スマホ依存からの脱却

何故スマホをいじってしまうのか。それは脳が暇になるのを恐れる感覚があるから。
なにも情報が入ってこないフリーの状態だと現実に向き合わなければならない。
恐怖にさらされている現実は幸いにもなく、あるのは自己嫌悪や不安感でしかないのだが、自分の考え次第で些細なそれが、恐れ慄くような心配事になってしまうことがこわいのだ。

ともすれば、自分の考えを変えれば事足りる。
しかし、思考回路を変えるのは難しいので、どうでもいいやって、思い込む。
白でも黒でもない、興味のないふりをする。考える場は、このnoteのなかで吐き出して、それが終わったら自分の頭の中で考えるっていう行為はなしにしよう。
わたしは自分の考えを把握するのが苦手だ。感情がめちゃくちゃ前に出てきて、渦巻いて堂々巡りとなる。感情に邪魔されて考える余地がなくなる。
本当は考えることなんてそんなにない。いつも私が苦しんでるのは自分自身の感情もとい不安感だ。
現実的な問題や対処法よりもまず不安に呑まれてしまうところがある。
正直感情なんて邪魔だって思うけど、言語化が苦手な私にとって形を成さない感情が行動力の源になるときがしばしばである。

感情全てを否定するのではなく、今の自分はこういう風に感じているんだと受け入れることが自己肯定感の向上につながるという。
感情に押しつぶされそうになる様を他人事のように見ることができるのか。それってなんか味気ないなと思ってしまったわたしは、感情に振り回されている人情味のあるわたしのことが案外気に入ってる部分もあるのかもしれない。
苦しい時は手離して、退屈したら感情の中を揺蕩ってみよう。
どうでもいいんだから。大抵のことはどっちだっていいこと。どうだっていいこと。心配事だって、大抵のことはどうでもいいこと。なんとかなること。

スマホの情報で脳に蓋をしていたけど、その習慣もなんとかなるかもしれない。
恐怖だと思ってた現実も、どうだっていいことの連続だから。どうだっていい、は今のわたしにとっては前向きな言葉なんだ。



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