楽しく過ごすかどうかは結局自分次第なのかもしれない

どうも。ダラダラ書いていくよ。結局楽しく過ごすとか豊かに生きるというのは自分次第なんじゃないかとふと思ったので書いていく。




そりゃそうだよね自分がどう過ごしていくかなので。




今は散歩や読書にハマっているのでそれが楽しい。写真撮影もしている。主に道路標識や適当な道路風景や橋、動植物を撮っている。そこからなにを感じるのかということを楽しんでいる。楽しいことって無限にあると思うんだよね。退屈はしていない。なにも考えないようにして過ごしているんだけど意外と楽しんでいるなということが最近わかってきた。




楽しいか楽しくないかっていうのは個人の問題だ。誰かがなにかをやってくれるとかなにか楽しませてくれるという期待としての外部欲求があると難しいものがあるのでやはり自分が楽しまないとだめだ。他人はたくさんいておもしろい人がいることはいるんでしょうけどそこに依存はしない。




気候や気温で気分がよかったり悪かったりするので悪い時はその時は仕方がないのでよくなるまで待つしかない。だるい時に楽しもうと思っても難しいものがある。




多趣味になろうとか意識はしていない。なんだか自然にやってしまうことが趣味なのだから。誰かのためではなく自分のためにやるものだからそれでいい。




なおかつ、そんなにお金をかけなくても済むことを楽しんでいる。散歩は0円で気軽にやることができる。飽きたら帰ればいいしやりたくない時はやらなくてもいい。“気軽“にやることができればいいかなと。




写真撮影用のカメラもプロの写真家ではないのでスマホか1万円のデジカメで撮影をしている。お金をかけなくても楽しめるのならそれに越したことはない。飽きっぽいので“気軽さ“を重視している。




気軽さはだいじ。あとはシンプルさ。身軽なほうがラクじゃん。飽きてもすぐやめられる。

散歩は森に行ってやれば人が少ないのでよい。当然入場料もかからない。そんな感じで書いていたらまた歩きたくなってきた。4km歩けば時間も1時間経過するので時間潰しにもなる。




散歩ってすごい。すごくない?いつでもやることができるようで意外と天候や体調次第で左右されるのでいつでもできるわけじゃないんだよな。人生はギャンブルみたいなものなのでそういうところがおもしろかったりするのはある。





楽しいとか嬉しいという感情は脳にもいいと思う。こうやって書いていて楽しいと思ったので実にいいことだ。











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