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中学生

小学生の頃がミニバスなら中学生の頃は、ソフトテニス部でした。いわゆる軟式テニス。あのゴムみたいな球を打つやつです。音の可愛さの割に、当たるとめちゃくちゃ痛いです。先輩によく壁に張り付けにされて罰ゲームで当てられた記憶があります。

そんな中学生の頃は、とにかく周りがキラキラしてました。女子はキラキラ、男子はギラギラ。どういうことかと言うと、青春が始まったわけですね。そこかしこで誰かと誰かが付き合っているという話が持ち上がり、女子は色めき立ち、男子は悪ぶっていくようなあの変な高揚感がありましたね。

さて、テニス部ですが。なぜかあんなに好きだったバスケを中学ではやりませんでした。ミニバスでとても嫌な経験をしたので、中学校に入ったら緩い部活をやりたかったんでしょうね。中学のバスケ部の先生もこれまたスパルタで有名でした。ちなみにウチの兄はバスケ部でその悲惨な現状をいつも聴いていました。そもそも兄はバスケなんて全く好きでもなんでもないのに入っちゃって、多分友達に流されてでしょうけど、三年間やってるんですよね。なぜ辞めなかったか聞いたら、「退部届を出す勇気がなかった。」と言ってました。それぐらい先生が怖かったんですね。

そんなこともあり、バスケ部はすぐに諦め、他の運動部を探していたところ、見つけたのがソフトテニス部でした。当時ソフトテニス部は指導教諭が辞めた直後で、まだ誰がやるかも決まっていない状況でした。なので、テニスに詳しくない先生が入れ替わりにやっているのを知った僕はすぐに白羽の矢を立てたのです。

親にテニス部に入ると言ったら不思議がられましたが、僕に迷いはありませんでした。さあそのテニス部ですが、これがまた想像通りの楽園でした。先生は厳しくないし、先輩も優しいし。とても楽しかったですね。中学のソフトテニス部はダブルスしかなくて(今は知りませんが)、大体ネット際にいる前衛か、バックラインで控えている後衛かに分かれるんですが、僕は三年間後衛でした。なんせ動けるデブなんで、走り回るのは好きでしたね。

僕らの練習はひどいもんで、まず走り込んだり、体力づくりみたいなことは一切しません。とにかく試合形式の練習ばかり。だから試合には慣れてましたね。だけど、長期戦になったり、相手に底力があると、コロッと負けていました。福岡は最初区大会から始まって市大会県大会と進みます。僕らは市大会止まりなんですね。二年生の新人戦で個人で組んでた久家くんと県大会まで行ったのが最高成績ですね。

練習をまともにしないであそこまで行ったので割とセンスはあったかもしれません。テニス部は小学校のバスケと違って、楽しくやっていたので、最後も悔いなく終わりましたね。本当に楽しいまま三年を過ごしました。練習しないで毎日目の前の野球部の練習を見ていたことをよく覚えています。ちなみにその野球部は全国優勝しました。確かに惚れ惚れするほど練習からうまかったです。

世間はキラキラしている中、自分はテニス部で遊び呆けていました。彼女も出来るわけもなく、のんびり過ごしました。それなりに人を笑わせたり、楽しませたりは常にありました。だけど全然モテなかったわけではなく、小学生の頃から合わせたら三回くらい告白されました。ラブレターなるものも二回くらいもらったことありますよ。当時は、女の子と付き合うという感覚もわからないから冷たい態度を取ったりしちゃいましたけどね。今にして思えば、あの時その子たちに優しくしていればばなあと思います。もっと楽しい思い出が増えたかもしれません。

そんな楽しい中学時代でしたが、高校でまた転落します。その高校時代の話はまた。

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