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てんかんと田園風景

てんかんと田園風景

僕の4つ上の兄はてんかんだ。
てんかんは意識障害やけいれんを発作的に繰り返す脳の病気で、兄の場合眠っている時が多いが立っていたりお風呂に入っている時にも発作は起きる。

兄が中2の頃に初めて発作が起きた。
二段ベットの上から猛烈な振動と呻き声が轟いて両親が必死に兄に呼びかけているのを僕は兄が何かに憑かれているのかと怖がりながら見守っていた。

両親は昔から熱心なクリスチャンで兄のてんかんが治るようにと朝起きて聖書を読んで祈り、朝昼晩の食事の前にまた祈り、寝る前にも一生懸命祈っていた。あまり医者を信用していないのか薬は飲まさず、漢方を飲ませていた。
なぜか僕にも野菜ジュースと混ぜて飲ませていた。なんとも美味しくない苦くてまずかったが、母親が1日に何度も兄のてんかんが治るようにと祈っている姿を見てしまうと断ることが出来なかった。

兄はその後高専に入学した。が、高専の寮に住んでいてもやはり発作は度々起きていた。兄はてんかん発作が起きるたびにIQが下がっているようで、その後2回留年しその翌年に自主退学した。
その頃から兄が何を考えているのか僕は表情から読み取れなくなった。元から無口な人であったこともあり、この状況を悲観しているのかそんなことはどうでもいいと考えているのかわからなかった。

その後、兄は母親の薦めで歯科技工士になるための専門学校に入学したが、そこでも留年し翌年にまた自主退学した。専門学校には自転車で通学していたが、走行中に発作が起きて顔は血だらけ歯は数本折れてしまって酷い有り様だった。そのこともあり、もう1年留年も出来たが諦めてしまった。

その後、兄は就職先を探していた。しかし、てんかん持ちは車の免許を取ることが出来ない。それは致命的で僕が生まれ育った田舎では主に移動方法といえば自動車で、就職するにもほとんどの企業や店舗では雇用条件に自動車免許を取得している者と明記されてある。

完全に八方塞がりだった。そんな兄の人生が僕は悲惨過ぎて直視出来なかったし、ただ家にいてテレビの前でぼっーとしている兄がこれからどうなっていくのかが怖かった。 僕は出来るだけ兄と話すことや家にいることを避けて、わざと晩御飯を家族と一緒に食べないように暇を潰してから家に帰ったり、兄が寝るまで自分の部屋から出なかったり、朝早く高校に向かったりしていた。

何年も経とうしているのに兄のてんかんが治りますようにと田舎でうわさが広がるのを恐れて人目をはばかり、誰にも相談せずにただ神に祈り続ける両親。何を考えいるのかわからない自分の人生に諦めてしまった兄。そんな家族に息を詰まらせる僕。一歩出ればだだっ広い田園風景に囲まれているこの家は、闇を抱えながらここだけこの家庭だけが世間から取り残されているのではないかと感じた。
僕はこんな家から逃げ出したくて高校卒業後、東京の大学へ入学した。

#てんかん #田舎 #家族 #田園風景

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