs   (骨肉の争い)      「三男)」‥敗(戦死)
※共に男子なし

/養子/→ 「大友系)高橋鑑種」 (大友氏と対立)  →「高橋冬種・元種」「宮崎系」
                       「高橋長宗」「岡山系」
                       「高橋元光」「しらべ中」
             「大友系)高橋紹運」    (鑑種後、高橋)   → 「高橋増統」「筑前・後系」
                       「高橋統虎」「子孫なし」
--------------------------
※冬種・元種(秋月系/大蔵氏)
   長宗・元光(鑑種の直系/大友系一万田氏)
 増統・統虎(紹運の直系/大友系吉弘氏)
 高種系(※北条系)

ありがとうございました。
また、千歳烏山に行ってきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?