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うまくいっている人の話。

うまくいっている人の話が聞きたいと思う。
実績という過去の栄光じゃなくて、
いま現在、日々に満足して幸せに暮らしている人。
欲しいものや状態をある程度、手に入れられている人。
まだこれから欲しいものがあって、
未来に希望を抱いて生きている人。
そういう日々のかけらに触れたいと思う。
外から見えやすい条件ではなく、内面がうまくいっている人。
自由(抑圧がない) で豊か(飢えていない)で強か(弱っていない)に
地球の上の社会の中で生き抜いている人。
生業がどんな業界であっても、人間でいる人。

そういうふうにうまくいっている人たちに、どうやっていい状態をつくっているのかをインタビューをしていきたいと思ったときに、一番身近にいるそういう人が自分だと気づいた。

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私は、ロスジェネ世代である。
いい大学に入っていい会社に入ることが人生を無難に成功に導く方法だと、疑うこともなく私を育てた両親のもと、いい大学までは行ったがいい会社には入れなかった。
いい会社に入れなかったのに明日から社会人にならなければならなかった2002年3月31日の夜。私は未来に一筋の光も見出せず、泣くこともできず真っ暗な気持ちでベッドに入った。
それでも、内定をもらえた会社に就職するしか選択肢はなかった。ギャップイヤーという言葉も当時はまだなかったし、起業したりフリーランスになる選択肢も今のように一般的ではなかった。キャリア教育だって全然なかった。20数年前、そういう情報は世の中にほとんどなかったのだ。独立起業といえばフラインチャイザーになること、という世界だったし、ありきたりな就職をしたくない学生の突破口のようにも見えるIT業界も、ドットコムバブルが弾けた当時は荒野で、サイバーエージェントや楽天ですらまだ正体不明のうわついた新興企業だった。
私が小〜中学生のころに、バブル崩壊とともに高度経済成長時代は終わった。大学を卒業する頃になってもまだ、祭りのあとの荒野はまだ昭和時代を引きずった頭の大人たちがひしめく荒野のままで、低迷から抜け出すための新しい種は、撒かれてはいたのかもしれないけれど、希望を謳う新芽はどこにも見えなかった。
誰も知らない、望まない就職をすることが決まったが最後、安月給で立派な名刺を持てないことにプライドを傷付けられながら働く未来しか見えなかった。

いきなりどん底だったスタート地点から丸20年ののち、こんなに仕事が大好きで、自由で豊かで強かな、満たされた日々を送っている。大金持ちではないが、貧乏でもない。夫子どもはいないが、自分が自分の最強の味方だ。
我ながら、いい人生だと思っている。

だから、何をどうしてそうなることができたのかを、少しずつ書いていきたい。

綺麗に舗装された真っ直ぐなコンクリートの道ではなく、就活に失敗して荒野に追いやられた道なき道の先にあった、ふかふかの腐葉土のような現在地と、そこまでの道行きのことを書く。

***

就活に失敗して望まない就職をしたのだけれども、今思えば、はっきりと「失敗した」と言えるほど就活の成功イメージを描けていたわけでもなかった。
就活中に本当に「面白そう」「入りたい」と憧れたのは、リクルートと博報堂の2社だけだった。のちにリクルートには入ることができ、博報堂はお仕事をさせていただけたので、21歳の心に宿った幼い憧れは、大人の私が果たしてあげたことにしている。

ふんわりとした憧れはあったけど成功イメージはなく、「銀座や赤坂に立派な本社ビルがあって、かっこよくて有名で、パリっとしている人間集団の一部に私もなりたい。ならなければならない。」というくらい。お仕事の中身について覚えているのは、リクルートの採用VTRを見て「情報を解放することで新しいマーケットを作るって超面白そう」と思ったことだけ。

自分から「こんな仕事がしたい」と言葉にできていたのは「本と雑誌が好きだからつくりたい」というくらいで、それも今となっては本当に「本と雑誌が好き」だったのか「好きな本や雑誌がある」だけだったのかわからない。おそらく後者だ。

成功イメージ以前に、働いている自分すら全くイメージできていなかったし、働くってどういうことなのか、まるでわかっていなかった。そう考えると、私の就活に成功も失敗もあったものではなかったと言ったほうが正しい。応募する企業に合わせて、一応、志望動機をひねり出してはいたものの、面接で発話している自分自身が嘘臭さに白けきっていた。

今振り返ると、「自分がどんな人間かもまだわからないし、働いたことがないのでやりたいこともわかりません。でも、親に食べさせてもらってきたこれまでとは全く違う新しい形で、ワクワクできることで、素敵な仲間と出会って、たくさんお金を稼いで生きていきたい。」って言いまくっていたほうが良かったのではないかと思う。自分の中に材料がないのだから、成功イメージも働いている自分も思い描けなくて当たり前なのだ。
わからないことはわからない。でも希望はある。お金を稼ぐ気もある。ワクワクしていたい。新しいことに挑戦したい。
面接で、モヤの中にあって見えないDoingよりも、確信を持てるBeingの話をしたってよかったのかもしれない。少なくとも、小賢しくひねり出した志望動機を嘯くよりも数倍マシだったはず。数ヶ月の就活期間の間で、本音でいた時間はほとんどなかった。結果ではなく、そのことが失敗だったのかもしれない。だから、3月31日を、あんな真っ暗な気分で迎えることになったのだ。

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本当によかったと思う。誰がみても順風満帆な話よりも、世間的にも自分的にも全くうまくいっていない状態から始まる話の方が、面白い。
当時は、自分がそういう人間だとわかっていなかったから、他人や世間軸で自分の就職をジャッジして傷ついた。でも、自分で自分の人生を面白がりたい人間だとわかった今、結果的に最高な、社会人人生のスタートだった。

今日のところはこれで締めます。

次回予告 : 待っていた最初の上司とドブ板営業



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