「わかりやすい」に潜む罠

「わかりやすい」って素晴らしい。

特に、新たなことを勉強したいと思ったとき、「わかりにくい」本と「わかりやすい」本があれば、間違いなく「わかりやすい」本を手に取る。

「わかりにくい」授業は最悪だ。こんな授業を受けるくらいなら、脳のメモリーを回復するため、夢の世界に旅立ったほうがずっと建設的だ、と考えていた学生時代の自分も、あながち間違ってはないと思う。

「いつも本当にわかりやすいです」と、人から褒めてもらうことがある。

難しいことをわかりやすく解説するのが僕の仕事だ。きっと、今日の僕の仕事は全うできたのだろうと思う。

でもその度に、違和感を覚える自分もいる。今僕にお礼を言ってくれた相手は、一生本当に理解することはないのだろうな、と。

「学び」は、現実には体感するものだ。人から教えてもらって、「わかった」とどんなに思っても、「わかった」気になっているだけだ。体感しなければ、本当のことはわからない。

一方で、「よくわかりませんでした」と言いに来る相手を見ると、嬉しくなる。この人は、本当に理解しようとしているんだな、と感じるからだ。大抵そういう人は、湧いたように質問の嵐を投げかけてくる。理解したい、自分の知恵にしたい、と本当に思っているからだ。

#コラム #学び #教育

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