福祉

不便であっても不幸ではないマルチステークホルダーでつくる社会

渋谷区主催の『超福祉の日常展』―従来の福祉の枠を超えて日常とつなげる、障害者やマイノリティへの意識のバリアを取り除く、などを目的として1週間で40名近い登壇者でトークセッションが行われている。(2015.11.10-11.16ヒカリエ8階)

その中で、認知症に取り組まれている富士通研究所の岡田誠さんの話をご紹介したい。認知症の人が隣にいる社会(2025年には65歳以上の5人に一人が認知症になるという)はもう近い。岡田さんはこの世界を『残った力で「できること」を出し合って「不便ではあるが、不幸ではない、マルチステークホルダー(多様な主体)でつくる社会」』と定義した。そしてこれが多様性をもつ社会の姿だ、と付け加えた。

健康エリートたちは効率的で利便性の高い社会を目指すが、多様性に向かう世界では違う。「不便であっても不幸ではない」なのだ。岡田さんの想いと実感がこの言葉に込められている。

 でも、なぜ富士通が認知症を扱うのか?それは、通信が心をかよわせるツールだから。心の通わせ方、言葉の通わせ方が、認知症がすすむ社会では当然いまとは違ってくる。通信だけでなく、対応するインフラ―道路・鉄道・公園等、公共施設―図書館・美術館・博物館等、理美容などのサービス施設、商業施設、住宅などは、ずいぶんと違ったものになるだろう。そして働く場所も変化せざるを得ない。障害をもってケアしあいながら病院で働く人だって増えるであろう。

岡田さんは、『勢いで「認知症とはどんな社会を求めるか?」とタイトルをつけてしまったが、「私が認知症になったとき私はどんな社会に生きたいか?だったらいえる。」』と話をはじめられた。

・人生の主役でありたい・誰かを応援すること・豊かな時間を過ごすこと・役割をもっていること・社会の一員であること・支える側の一人でもあること

 この6つは、どんな人生にも当てはめたい。引きこもりであっても、ホームレスでさえも。そしてどれも不便であっても不幸ではないマルチステークホルダーがつくる社会を、個人の方から見た時の姿だとおもった。そして自分たちにできることを2つ示された。

一つは知ること。「知ること」とは、肩を寄せて同じものを見、同じ思いでみつめることだ、と岡田さんは言われた。北海道の北見から九州大牟田まで、健常者も認知症の人も一緒に3000㎞を8000人でタスキリレーをした。これもその試みの一つ。今年は沖縄までやるという。

認知症の人も含めて、その人が普通にできることをみんなでやる、ここでいえば同じ思いで走ることで、多様性のある社会の姿を実感として知ることができる。

 もう一つは、共通の言葉を発見していくことである。たとえば「おもしろ化」・・おもしろくしよう!「特別な日」・・毎週水曜日にちょっとおめかしして公園に行くこと、など、と言われた。一緒に走り、共通の言葉をもつことで、私たちの日常に組み込むことができる。日常に組み込むことで福祉が社会基盤として成熟していく。


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