『東京都同情塔』を読んで(2)面白かった点|AIと私の今 '24.4 ⑤ #035
九段理江『東京都同情塔』新潮社の書評の続きです。
今回は前回の概要を受けて、この作品が面白かった点を3つまとめました。
1.「日本人の国民性」を残酷なまでに浮き彫りにしている
『シンパシータワートーキョー』は極端に言えば、聞こえの良い寛容論やカタカナで本質を誤魔化した、体裁がキレイな刑務所です。作中ではその体裁が本質だと信じて疑わない日本人も描かれます。
そしてもう一つ先のポイントがあります。
それは作品の世界でタワーが『東京都同情塔』と広く呼ばれていることです。(これはタワーを設計した主人公・牧名がそう呼ぶと決めた名前で、それが自然に広まったのだと思われる)
この名前は非常に直接的に意志を持って本質を捉えようとしている名前だと言えます。その表現が非常に的確だったからこそ広く使われているわけです。
では日本人は本質に向き合えているのでしょうか?
答えはNoです。
ここで描かれているのは、本質を突く日本語を採用してもなお、そのことに向き合っていない(向き合えない)日本人の姿です。
深層意識では『東京都同情塔』が的確だと感じているからその名前を使うわけですが、日本人はその言葉の意味を「考えていない」のです。(この姿はAIと重なる)
キレイなもので嘘や誤魔化しをしていても、多くの日本人はその意識が全く無いまま過ごしているのです。何も気付いていないので、当然悪気もありません。
本質が見えている人にとって、その集団がどれほど異様に映るかも作中で描かれています。
「日本人の国民性」をこうも生々しく描けるものかと鳥肌が立ってしまいました。
2.矛盾をはらむ仕事の苦悩を知れる
主人公の建築家・牧名は、タワーの名称案や役割には疑念を持ちながらも、【建築物としてのタワー】を意志を持って設計し完成に至りました。
牧名は、建築家はただ「箱」を作る役割で中身は関係ないと考えていましたが、結局完成後の現実からは目を背けることが出来ませんでした。作品を通じて牧名の大きな苦悩が描かれます。
この牧名の状況は、多くの人が陥りがちだと思いました。
・自分の領分は誇りを持って完遂しても、組織全体の在り方に疑義がある
・このまま進むと良くないかもという予感があっても立ち止まれないこと(そして後悔する)
実際に私の仕事でも、多かれ少なかれこのような状況はあります。
登場人物の心情を知ることで、自分の状況を少し俯瞰して見ることが出来ました。
3.AIは非常に「日本人的」であることが分かった
1つ目にも挙げたのですが、作中の多くの日本人は何も考えずに意志もなく『東京都同情塔』という名前を使っています。(それらしい言葉をなぜそれらしいかを考えずに採用している)
この「日本人的」な姿は文章生成AIの振る舞いと重なるところがあります。
これは考えてみれば非常に面白い点です。
AIが「日本人的」なのだとすると、未来から日本人的なものがやってきたことになるからです。
作品を通じて「日本人の国民性」が浮き彫りにされた上に、AIも本質的な部分でそれと似ていることが分かりました。
これは私がAIを理解して捉える上で、非常に有益な気付きになりました。
生まれた新たな疑問
「AIは日本人的」という捉え方に納得したところで新たな疑問が生まれます。
【自分たちが考えていること・発していることってAIと変わらないのでは?】
次回はこの疑問を軸に、作品を読んで私が今後どのように行動しようと考えたかを書いていきます。
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