見出し画像

東南アジアの人から学んだ、これは大切だと気付かされたこと😃😃😃

モチベーションの原点

住めば都

皆さん、こんにちは
腹持義男です。

私は20代後半からタイで暮らしており、今年で53歳になります。
好奇心からはじまった海外生活ですが、もう四半世紀ということで、社会人のほとんどの時間をタイに費やした事になります。

よく「住めば都」と言いますが、振り返ってみると僕にとってのタイは、「住みはじめから都」だったように思います。

日本の田舎で育った僕は、街の快適さより圧倒的に田舎ののんびりした環境の方が、居心地良く感じるタイプの人なのですが、ちょうど住みはじめた当時のタイは、人も街も素朴さがまだ多く残っていて、まさに「微笑みの国」というキャッチコピーにピッタリの環境でした。

世界屈指の国際都市バンコクのど真ん中にあるでっかい交差点で大きな象が信号待ちしてたり、街中では20歳前後の友達同士が園児のように手をつないで買い物してたり、いい大人がでっかいドラえもんやウルトラマンのキャラTを着てたり、実に自然体な感じが、とても居心地がよくて、ホント「住みはじめから都」でした。

中でも、当時僕が「この国に住みたい!」と、強く思わせた出来事があったので、今日はその話を紹介させてもらいます。

タイマッサージの聖地、ワットポーでの出会い

まだタイ語も土地勘もゼロの当時、自由になる時間だけはたっぷりあったので「何かあった時のために手に職を付けとくといいよ」みたいなノリで、とある日本人に誘われてタイマッサージの学校(ワットポー)に通っていました。

上の写真の右手が学校で、奥が大きな涅槃仏で有名な寺院(ワット・ポー)の裏手の通になり、この通りに昼時になると天秤棒をかついで昼食を売りにやって来る、タイ人女性とその娘ちゃんとの出来事の話で、僕にとってのタイを「住みはじめから都」にしてくれた話になります。

彼女がかついでくるのは、カノムチンというタイ風のそうめんに使う食材で、売ってるメニューは勿論カノムチンです。

カノムチン

味の方は、当時の僕がまだ軟弱な舌(一般的な日本人)の持ち主だったこともあり、強烈に辛過ぎて味わうことは全くできませんでしたが、タイ人の常連さんもチラホラ居たので、きっとそこそこの味なのだと思います。

価格はたしか1杯10バーツ(当時のレートで30円弱)で、当時のクイッティオ(米麺の庶民食)は1杯25バーツぐらいでしたから、安めの価格ですかね。

このエリアは有名な観光地なこともあり、食べ物の選択肢はまぁまぁ多いのですが、最初に学校の友達に紹介されたのがこの店だったこともあって、ほぼ毎日顔を出していました。

とあるタイ人親子との交流

このお店のオーナー女性には、5、6歳の娘ちゃんがいて、よくお母さんのお手伝いに来ていて、僕はこの娘ちゃんがいる時は、ここの料理が自分には辛過ぎて食べるのが大変だったこともあって、娘ちゃんを誘って近くのお店に行って、みんなで食べられる飲み物や食べ物を買い込み、このお店に迷惑にならない少し離れた場所で、娘ちゃんと食べることがよくありました。

そんな事が何回か続くと、娘ちゃんともすっかり仲良くなり、その様子を見てたお母さんも最初は話しかけても会釈だけだったのが、徐々に打ち解けてきて、僕に簡単なタイ語のあいさつとか、数字の数え方なんかを教えてくれるようになりました。

僕も何かこのお店の役に立ちたいと思い、日本語と英語のメニューを何パターンか作って渡したら、めちゃくちゃ喜んでくれました。

想像以上に喜んでくれたので、僕がちょっと拍子抜けしてたら、常連さんのタイ人が、「この母ちゃんは、タイ語以外話せねぇから、嬉しいんだろうねぇ」って教えてくれました。

「そっか、言葉の壁ねぇ」

てっきり、性格的な理由で控えめだと思っていたけど、まぁ普通に考えたら言葉の壁ですよね😅

そして僕は、その日の学校帰りに本屋さんに寄って、タイ人用の英語の単語帳と、当時日本人に流行っていた指差し会話帳を買ってお母さんにプレゼントしました。これもめちゃくちゃ喜んでくれてました。

「やっぱ、言葉の壁だったんだなぁ」と改めて実感しました。

そんなこんなで、マッサージの勉強も残りわずかになった頃、僕は卒業する前に、この親子に当時現地で大人気だったタイスキのレストラン「MK」でご馳走させて欲しいと提案しました。

娘ちゃんは、勿論、快諾!!
お母さんも、申し訳なさげに了承してくれました。

因みに下の写真は、少し打ち解けてきた頃にお母さんの店で撮った貴重な写真で、横でこっちを見ている女性がよく通訳してくれてた常連さんです😃

そして日を改めて、このレストランが入居するショッピングモールに、親子2人、通訳係のタイ人1人と自分の4人で、タクシーで向かい、思う存分MKのタイスキを堪能しました。
みんなお腹いっぱいでご満悦の様子で、よかったよかった😄


ですが実はこの日、僕はMKをご馳走する以外にも別の目的があって、このショッピングモールにやって来てました。


それは、娘ちゃんの学校用品一式を新調してあげる事!!


というのも、以前娘ちゃんが明らかに誰かのお下がりだと分かる古びたサイズも合ってない制服を着てきた事があって、僕はプレゼントしようと前に一度このショッピングモールに買いに来た時、娘ちゃんの服や足のサイズが分からず断念してたので、制服をプレゼントするには娘ちゃん本人がどうしても必要だったのです。

おかげさまで、この日は、娘ちゃんのシャツやスカート、靴、リュック、下着や靴下類、あと文房具類、それと英語と日本語の本を購入したような記憶があります。

お母さんは、最初買い物のために来た事を知った時、すごい勢いで遠慮して、強引に娘ちゃんの手を取って帰ろうとしてましたが、同席していたタイ人になだめられて、申し訳なさそうに売り場へ向かいながら「ありがとう、ありがとう」と連呼してましたね。

そして、食事も買い物も無事終わったので、この日はここで解散することになり、帰りのタクシー代を渡してタイ人3人と別れて、僕も別のタクシーで帰りました。

僕はこの帰りのタクシーの中で

「こんな親切な奴は、そうそう居ねぇだろ」とか
「なんか俺って、かっこよすぎじゃないかい?」とか
「これからも貧しいタイ人たちに、日本人として色々してあげなきゃ」

みたいな事を考えながら、この日の自分がした行動に酔いしれながら、気分良く帰ることができました。

タイ人親子からの贈り物

そして数日後の卒業の日の昼も、僕は例の如く近所で買った焼き鳥か何かを買い込んで、お母さんの店の近くで食べていたら、お母さんからプレゼントだと分かる紙袋を渡されました。
きっとマッサージ学校の卒業祝いだと思います。

紙袋の中には、お母さんの手作りのクッキーが大量に詰まった袋と、一通のメッセージカードが入ってました。

僕は先ずその場でクッキーを試食させてもらいました。
日本で言うなら、ラーメン屋がケーキを作るみたいな事ですから、見栄えはそれなりですが、想いがギュッと詰まった美味しいクッキーでした👌👌👌

「めっちゃ美味しいです」と、身振り手振りで伝えると、お母さんは嬉しそうにしてましたが、どこか少し寂しそうな目をしていたので、こっらも少し寂しさを感じつつ、袋の中のメッセージカードを手にしました。

葉書サイズの見開きタイプのカードに書かれていたメッセージの中身は、なんと日本語😲😲😲


そして、カタカナでこう書かれていました。


============

アリガトウ オニサン

アリガトウ MK

アリガトウ ゼンブ

ベンキョウ ガンバリマス

============

なんと、娘ちゃんに渡した本にあったカタカナを、模写するように真似て書いた直筆のメッセージとの事でした。

これにはもう、参りました。
完全にアカン、ヤバイ代物です。

読んだ瞬間、何かうるうる🥺しだしたので、気を取り直して大きく深呼吸、そして目線をカードに戻してみるものの、とにかくあの不格好なカタカナが目に入ると、やっぱり🥺🥺🥺ってなって、涙が😭😭😭

さすがに人通りの多い昼時の道端で、声を出して泣くわけにはいかんと、必死に堪えましたが、もう涙と鼻水がヤバイことに。。。

この時、ティッシュを丸めて鼻に詰めて泣き声を殺している現実とは別に、何故かこれまでの生い立ちを思い返している自分がいました。
結構しっかりと、今日のこの瞬間までの日々を思い返していました。

内省

時間にして1分にも満たない短い時間でしたが、走馬灯のように、いろいろ事がフラッシュバックしてきました。

そして、ふと気が付くと、目の前に居るお母さんや、周辺のタイ人や、樹木から、パァーっと明るい後光のような光が放たれているような景色に変わってました。

これはとっても不思議な体験でした、恐怖感は全くなく、むしろ何か居心地の良い高貴な何かを感じたような体験でした。

そしたら現実の自分が次第に、自分はタイ人より物知りで頭がいいとか、お金を多く持ってるとか、タイ人を助けてカッコイイ、みたいな表面的でペラペラな感情に陶酔してた様がくっきり見えました。

そして数日前の自分が、どれほど器の小さい人間だったかが、客観的によく分かり、恥ずかしいは、情けないは、アホすぎて自己嫌悪になるは、下に見てたタイ人に申し訳ないはで、めっちゃくちゃ泣けてきました。

娘ちゃんとお母さんが、未知のカタカナを一文字一文字書いてくれた姿を想像しても、感動しちゃって泣けてくるし、

自分の泣きっ面をみて、お母さんも泣いちゃって、そんなお母さんの顔を見たら、更にもらい泣きしちゃうし、

近くに居た、知らない西洋人の若い女性も、この光景に意味も分からず、もらい泣きしてハグしてくれるしで、

もう間違いなく、多国籍なヤバイ集団になってましたが、この時僕はしみじみと

「人と通じ合うって、こんなに温かいものなんだぁ」

「何かよく分からないレベルで、人を愛おしく思えてるなぁ」

「これが、真心(まごころ)ってやつなのか?」

みたいな感覚を、鼻水を垂らしながら感じてました。
間違いなく人生で一番素直で穏やかになれていた時間でした。

こんな経験を海外生活の序盤でできたことが、今から思うと本当にラッキーだったと強く思います。

きっと飽きることなく長い間タイという国に関心を持つ事ができた大きな要因となった出来事です。

私たちの日本は、世界から経済力のある先進国だと認知されています。
ザックリいうと、お金をそれなりに持っていて、生活水準や公共インフラが高い水準で整っている国だと認知されているという事です。

一方タイはというと、申し訳ないが、まだ日本の水準には届いていないのが現状ではないでしょうか。

では、「どっちの国が魅力的か?」と、2024年の今聞かれたら、僕はタイの方が魅力的だと答えます。

その理由は、幸せそうに暮らしている国民の割合が、圧倒的にタイの方が多いからです。

僕は、よく日本とタイがニコイチ(2つのものを1つにまとめる)になったら、Win Win なのになぁって思う場面があるのですが、何故か人って相手をコントロールしたいとか、楽したいって欲求があるから、なかなか対等に末永く何かを共にするというのは困難なんですよね。

でも、困難って乗り越えちゃえば、最強のアイテム(武器)になるって事も経験上知ってるので、僕の残りの人生は、この困難を乗り越えるために使おうと思い、それに関する情報を、今後発信していこうと決めました。

なので、このような活動に共感できる人は是非フォローして、どんどん繋がって影響力をつけていきましょう。

と、初回から長くなりましたが、今日は、日本の生意気な若造が、タイの小学生の娘ちゃんや、お母さんに、人との付き合い方や、真心(まごころ)を教わり、タイのポテンシャルの高さ、奥深さに触れる事ができたというお話でした。

ではまた!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?