見出し画像

【実話怪談】雪に埋もれる

雪の降る日に、たまに思い出す出来事があります。

大学1回生の終わり頃、どうしようもなくしんどかった時のお話です。
逃げるように家を出て、頼るものもなかった大学生の私はお金がありませんでした。
家賃月1万6千円のアパートに住み、毎日隙あらば飲食店や家庭教師や引っ越しやコンビニのアルバイトをして、大学で勉強して、夜中は部室のプレハブに寄ってホルン吹く毎日。
常に時間がもったいなくて、たまにプレハブに泊まったりもしました。

雪国の冬は寒くて、ある時バイト帰りにどうにも心底疲れて、雪の上に倒れ込みました。
サークル棟のプレハブまでの道のりも、遥かに遠く感じたのです。

駅から大学の森を抜ければ部室まで近かったので、この日は懐中電灯を片手に森の中を歩いていました。
深々と降り積もる雪の上が、なんだかとても心地良さそう見えて。
足を止めたらもう、駄目でした。

ドサッ……と、音がして、気が付いたら雪の上に仰向けになっていました。
雪が降ってくるのを眺めながら、私は思います。

なんだかとても果てしない。

生きることって果てしない。

そう、あの頃の私は誰にも弱いところを見せられませんでした。家を出たからには、絶対一人で生きていくと決めていたのです。

どのくらいそうしていたでしょうか。
体の上には、だいぶ雪が積もっていました。
(まあ、いいか、このまま朝まで寝ても……。)
目を閉じた時。

ギュッ……ギュッ…と、雪を踏み、近づいてくる足音が聞こえてきました。

(私以外に、森を抜けようとする変人、いるんだ。)
思考がゆっくりになりつつも、近付く足音に耳を澄ませます。

どうやら、真っ直ぐにこちらへ向かってきているようです。

ギュッ……ギュッ…

私の真横で、音は止みました。
人の気配がします。

「あの……一緒に、行きますか?」

男性の声です。
目を開けると、おそらく学生であろう痩せ型の男性が、こちらを覗き込んでいました。
こんなに寒いのに随分と軽装で、防寒具も身に着けず、カバンひとつ持っていません。
(うわ、絶対に変な人だ。)
そう思いながらも、手を借りて上半身だけを起こします。体は冷え切っていましたが、相手も同じだったようで、手袋ごしに触れた手からは体温を全く感じられませんでした。

ドサッ……。

何を思ったのか、男性も隣に座ります。
驚く私に、男性は特に気にしたような風でもありません。
「少し休んでいきましょうか。」
そう言うやいなや陽気に歌い出します。
(お酒臭い。相当酔ってるな。軽音部の人かなぁ……。)
歌声に耳を傾けながら、私はなんとなく、これは夢だろうなと思っていました。
男性が歌う口元からは、白い息が出ていません。なによりこんなところ、私以外に人が居るはずがないのです。

サークル棟への抜け道として、こんな時間に森に入るなんて、私ぐらいでしたから。

それでも何か励まされるような気がして、歌声の主に御礼を言います。
「ありがとうございます。」
すると、その男性は笑い、
「いえ。僕も寂しかったから、ちょうど良かったです。」
そう言いました。
「私は……寂しくはないですよ。ただ、疲れてしまいました。道があまりに果てしなくて。」
そんなふうに自分の気持ちを口にするのも、久しぶりでした。

フッと、どこか正気に戻るような、そんな感覚がして、一気に寒さが全身を襲いました。思わず雪の上から立ち上がると、男性はどこか遠くを見るようにして呟きます。
「僕の道は、ここまででした。誰のせいでもなく、自分で選びました。」
え、と聞き返すと、真っ直ぐこちらを見て、
「一緒に行こうかと思ったけど、あなたの後ろに怖いものがいるから、やめときます。」
そう、言ったので。

思わず後ろを振り返りました。

なんとなく、これは夢で、この人は死者で、私を連れて行こうとしていると確信してはいました。

じゃあ、死者が怖がるものは?

それは、もしかして、



亡くなった、私の父じゃないだろうか?


振り返り、そこにいたのは。



薄く微笑む、弟でした。

正確には、弟だったもの、です。
浮世離れしていた、あの、幼い……。

「っ……ごめんなさい。」

思わず謝罪の言葉が出ました。
弟だったものは、もうこの世にはいませんでした。
あの日あの時、私が、選ばなかったほうの弟。
もう二度と会うこともないと思っていたのに。
私を恨んでいるだろう。
どんな罵詈雑言を浴びせられるだろうか。
かつて弟だったものは、幼い姿のまま佇んでいます。

そのままゆっくり近付いてきて、


ドンッ!!!


と、強く両手で私を押しました。

強い力に押されて、全身の力が抜ける感覚がします。

最後に見た弟は、薄く微笑し手をヒラヒラ振って、確かに言いました。


「またね。」



ハッと飛び起きると、全身雪まみれです。

もちろん真っ暗な、大学の森の中。
腕に下げていた懐中電灯がカシャッと鳴りました。
「やっぱり夢か……。」
気付いたら涙が止まりませんでした。
兎にも角にも寒すぎます。
これはまずいと思い、手袋を取って灯りの消えた懐中電灯を付けようとするも、すっかり凍えた指はなかなか動きません。

時間をかけてどうにか懐中電灯を付け、立ち上がり、のろのろと歩きだすと、案外サークル棟は目の前にありました。

「危なかった……うっかり凍死するところだった。」

口にしたら、今度は笑いが込み上げてきました。しばらく笑い転げながら歩き、部室のプレハブでストーブに当たりながら爆笑していたのを覚えています。
人間死にそうになると、感情のコントロールが効かなくなるのだということをその時に知りました。その姿を誰にも見られなくて済んだのは、本当に幸いだったと思います。
私自身がサークル棟の怪談になってしまうところでした。

その数日後、大学内を揺るがす噂話が耳に入りました。大学の森で、軽音部の学生が1人、飲み会の帰りに何らかの事件に巻き込まれ死亡していたというのです。

深酒のせいだったのか。

自分から立ち入ったのか。

外傷はなかったものの、死亡していた学生の財布は盗まれていたとのことでした。問題だったのは、その学生はギリギリ未成年であり、飲酒をしてはいけない年齢だったこと。
当然軽音部は廃部……かと思われましたが、何事もなく継続しており、それがまた闇が深いと思いました。

唯一気心の知れたS教授にそれとなく聞いてみたところ、「あー、あれね……色々事情があって。もうそんなに噂になってるんだ?困ったね。まあ、人の噂も75日だからね。」のらりくらりとかわされてしまいました。

何故か、地方ニュースの紙面にも載らなかったあの事件を覚えている人は、どのくらいいるのでしょうか。
私は大学卒業までの間、思い出しては花を1輪買って、森に供えていました。

あの日から、不思議と何があっても強く生きられる自分がいます。
あの時歌ってくれた男性の歌は、未だに何の曲だったかわかりません。
ただただ明るく、元気になる歌でした。いつか、なんの曲だったかわかるときがくるのかなぁと、街に流れる懐メロを聴きながらふと思うことがあります。

肝心の、私とあの弟との間に何があったかについてですが……これはまた、別の機会にお話したいと思います。
語ると長くなりますが、百物語の終わりにでも改めてお話しましょう。

これは私の実話です。

私の弟が出てくる話は以下のお話です。
弟が気になった方はこちらもどうぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?