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休職(一年)に至るまで

最初に1ヶ月の休職を決めた時、わたしにしては珍しく仕事より優先させたいことがありました。

というのは、体調が悪くなる前から休暇を取って海外旅行に行く計画を立てていたのです。ただ、前の記事の通りパニック障害を発症していたため、長時間飛行機に乗るのは難しい状態でした。でも、滅多にないタイプのツアーで、どうしても行きたい…。会社でも周りの人たちにその話をして、体調が悪い中でも旅行のために休暇を取れるよう、根回しのようなことをしていました。

同時に、ツアー主催者に「実は今、こういう体調でこういう症状を抱えておりまして…」と相談したところ、「大丈夫ですよ!」とこちらが拍子抜けするほどあっさり了承いただき。実際は、10時間以上ものフライトの間ずっと主催者の隣の席で、いつ具合が悪くなっても大丈夫なよう見守られながらの渡航でした。

旅行中は、念願かなってのツアー参加や、周りの人たちの優しさに心底感謝の連続でした。初めてお会いする人ばかり20人ほどで、皆さんわたしの病気を理解くださり、気遣ってくださいました。旅先で交流した現地の人達も素晴らしい方ばかりで、無理をしてでも行って良かった、と心から思いました。

ただ、やはり休暇明けに出社すると、何だか職場の空気が変わっていました。当時うつ状態になっていたため、現実と自分が感じる周囲の雰囲気(認知)に多少ズレが生じていたかもしれません。

とにかく、自分としては非常に「居づらい雰囲気」を感じていました。任される仕事も、小中学生でもつとまるような内容ばかり。それまで専門性ある業務を担当し、会社に貢献していたつもりのわたしにとって、非常にプライドを傷つけられる経験でした。

旅行休暇明けから、たぶん二週間くらいだったはず。また体調不良で通勤できなくなり、やっと診断書をもらって1ヶ月休職する決断をしました。そのとき出向のような形で通っていた事業所は、通勤に片道およそ3時間ほどかかる場所。これでは多少休んだところで症状の改善も見込めないと思い、休職明けには勝手に元の事業所に戻ると宣言して半ば無理やりの復帰を果たしました。

しかし、そこからさらに不本意な状況が待っていました。以前と同じように仕事をこなそうとしても、自分同様、他の事業所から赴任してきた年下の上席から訳のわからないダメ出しを食らい続ける毎日。これまた、心がくじかれる日々でした。

わたしがつぶれた理由って、結局プライドの高い性格のせいだったのかな?

当時はプライドなんか全部捨て去って全てを受け流しているつもりでいましたが、本当は深く傷つき続けていたのかもしれません。そんなことにも気づかないほど、会社に、自分の大好きな仕事にしがみつこうと必死でした。

その間も、心身のダメージは確実に進み。ついに「躁うつ病」という診断がおりて、再び休職せざるを得なくなりました。

新しい医者からはいわゆる認知行動療法?を受け、自分でも(というか自分一人で悶々と)考えて、どうもわたしは性格が生真面目すぎるようだと思うようになりました。もうちょっと不真面目になっても良い。なんなら、こんな理不尽な目に遭わせた会社や人(誰だか分からないけど)を恨んだっていい。そんなふうに自分に言い聞かせ、先の見えない休職期間に足を踏み入れることとなりました。

約10年前、仕事で心身を壊してしまい、しばらく休んだその後について当事者の立場からリアルな体験談を綴っています。よろしければサポートよろしくお願いいたします。