lainの話をしよう誰の脳内にもいるlainの話を

『Serial experiments lain』、知ってますか。PSのゲームとアニメ、他媒体で展開された作品群で、リアルワールド(リアル)とワイヤード(インターネット)の境界や自他の曖昧さを巡る少女の物語です。
1998年から展開し、カルト的な、というか制作元が「カルトアニメ」と称してしまうほどのカルト感です。ハマる人はハマるし、駄目な人は駄目です。ちなみに私はどっちでもない気がしています。
なお、映像がトリッキーなため海外ではドラッグのお供としても愛されているようです。

統合失調症の急性期をやった時に言語や思考の結びつきがゆるゆるになっていた(連合弛緩)のですが、もろにlainのストーリーが絡んできまして、個人的には割と大変でした。というのも、やや意識がはっきりしてきたのが元号改正前後だったんですが「元号が変わったからおかしくなった」→「脳内のシステムがおかしくなったに違いない」→「私は機械だった!?」→「ピー……ガガガ……ピョロロロロ(FAXになってみる)」という経路をたどった一時があったからです。なんでFAXなのかはlainにそういうシーンがあるからです。
FAXになりきっていた時の様子を誰かが見ていたかは不明なのですがあれ見て「lainの姉ちゃんじゃん……」と思える看護師さんがいたら確率的にちょっとすごいですね。

lainのストーリーの顛末は省きますが、死を以て現実の肉体を捨て、ワイヤードに意識を移していく人物たち。そしてワイヤードの『神様』になろうとする人物……。自我の在処、境界、実在性を問われるのでアニメ見たら狂気が再発するんじゃないかと、書きながらも、ちょっと冷や汗が止まらないです。大丈夫かなコレ。amazonでシナリオ集も頼んでしまった。

lainは例えるならば月のような子で、ゲームやアニメを通じてlainを知ったリアルワールドの人々に共有されることで一層神性を高めていきます。それはどこからでも見える月のように。文字通り彼女は『ワイヤードの神様』になりました。20年以上もの時を超え、制作側がどのくらいそれを意識していたかはもはや知るすべもありません。

Vチューバ―とか、仮想空間とかがリアルへと領域を増していく中、「lain」は予言だったんじゃないか、と思う事があります。でも私はもう少しリアルワールドに置いといてくれないかな。
でも誰かと繋がっている、シェアをしているという感覚がないと不安でたまらないんですよね。それはツイッターでも手紙でもいいんですけど、インターネットとの距離感を考えるときが来ているのかもしれません。

「プレゼントタイム プレゼントデイ!hahaha!」も何か幻聴の類っぽいですよね。抑揚つけて読んじゃった人は立派なハマってる側の人間ですよ。

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