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【自己紹介】1.

はじめまして。私は1998年に京都の宮津で産まれました。
ご存じな方は、天橋立で有名な地域です。
その後、5歳から18歳まで舞鶴という土地で育ちました。
どちらの地域も京都のイメージで中々ないかと思われますが、海と山に囲まれた土地です。
人見知りでおとなしい性格だった為、新しい土地での友達作りはとても難しいと感じておりました。

昔から絵を描く事が好きだったので、私の絵を見て「うまいね!私にも描いて~!」という一人の言葉から始まり、気付けば周りに沢山の人が集まり友達が出来ました。
小学校、中学校、高校と絵のコンクールや表彰を毎年された事で、より自信に繋がったと思います。

「中学生」

中学では友達に誘われ何となくついていった「吹奏楽部」で、「サックス」という楽器の魅力に引き込まれました。元々ピアノは習っておりましたが、サボりにサボり楽譜が読めない程でした。
ではどこに?

楽器のフォルムや音に魅力を感じた訳ではありません。訳も分からず吹き、指を動かし、そして先輩達に「凄い!天才だ!絶対向いてるよ!」この言葉で完全に図に乗ったのです(笑)

「吹奏楽へ入部を決意」

他の部活の見学には行かず、即決で入部!!
いざ入部してみると5年間ピアノを習っていたにも関わらず、ドレミが辛うじて書ける程度。我ながらショックでした。。。。
それから毎日練習に没頭し、夢にまで出てくる程。。。。
楽譜を渡され、直ぐに演奏できるまでになったのはわずか3か月後の事。
「努力し続ければ、必ず上達する!!」毎日決めた練習量決めた事を少しずつ達成した事で、私の努力は成果に繋がりそれは自信になりました。
当時の3年生の実力は圧倒的でしたが、惜しくも銀賞、その後引退。

2年生に上がった頃、等々一つ上の先輩の実力を超え1stソロを私がやる事になった日、先輩は泣いていました。
可愛がってもらっていただけあって複雑な気持ちになりましたが、
女子というのは群れるもので、次の日から私との間に壁が出来ました。

2年生後期になり、来年の部長決めの日がやってきました。部長に立候補したのは2名、推薦枠で1名。

同級生と後輩の票で、推薦枠の私が部長になったのです。理由は誰よりも努力し、テクニックがあったからだとの事。そして一番の決めては…普段からコミュニケーションを取り、仲が良かった事です。

しかし66人のチームのリーダーとしては、私には受け止められるだけの器がありませんでした。

皆さんは【働きアリの生体】について北海道大学が発表した実験のお話を知っていますか?

アリは全匹働く訳ではなく、全く働かない物もいるのです。どんなに働きアリの中に働きアリを混ぜても、一定数働かなくなるのです。何故なら仕事の効率を考え、二交代制で行う習性がある為です。

つまり私が言いたいのは、同じコンクール金賞の目標を持っていても、66人全員が同じ量の努力をするとは限らない事を知ったのです。

人は「頑張っている人がいるから大丈夫だろう。」と休み癖がある生き物なのです。

本気で練習をしていたのは20人程でしょう。初めて人の器というものを学びました。一致団結していないチームでは、コンクールの結果も銀賞。

「高校生」

当時憧れの3年生が居た高校に入り、吹奏楽へ入部しましたが出来たばかりの弱小校。私より歴の浅い先輩達にショックを受け、憧れの先輩が引退と共に退部。

それからはアルバイトの日々でした。焼肉屋、居酒屋、ドーナツ屋と掛け持ちをしていました。仕事が好きだったので色々やってみたい!両親から自立したい!実にシンプルです(笑)

その後はスナック、ガールズバー、ファーストフード、出前、一通り経験したのではないでしょうか。その頃は上下関係というものを学び、口癖は「先輩について行きます!先輩に合わせます!先輩が言うなら!」

「18歳の選択」

両親共に高卒だったので、私も当たり前のように就職活動でした。勉強もサボりにサボり5教科全て「オール1」、美術、音楽、技術、家庭科は「オール5」……何と極端な人間なのでしょう(笑)

確かにその成績で大学に行く事は不可能。両親も「勉強より仕事力を付けなさい!」という意向の方々だったので、言われるがままに就職活動をしていた矢先。。。

やはり「隣の芝生は青く見える」とも言いますが、私もまだ遊びたい!皆みたいにワクワクっするような学生生活送ってみたい!

でも何て言えば認めてくれるのだろうか。。。

よし!食べるの好きだし調理師学校にしよう!国家資格だし認めてくれるだろう!少し渋りましたが、両親を言いくるめてそのまま入学する事に。どうせならと製菓衛生師も取れるWコースを選択。場所は大阪が大好きなので大阪意外の選択肢はありませんでした。

「フランスへ住込みのバイト」

20歳の夏休み、友達と呑みに行くかアルバイトの日々だった私は、唐突ですが思い出に海外で料理を勉強しにいくか!とメールを送り、二つ星レストランへの住込みのバイトが決まりました。

はじめての海外旅行。勿論「オール1」の私に英語は話せません(笑)只行くと決めた日は近付いてきます。必死に日常会話だけでもと勉強。

結局出川Englishの様なジェスチャーだけで何とか1ヶ月乗り切りました(笑)

最後3日間はパリで一人観光をし、帰国。

「就職活動」

関西でこのまま就職しようと思いましたが、またも唐突に一回東京行ってみっか!というノリだけで上京(笑)

銀座のレストランに就職しました。

女性一人で心配されておりましたが、私はどちらかといえば男友達も多かったので特に気にならず。新しく来る方は重労働の為、二日以上来ることはありませんでした(笑)

何だかんだで副主任になりましたが、コロナかという事もあり3年のうち1年半は自粛…

将来もずっとこの仕事で私の体力はいつまで持つのだろう……そんな不安から新しい業界転職を決意しました。


今は通信の会社で働き、新しい挑戦の毎日を送っています。












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