日々の日記Vol.53 2024年3月11日~3月17日(一週間分まとめてアップ)
3/11
親が子に性的イタズラをした話を聞いて不快になる。
親が子にそんな事をする感覚が理解できない。
昔、バイトでベビーシッターを経験した。乳児を預かって世話をすると必然的に小便、大便の始末も行う。
その子は大きくなってすこぶる美形となったが、もし好意を抱かれて床を共にできたとして、生理的に受け付けないだろう。
若い子を形容する言葉に「ションベン臭い」という言い回しがある。
わたしにとってその子はションベン臭いどころか、ミルクを主食とする時期特有の臭いがするオムツを替えた経験があり、どうしてもそのイメージが拭えない。
これは理屈ではない。説明を強いられたら「本能が受け付けない」としか言いようがない。
父親だったらわたしのような感覚はより強いはずだ。
それが娘だったら猫可愛がりして、箱入り娘になどと願望を抱くだろう。
さて、そろそろ猫可愛がりしにいくか。
3/12
強い風雨で昼は冬にように寒く、夜に寒さが和らぐ。
家に篭って翌日の自転車旅準備しながら、以前に知人とアプリを介して雑談した内容を思い出す。
知人は小規模ながら自営業者、経営者である。
主に車中から空いた時間に会話する事が多い。それだけ多忙な身分だ。
その日は訪問先の企業たち、特に大企業の体質とサラリーマンあるあるが雑談だった。
まず、訪問先企業Aでは職務上必要でなおかつ合格率の低い資格を取った新人さんに対して周囲は
•できて当たり前
•褒めない
•ダメ出しする
という態度とコミュニケーションを取っていたという。
ダメ出しする人の心理には若い頃に同じようなダメ出しと褒めないのが当たり前という空気の中で過ごしたので、そうするものだと無意識に刷り込まれいるのと、虐待された子が親になって虐待するような負の連鎖がある。
だいたいダメ出しと褒めないスタイルのおじさんコミュニケーションする人は家庭でもそうしてしまい、家に居場所がないか威張っていても疎まれている。
わたしはと言うと餌やり、ブラッシング、猫パンチ、マーキングなど非言語コミュニケーションを日中行っている。
例えば以下にアップする写真をメッセンジャーアプリにアップロード。
夜にその写真を無言で彼女に送る非言語コミュニケーションも行っている。
彼女からも可愛い旨の非言語メッセージが返ってくる。
再び猫と非言語コミュニケーションへ行きたくなる。
3/13
今日は富士山を目指して自転車旅に出る。
疲労困憊だから写真だけアップして終了。
3/14
むかし知人との会話でその知人が若い頃、ホテルに非正規で働いていた。
職場で一緒に働いていた老人がかつて、大企業の管理職で高給取りだったと語っていた。
こういう話は自慢と武勇伝なので聞く方は退屈でしかない。
知人は老人に頷きつつ「高給取りだった時点で没落しないよう努力しなかったのか?本当に優秀なら保険をかけないのか?」などと考えていたという。
その問いに対して今思うのは、NHKでよく聞く「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という台詞がその老人に相応しいだろう。
没落した人に共通するのは「5年後、10年後どうしたい?」という問いに対して答えられるビジョンを持っておらず、ただ今現在を受け身で生きているに過ぎない。
これは脳みそもなく反射神経で捕食する以外は海流に流されるままのクラゲに過ぎない。
人間がクラゲと違うのは自身で移動して自らの環境を変えられる事だ。
漫然と怠惰に今現在を貪るだけでは高学歴高収入の管理職であろうと引きこもりニートと本質は変わりない。
なので薄給の無位無官の身ながら地方への移住も視野に入れている。高齢者が新たに賃貸へ入居するのは難しい。庭の家庭菜園で多少の自給自足も必要になるだろう。ソーラーパネルである程度の電力自給を模索する人もいる。
中高年になると新しく始めるのは膨大なエネルギーを要する。とても面倒に感じる。先延ばししたくなるがやらないと老後に泣く。
これは自身が人間ドックにずっと行かないことへの危機感と自戒から「人間ドック行きましょう!」と声を大にする某落語家と同じくわたし自身への自戒として書き残す。
さて、怠惰で気ままな猫の顔でも拝みに行こう。
3/15
彼女がケガで入院している病院へお見舞いに行く。
2時間ほど歓談して帰るまえに退院したらお祝いにどこか旅行しようと提案した。
それに対して彼女は僕の作ったカレー、ナポリタンが食べたいという。
わたしも外科で入院した経験あるから病院食がどれだけ味気ないかよくわかる。ジャンクな物ばかりと思ったが、病院食という健康食の極みを食べ続けたらジャンクフード食べたくなるよなあと納得。
来週以降に京都へ行くから知人にスケジュールを伝えないといけない。
しかし、こういう時に限ってスケジュールが詰められている。
年度末なので多忙なのはしかたない。
頻繁に彼女の面会に行くだろうし、4月以降でお願いできないか、あとで連絡しよう。
スケジュール調整終えたらカレーを練習も兼ねて作ろう。
3/16
田舎暮らしも視野に入れていると、首都圏の博物館、美術館に行こうと思って先送りしていたのを思い出した。
乃木坂駅から徒歩でゆく国立新美術館は現地に向かったものの、行列の長さで鑑賞せずに帰った事が何度もある。
東京国立現代美術館や皇居三の丸尚蔵美術館もまだ未踏だ。
猫の鑑賞も欠かさず行わねば。
3/17
新たな物に興味が出ない、前ほど感動や感情移入しない、本を読んでも内容が入らない、ページが進まない。
これらは和田秀樹氏が指摘の通り「脳の老化」もあると思うが、単に感情移入の対象が変わったのあると思う。
Netflixなどのランキングから挙げると『僕のヒーローアカデミア』のような王道のマンガに登場する10代からせいぜい二十歳前後の登場人物に青年期なら感情移入しただろう。
しかし、中高年となって両親が他界したいまは『ジャッジ 裁かれる判事』を見て、排泄の介護する息子に涙する親、帰郷先の飲食店で出会う同級生、親の他界と葬儀後の親族との交流などは自分自身の経験を投影させ、感情移入してしまう。
逆に青少年なら興味を示さず、同年代が登場するマンガに耽っただろう。
いまはNetflixで配信中の『プラン75』を時間作ってじっくり視聴したい。
猫の視聴も忘れない。
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