《備忘録》漂流するカナリアとの対話

 2024年3月30日、ENさんとの対話より。〔誤解のないように断っておくと、これはあくまで私が再構成した内容であって、以下のような内容が実際に話されたわけではない。〕

ちょっと、違うんじゃないかな......。

ENさんの語り

 今のままではいけない。何かがおかしい。だって、あんなことやこんなことが起きているんだもの。でも、具体的に何がおかしいのかと聞かれると困ってしまう。どうなるべきかと聞かれたら、もっと困ってしまう。

 でも......。それでも......。

 思っていることを声に出せ、と言われる。「俺はこう思う。お前の意見はなんだ?」と迫られる。みんながそれぞれ声をあげることが民主主義の基盤なのです、と教科書は語る。その追及に耐えられない私は、適当に誰かの言葉を借りてきて「私の意見」を捏造し、なんとかその場をやり過ごす。いま私の鬱積をすべて吐き出してしまえたのならば、どれほど爽快だろうか。

 言葉が見つからない。思っていることを声に出せ、と今日も言われる。言えるものならば、私だって言いたい。言いたくないわけではない。でも、言葉が見つからないから、行き場を失った《それ》は私の奥底に沈殿していく。日々をやり過ごすごとに、捏造された「私の意見」が私を乗っ取っていく。みんなが私を見ているはずなのに、私は誰からも見られていないみたい。そうしていつしか、《それ》が私の心を覆い隠し、《それ》に溺れて行き場を失った私は、帰るところを探してさまよう。

 「言葉が見つからない」というのは、決してENさんの個人的な問題ではない。むしろ、社会的かつ普遍的な問題である。

 まずは、フランツ・ファノン (1925-1961) という精神科医を紹介しよう。彼は、カリブ海に浮かぶフランスの植民地、マルチニック島で生まれた黒人である。当時、白人のフランス人による黒人差別は凄まじかった。ファノンは、なぜ自分は黒人であるというだけで差別されなければいけないのか、という切実な問いを抱えてフランス本国の大学に入学し、精神医学を修めた。

 黒人差別の構造を精神医学から解明しようとしたファノンは、しかし困難と屈辱に直面する。精神医学の言葉は、本質的に白人の言葉だったのである。相手のことを批判したいのに、自分の言葉を持たないがゆえに、相手の言葉を借りるほかない。黒い皮膚をもちながら白人の言葉を話している私は、いったい誰だ。そもそも、出身のマルチニック島の人々からは「パリかぶれ」だと白い目で見られ、フランス本国の白人からは「黒人」だと差別される私は、どこに存在が許されるのだ。

 「言葉が見つからない」ことは、「私が見つからない」ことの裏返しである。人間が社会で生きていくためには他者と関わるしかなく、そのためには互いに言葉を取り交わすしかない。言葉こそが互いの存在を承認しあう足場であり、自分自身の言葉こそがアイデンティティ〔私は私自身だという根底的な自己承認〕の核心である。

 だとしたら、自分の言葉を見つけられない人には、漂流する道しか残されていない。言葉と言葉のすきまに落ちて、風にただ流されていく風船。あるいは根無し草。必死で生きているはずなのに、生きている実感はどこまでも逃げていく。

 ここでもうひとつ、1968年から1969年にかけて盛り上がった、日本の大学闘争を紹介しよう。大学にバリケードを築いて機動隊と衝突した若者たちも、まさに「言葉が見つからない」ことに苦しんでいた。

 高度成長にともなって大学は急激に大衆化し、「大学生」はもはやエリートではなくなった。大学はかつての「学問の府」ではなくなり、ただのサラリーマン養成工場に成り下がっていた。その一方、世の中には次から次へと「新商品」があふれ、消費社会の豊かさ〔あるいは空虚さ〕が若者たちを圧倒した。戦争の傷跡のなかで幼少期を過ごし、エリートとしての「大学生」を目指して受験競争を勝ち抜いた彼らを待っていたのは、商品の豊かさで人々を幻惑する消費社会と、消費社会を支えるサラリーマンの工場となった大学だったのである。

 何かがおかしい。どうしても、いまの社会や大学への違和感がぬぐえない。たしかに、敷かれたレールに乗ってサラリーマンになれば、そこそこ幸せに暮らせるかもしれない。だが、同級生たちを蹴落として大学に入学した我々には、安易に幸せになる資格などあるはずがないのだ。新商品は世の中にあふれているが、本当に欲しいのはそれではないのだ。

 だが、だとしたら我々は何を求めているのか。大学闘争の最後まで、学生たちはその問いに答えることができなかった。言葉を見つけられない学生たちが、それでも他者に働きかけようとするならば、言葉よりも直接的なコミュニケーション、すなわち暴力に頼るしかない。東京大学の安田講堂で学生と機動隊が衝突し、機動隊によって学生が排除された安田講堂には、「たのむ!詩をくれ!」という落書きが残されていた。

 言葉を失った学生たちは、社会のなかに居場所を見出すことができず、暴力によって「否定」を突き付けるしかなかった。しかしそれでも、彼らには暴力があった。すなわち、暴力によって自己の存在を確認することができた。過激派の学生たちにとって、暴力で機動隊とぶつかり合うことこそが、私は生きているという実感の確認だったのである。

 それでは、言葉も暴力も持たない人々は?

無気力感や恐怖心がやってきたら
私は泣く代わりに自転車に乗って外を走った
私のように泣き方を 失くした多くの人々が
どこかに金をつぎこみ いっしょうけんめい汗を流していた

이랑 (Lang Lee) - 세상 모든 사람들이 나를 미워하기 시작했다
イ・ラン − 世界中の人々が私を憎みはじめた

 これこそが、現代社会に潜む〈冷たさ〉の正体に他ならない。私は何をしているのだろう。私は何のために生きているのだろう。そもそも私は生きているのだろうか。もちろん、その〈冷たさ〉が主観として経験される仕方には個人差があるけれども、これは現代社会の本質的な病理構造である。

 ENさんは、現代社会のカナリアである。

 現代社会の病理構造を、別の側面から照らし出してみよう。

 現代社会は、人々の「平等」を思想的基盤としている。誰もが初等教育で教え込まれる規範であり、ここに異議を唱える余地はないように思える。実際に、日本国憲法にも「法の下に平等」が明記されている。〔ただし、平等が保障されているのは「すべての国民」に限られており「すべての人民」ではない。〕

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

日本国憲法 第十四条

 しかし、現実を見れば、そこにはさまざまな不平等がある。性別、国籍、人種、民族。そのなかでも、人々の最大公約数的な関心を集めたのが経済的不平等だった。生きるためにも娯楽のためにも貨幣を獲得しなければいけない現代社会においては、経済的不平等こそが大衆の切実な問題になる。

 ここで、現代社会はイデオロギーの困難に直面する。社会理念としての「平等」を固持しつつ、現実としての「不平等」を処理するにはどうすれば良いのか。ひとつの方法は、現実の「不平等」を排除することであり、それは「社会主義」と呼ばれているが、少なくとも日本はその道を選ばなかった。

 そこで資本主義諸国は、画期的なイデオロギーを生みだした。資本主義においては、「平等」であるはずなのに「不平等」が存在するのではない。そうではなく、人々が「平等」であるがゆえに「不平等」が存在するのである。これこそが、自己責任論の正体に他ならない。

 自己責任論の前提には「平等」の神話がある。人間が原理的に平等だからこそ、個々人の勤勉や怠惰によってのみ経済的な位置が左右されるのである。そこでは、経済格差は「平等」が姿を変えて現れたものに過ぎない。いくら収入が低くても、その人生を自分で選択したのだから、文句を言うことは許されない。

 そこにあるのは、万人に対する「平等」の強制に他ならない。あらゆる人間の具体性や個別性を無視して、ひとつの〈人間〉という虚像に押し込むイデオロギーこそ、自己責任論である。そこでは、親が用意した学費で有名私立大学を卒業した人間と、母子家庭ゆえに高卒で就職せざるを得なかった人間が、まったく同じ〈人間〉として扱われることになる。あらゆる差異が無視される社会では、個別の事情は個人の「不運」として処理されるだけで、その人の怒りは行き場を失ってしまう。

 差別には、二つの方向性がある。一つは「差異化する」差別であり、もう一つは「同化する」差別である。前述したフランツ・ファノンが経験した人種差別は「差異化する」差別だったが、あらゆる人間を〈人間〉に押し込む自己責任論は「同化する」差別に他ならない。「同化する」差別は、区別するべきものを区別しないことによる差別とも表現できる。こちらの差別のほうが実態が見えにくいだけに、人々は簡単に騙されてしまう。

 現代社会は、〈平等〉の理念が徹底されていく限り、「同化する」差別が静かに広がっていく過程である。それは一見すると差別に見えないからこそ、差別として有効に機能する。もともと黒人差別も、「科学」によって正当化されていたのだ。正当化のメカニズムが強固であるほど、差別されたときには「言葉が見つからない」状態に追い込まれてしまう。

そう、「自己責任」がきらいなんです。

ENさんの語り

 ENさんこそ、現代社会のカナリアである。

 さて、今回の文章では、敢えて、個人的なことから社会的なことへ、できる限り射程を広げて展開してみた。ENさんを「炭鉱のカナリア」として、すなわち現代社会の病理をもっとも敏感に察知する存在として描き出すことを通して、彼女を孤立させている社会構造を、彼女自身のなかに見出そうとしたわけである。

 この試みが成功しているかどうかは読者にゆだねる。だが、私が意図したのは、「言葉が見つからない」と嘆く人々に対して言葉を提供することであり、「私が見つからない」と嘆く人々に対して他者を提示することである。

 〈人間〉という虚像を超えて、個別具体的な人間としての他者に出会うとき、そこに豊かな人間関係が生まれるだろう。必要なのは、少しの勇気と誠実さである。



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