西 大成 | Taisei NISHI

社会学に足場を置きつつ、社会学・経営学・経済学の狭間に漂う。社会学への態度が矛盾してい…

西 大成 | Taisei NISHI

社会学に足場を置きつつ、社会学・経営学・経済学の狭間に漂う。社会学への態度が矛盾しているように見えるが、それを可能にするのが「社会学」という営みである。〈社会〉の生々しさを汲みとると同時に、〈学〉としての論理性と体系性を維持する社会学は、私自身の生き方でもある。

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『資本論』第2章・第3章のまとめ

第2章 交換過程 第1章において、私たちがごく当たり前の存在だと思っていた「商品」が、実は〈物神〉であることが示された。労働生産物が「商品」として扱われることは、決して必然ではない。人間たちが直接的な共同性を放棄して、生産物に媒介された共同性によって社会を構築するとき、そこに「商品」が誕生する。  しかし、誕生するのは「商品」だけではない。「商品」が人間たちを媒介するなかで、交換されることに特化した特殊な「商品」が自然発生する。それこそが「貨幣」である。  「貨幣」は、そ

    • 『経済学・哲学草稿』をつかむ

      序論 -- 『経済学・哲学草稿』をつかむ 『経済学・哲学草稿』は、決して完成された論考ではない。そもそもこれは「草稿」であって、マルクスの生前には公表されなかったものである。『草稿』には、当時26歳の青年だったマルクスの問題意識と直観が表れているが、それが体系的な論理となるのは『資本論』を待たねばならない。  そこで、やや邪道ではあるが、ここでは若きマルクスの問題意識と直観を概観するだけにとどめる。『草稿』の論理上の混乱や矛盾については、廣松渉『マルクス主義の地平』や平

      • 《備忘録》檸檬の重さとヴェーベルン

         2024年4月7日、上原悠の演奏を聴いて。〔誤解のないように断っておくと、これはあくまで私が再構成した内容であり、あらゆるところに私自身の解釈が施されている。〕 * *  表現には品性が要求される。あまりにも露骨なたくらみは、すぐさま誹謗や傲慢へと転化するからだ。メッセージに仕込まれた火薬が多いほど、それは厳重に包装されなければならない。  その点、彼は見事だった。曲目と演奏順の設定にメタメッセージが埋め込まれている。彼は、初めにヴェーベルンの《変奏曲 op.27》

        • 《備忘録》漂流するカナリアとの対話

           2024年3月30日、ENさんとの対話より。〔誤解のないように断っておくと、これはあくまで私が再構成した内容であって、以下のような内容が実際に話されたわけではない。〕 *  今のままではいけない。何かがおかしい。だって、あんなことやこんなことが起きているんだもの。でも、具体的に何がおかしいのかと聞かれると困ってしまう。どうなるべきかと聞かれたら、もっと困ってしまう。  でも......。それでも......。  思っていることを声に出せ、と言われる。「俺はこう思う。

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          「弁証法」から「存立構造論」へ -- ヘーゲルとマルクスの眼光をめぐって

          1. 「大哲学者ヘーゲル」という虚像 ヘーゲルが哲学史において果たした役割の大きさは疑う余地がない。けれども、ヘーゲルが自身の哲学体系を完成させたかという問いには、安易に首肯することができない。  かつての哲学界では、ヘーゲルは過度に神聖視されていた。ヘーゲルの弟子たちが「ヘーゲルが西洋哲学史の頂点だ」と説明してきたこと、マルクスが自らを「ヘーゲルの弟子」としたこと、サルトルがヘーゲルの「弁証法」を継承したことで、少なくとも哲学史家とマルクス主義者と実存主義者は、ヘーゲ

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          《備忘録》国外脱出などについての対話

           2024年3月27日、HIさんとの対話より。〔誤解のないように断っておくと、これはあくまで私が再構成した内容であって、以下のような内容が実際に話されたわけではない。〕 *  研究者は良い仕事だ、とHIさんは言う。彼女は他者の痛み(痛みの可能性)に敏感だから、現実の研究者を理想化しているわけではない。研究者にも研究者にしか分からないような苦労と痛みがあって、それはもちろん彼女も承知している。だからその言葉は、研究者という仕事を理想化して羨んでいるのではなく、上手く言葉にな

          《備忘録》国外脱出などについての対話

          『資本論』第1章のDialektik

          第1章 商品 「商品」というものは、何も不思議のないもののように思える。我々は、労働によって「商品」を生産する。また、貨幣によって「商品」を取得し、それを消費する。これ以上の説明が必要だろうか。  それは至極当然の感覚である。けれども、マルクスは、どうしても「商品」の分析から『資本論』を始める必要があった。なぜなら、人々が自明視している「商品」こそが、資本制社会における〈物神〉の原始形態であり、より高次の〈物神〉である「貨幣」や「資本」を成立させる基底だからである。資本の自

          『資本論』第1章のDialektik

          Dialektikとしての『資本論』

           『資本論』の特徴は、その全体がDialektikによって貫かれていることである。Dialektikとは、ギリシア哲学における「問答法」、ヘーゲル哲学における「弁証法」に対応するが、ひとまず「対話の技法」と理解しておけば問題ない。マルクスは『資本論』を通じて、読み手と対話しようとしているのだ。〔マルクスにおいて、Dialektikは一切の神秘的な含意を剥奪されている。〕  人間は、対話を通じて高次の認識に到達することができる。たとえば、ここに一つの物体があるとしよう。ある人

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          《備忘録》福祉などについての対話

           2024年3月14日、SKさんとの対話より。〔誤解のないように断っておくと、これはあくまで私が再構成した内容であって、以下のような内容が実際に話されたわけではない。〕 *  川喜田二郎の「KJ法」は、もともと野外科学の方法として開発された。野外科学とは、ありのままの現実から出発する科学である。  文献から出発する書斎科学は中世からすでに遂行され、仮説から出発する実験科学は近代になって急速に発展した。しかし、書斎科学も実験科学も、我々が「現実」として経験するような事態を

          《備忘録》福祉などについての対話

          《備忘録》バレエなどについての対話

           2024年3月13日、RHさんとの対話より。〔誤解のないように断っておくと、これはあくまで私が再構成した内容であって、以下のような内容が実際に話されたわけではない。〕 *  とある知人が、引退したバレエダンサーにアンケートをとっていた。詳細は覚えていないけれども、バレエ経験をどのように意味づけるかを問うている。面白かったのは、「あなたにとってバレエとは?」という抽象的な質問をすると「私の人生の軸」や「かけがえのないもの」といった答えが返ってくるのに対して、それを具体的に

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          人間解放の実践のために [4/4]

          「人間主義」の射程 -- マルクスを超えて マルクスは、資本主義の仕組みを鋭く分析するとともに、社会の処方箋を提示した。「共産主義」と呼ばれる処方箋はもはや過去のものとなったが、資本主義の分析はいまだに有効である。マルクスが問題にしたのは、まさに資本主義そのものが人間性を圧殺する装置だということであった。我々は、マルクスを踏まえつつも、彼の処方箋を超えていかねばならない。 マルクスの「人間主義」  労働は、決して「死んだ時間」ではない。それは人間本来の創造性を発揮するプロ

          人間解放の実践のために [4/4]

          人間解放の実践のために [3/4]

          「マネジメント・ゲーム」の射程 -- 会社を奪還せよ マネジメント・ゲームがいかに会社を変えるかは、その変化を経験した人間がいちばんよく知っているだろう。私はここで、経営改革の具体例を紹介しない。その代わりに、あらゆる経営改革に底流するMGの効果の骨格を取り出してみたい。それぞれの読み手に即して、いかようにも豊穣化されうる土壌として、この論考が読まれることを願う。 「会社」からの疎外 -- 人間性の喪失  この言葉が重みをもって響くのは、現代社会では一般に、「人間性」と「

          人間解放の実践のために [3/4]

          人間解放の実践のために [2/4]

          「理想工場」の射程 -- 小林茂の理念と実践 ソニーの設立趣意書に刻まれたこの文言は、今や世間に広く知られている。「理想工場」が有名になったのは、それが理念として魅力的だっただけでなく、それが現実の工場で実践されていたからに他ならない。この論考では、ソニーの厚木工場を「理想工場」に再生した立役者である、小林茂の理念と実践に焦点をあてたい。 小林茂の理念 -- 人間こそが労働の主人公であれ  小林茂の理念を一言で表すとすれば、「人間こそが労働の主人公であれ」が良いだろう。彼

          人間解放の実践のために [2/4]

          人間解放の実践のために [1/4]

          序文 -- 人間解放の実践のために 「人間解放」は、すでに過去の言葉になってしまったのか。その言葉は、現実を知らない若者の自己満足に過ぎないのか。「仕事場でこそ人間性が回復されるべきだ!」といった叫びが、フンと鼻で笑われてしまうような社会に、我々は生きている。  どうやら世間では、仕事と生活を切り離すことが常識らしい。仕事は「耐え忍ぶ時間」であり、生活のためにお金を稼ぐ時間である。人間が人間らしく生きるのは仕事が終わってからで、仕事中は自分を殺して歯車となる。昨今の流行語と

          人間解放の実践のために [1/4]

          熱い創作と冷たい創作 -- 創作者の「自殺」を必然とする現代社会の構造

           現代社会における創作活動は、〈熱い創作〉と〈冷たい創作〉という二つの極を持っている。前者が人間的な活動であるのに対して、後者は経済的な活動である。〈熱い創作〉が〈冷たい創作〉に呑み込まれるとき、創作者は再び殺される。 創作活動の二つの極 宮沢賢治は、彼自身の抱える矛盾に、どこまでも誠実に向き合った。彼は農民に深い共感を寄せたけれども、それがいかに自己破壊的な共感だったのか、ほとんど理解されていない。裕福な商人の家に生まれた賢治は、彼自身の身体が農民たちの血と涙でつくられて

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          メタ社会学的対話 [5/5] -- 「入門」の一歩先へ

          「原罪」と実存―― 僕自身の「原罪」か、良い質問だ。 ―― 社会学者は、自分で「原罪」を選びとる。君はそう言ったはずだ。 ―― 確かにそう言った。けれど、僕の「原罪」は、すでに説明されているんだよ。 ―― どういうことだ? ―― 「原罪」とは、何かを自明なものとして認識するプロセスだったね。 ―― 原理的には「他のようでもあり得る」モノゴトを、「他ではあり得ない」モノゴトとして自明化して、認識の出発点をつくるプロセスだ。 ―― そこで、僕が自明化しているのは、「原

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