これからのインターネットソーシャル/インターネットは現実社会の延長を脱却できるか?
はじめに
今回はだいぶ発散目的で書いた、反省はしていない。昔のテキストサイトで書かれた日記を読む感覚でみると楽しく読めるはずだ。
さて、本記事のキッカケとなったのはこのAbemaの動画である。
私もインターネットやIT技術がこの先どうなるかはたまに夢想することがある。本記事は私の見ているインターネットの世界観をまとめました。
AI社会(大規模言語モデル)を予想していた件について
近年AI技術(LLMモデル)の台頭の台頭で話題も株価が盛り上がっているが、実は私も10年ほど前にそのような技術方向に向かうのではないかと友人に語っていた。その時の様子は以下の通りである。
世界中のデータを読み込ませデータ統合をした集合知にアクセスできたり、統計や分析手法が共有される世界がくると私は酒を飲みながら友人に語っていた。その友人は優秀なITエンジニアであるが故に、私の話をただ黙って聞いてくれていた。おそらく荒唐無稽だと思われていたんだろう。私は技術領域について素人ではないのと、性分として想像だけで語ってはいない。そこで話した根拠は「ディスク容量の単価が過去考えられないほど安くなっていること」を主要因として挙げた。他にもCPUやメモリ、GPUの価格が下がり高効率・大容量化していることも付帯しておく。
私は研究者ではないので、GPUで計算処理をするとかLLMモデルが~などには言及していなかったが、ありあまるリソースを使って過去とはスケールが違ったことをやりだす人間がいるのは必然であると考えていた。私は木は見れないが森は見ることができる。小さな生け簀に出口があり、その先に大海があったら魚は泳ぎ出るだろう。そう考えるのは至極当たり前であり、いまのAI技術(LLMモデル)もつまりはそういうことである。
また、未来の技術予想に関連した話だと、14年程前の就職面接で「自動運転技術」や「空飛ぶ自動車」についてH技研工業で話している。私はニューラルネットワークと特徴量による画像認識の研究を行っていたのだが、私がいればいまのテスラになれたし、ドローン技術の最先端を走れたはずだ。採用してくれなくて残念だったよ。当時はただの興味でしかなかったが、今の技術トレンドを20年程前に正確に選択しているあたり私は先見の明があるといまでは思っている(ドヤ話)
インターネットソーシャルは変わらない
前座が長くなってしまった。
私はタイトルの通り「インターネットソーシャルはどうなっていくか」も考えている。結論から言うと、インターネットソーシャルは変わらない、マス層は継続してプラットフォームを使い続けるし、サービスを提供する会社が根本的に営利目的であるためだ。インターネットはお金に支配されてしまった以上、もはや息苦しさや現実社会の延長から変われない。
以下は、インターネットソーシャル一般の傾向であるが、これが崩れない限りはインターネットはただ現実社会の延長でしかありえない。
営利目的である以上、インターネットはただ現実社会の延長である
メカニズムは以下の通りである。
サービスを継続するために主に広告ビジネスを行い、金銭(報酬)が発生する。同時にスポンサーもスポンサードも責任が発生する。
お金が発生することで無責任なことができなくなる。その起点となるのが企業や有名人であることが多い。
まともなことを言う目立つ人がいる、またはまともなことを言う人が増えることで、世の中の常識や制約が持ち込まれる。
それが主流の意見となればなるほど、同調圧力やシラけたツッコミや反応によってユーモアのあることが言えなくなる。
結果、創造性がなくなり均されたコミュニティとなる。
読者のみなさんは「コミュニティに一生」をご存知だろうか?私なりに見てきた傾向と一致している要素も多い。
私が記載したのは「面白いから凡人が集まってくる」から「残った凡人が面白くないことをする」あたりの話である。このコピペはお金の発生しないコミュニティを例にしており、私のメカニズムは営利目的のプラットフォームを対象とした話である。プラットフォームはコミュニティではないので、サービスが供給され続ける。「人が居なくなる」ことはない。なんならプラットフォームにいるユーザーに目的意識などないため、去るという概念がないのだ。
原初のインターネットでは、一定の目的があるコミュニティが発生し、趨勢があり消滅していく。プラットフォームは性質として特定の目的が存在しないし定義されていないため新陳代謝がない(乏しい)のだ。政治の政党でいうならば常に無所属なのである。インターネットのユーザーは、確たる信念もなければポジションを張らないので「無所属」とも言えない。いうなればネットの海を漂っているだけのクラゲだ。「現実社会の延長から変わらない」という持論はここから来ている。彼らは何もしない。ただ漂っているだけ。世の中の人間は圧倒的にクラゲなのだ。私が書いたこの記事のように何かを強く主張したりしない。現実社会ではそれが一番うまくいくためだ。
原初のインターネット
インターネットソーシャルの原点は「情報」そのもののだった。00年代前後だと有識者のディスカッション、同好の士の集い、ゲームの攻略情報、商取引(レアアイテムの交換)などが個人サイトや掲示板で行われていた。もっと前のパソコン通信になると個対個の話になる。インターネットのコンテンツは、それぞれの専門を持ち寄ったものでありいわば同人誌即売会だったと私は認識している。
取るに足らない情報は、特定のコミュニティではなく2chの掲示板に書き込まれ、自虐と侮蔑の意味を込めて「便所の落書き」と評されていた。それでも一応管理(モデレート)はされている場だったので、掲示板ごとに棲み分けがされカオスの中に秩序を見出すことができる。どれほど危険なスラム街にも暗黙の秩序があるように2chにも存在した。私の出身であるLiveTubeという元動画配信サイトも同様であった。
この頃は多くのユーザーが何かしらのクリエイターまたは活動的で何かしらの意思をもった人間であった。受動的な人間もいたが「ROM」というポジションが用意されていたため表面的に存在を観測することは少なかった。
匿名性は情報の本質へ集中させてくれる
実名性と匿名性の話がインターネットの「面白さ」を議論する上では欠かせない。コミュニティを継続するためには面白さが欠かせないので、熱く語りたいところであるが、話題がブレるのでそういう要素があるということだけ記載しておく。面白さについても持論があるので、また別の記事にしたいと思う。
主義主張
私は「インターネットは常に無料であるべき」という意見だ。インターネットは常に制約が緩く(もちろん犯罪は良くないため)、独創的であるべきだで、そこには責任が発生せず、自由な発言、発想ができ、秩序がなければ無いほど良い環境であると考えている。可能な限り表面上で金銭が発生しないことで、それらの実現ができると信じている。
現実世界が法律や倫理といった秩序の上に成り立っていることに対して、インターネットは常に混沌としてるべきだ。1990年代のインターネットを知っている人間は実感があると思うが、新しい世界として拓かれたのだ。いまでこそ「メタバースやるぞ!」などと大企業が言っているが、当時の我々としてはインターネット自体が仮想現実(第二の世界)そのものであった。MMO RPGやコミュニティ形成と同時に普及していった流れも幸いしたと思う。
混沌としているべき理由
人類は常に幸せであるべきだ。楽しいことや新しい技術発展、変化が人類の幸せの源泉である。そのためには同じことばかりやっていてはいけない。
ノーベル物理学賞なども、実験手順や分量を間違えることで新たな発見があるように、人類が先に進むためには常にあらゆる選択肢を試す必要がある。
そのためには秩序から逸脱した行為や発言が許容・受容される環境が必要なのだ。現実社会ではできないため、インターネットにはそれが求められている。そうであるべきだ。新鮮であるから楽しい、新しい世界が見れるから楽しいのである。
生物の生存競争と遺伝子の仕組みをご存知だろうか?生物の遺伝子は突然変異を起こすのだが、変異した遺伝子が生存競争で優位性があれば、旧来の個体に置き換わっていく。インターネットの文化やコミュニティもこれと同様である。
インターネットミームや流行するフレーズもそうだが、常に独創的で倫理観と制約が緩いコミュニティで発生する。それの代表例が場末のインターネットであり、女子高生であり、海外である。
常に理性的で常識的に生きてきたら「ティーダのち●ぽ気持ち良すぎだろ」なんて言葉を発する機会はない。少なくとも、私が常に理性的である職場環境ではそのような発言はすることは考えられない。
インターネットソーシャルの未来の形は?
じゃあどうなるの?という話。
メインストリームは現状の通りプラットフォームであり続ける、と私は考えている。いまインターネットにいる多くの人間は、インターネットは現実だと認識している。そしてそうした人間が圧倒的多数(マス)である。もはやこの状況を覆すことはできない。
先進的で独創的な、面白いことをする人たちも現在のプラットフォームに居続けるだろう。新しい環境が発見され次第、そちらも併用することになるはずだ。原初のインターネットが楽しく、現実社会が息苦しかったからといって、00年代の人間は現実社会を捨ててはいないことからも明らかである。
新しいインターネットソーシャルの要素・片鱗
実は私は片鱗を見ている。いまあるサービス単体で、新しい世界として台頭するとは考えにくいが、それぞれの要素をかけ合わせることで、また混沌とした楽しい世界を見ることができると考えている。
通信経路の秘匿(技術的に特定困難な前提)
深層ウェブ、ダークウェブ(情報の秘匿を前提とした文化や考え方)
P2P(営利企業に依存しない仕組み)
マストドン(特定領域の尖ったコミュニティ)
ユーザーへの適度な参入障壁
上記はサービスの話であり、ただ要素をまとめると以下の要素が大切である。
交流
匿名である
一期一会である
参入障壁
ちょっと怖い
ちょっと難しい
運営
非営利である
自治されている
世界線が連続している
特にちょっと難しい、ちょっと怖いという要素が重要である。非倫理的でアングラであることで、真っ当なビジネスが成り立たないためである。スポンサーがつくにしても、許容できる営利活動はえっちで怪しい広告バナーあたりまでだろう。それ以上は潔癖であるためスポンサーとして参入されると面白くなくなる。
俺が考えた最強の「混沌とした楽しいコミュニティ」
運営の主体が明確であり、非倫理的であること
ひろゆきみたいな性格が悪いこと
交流は常に流動的であること
フォローという概念で交流を固定しないこと
名前を有して個人を特定できないこと
限定的な場所・期間での交流であること
交流を固定しないこと
交流の場は常にオープンであり、連続的である(ワンアクションで遷移できる)こと
マストドンのように自分でサーバー追加をする必要がないこと
目的ベースで交流・活動がされていること(掲示板のカテゴリやタイトルのように目的が明確である)
目的が不明瞭なSNSのような活動をさせないこと
技術的に身元の特定が難しいこと
これは必須要素ではないが、問題を起こした時に特定されない(開示請求などで簡単に特定できない)ことが重要なキーである
以上から、旧来の掲示板の仕様をベースとしたモダナイズされたサービスが新しい世界を見せてくれると私は考えている。現在の大手SNSの仕様では新しい世界は生み出すことができない。なぜならクリエイターを生む環境ではないためだ。サービス提供者が以下に運用コストを追わないまたはマネタイズできるかが課題だ。これはブロックチェーンとP2Pでどうにかならないものかと考えている。
まとめ
これからのインターネットソーシャル/インターネットは現実社会の延長を脱却できるか?→脱却できない、既存のプラットフォームが継続する。
ただし、新しいインターネットソーシャルの片鱗は見ている。要素や仕様は最後にまとめた通り。
一言でいうと、インターネットはカオスであるべきだ。
以上!
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