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アルニマン企画『我田引水、盆に帰らず』及びなにかを泣くほど好きでいられるという才能について

※心の中で呼んできた呼び方でそのまま書きたかったため敬称略です。


今から2年と4か月前、2020年6月25日、人生で初めてゆれるを聴いた。
YouTubeでBPMという曲の再生ボタンを押して、イントロが始まってすぐ、えっ?ヤバいバンドかもしれん、と思って、曲が終わるまで一言も話せなかった。そんで終わってすぐそこそこの声量で「めっちゃ格好良くない!?!?」と叫んだ。あまりに遅い出会いだった。

どうして正確な日付がわかるのかというと、そしてなにゆえ「遅い出会い」だったのかと言うと、この日ゆれるは無期限活動休止を発表したのだ。
ツイッターのタイムラインにその旨が書かれたツイートが流れてきて、その場にいた当時の恋人に「ゆれるって知ってる?どんなバンド?」となんとなく聞くと「めちゃくちゃ格好良いバンドだよ」と返ってきた。そんで聴いて後悔した。おっせえ!!!!!出会いが、おせえ。今日この日から活動休止するっつってんのに。

名前は知っていた。ハヌマーンの山田亮一とよく一緒に弾き語りのライブをやっているという僅かな知識もあった。聴かずにいたのは単純に、「バンドの名前がゆれるでボーカルの名前があみって、なんかふんわりしたバンドなのかな」というアホみたいな思い込みがあったからでした。馬鹿すぎるだろ。いやでもゆれるから対バンの誘いを受けた向井秀徳も「キューティーポッピーなAmiちゃんを期待して本人に会ってみたら貸しスタジオの店員みたいな人でガッカリした」って言ってたらしいし仕方なくないですか?????修羅の羅と書いてあみと読むのとか知らんもんね!!!いや今となってはどう考えてもハイパーかっけー名前だな…………。

とにもかくにもそうしてわたしはゆれると出会ったのだ。
余談なんだけど興奮のまま前述の元恋人に「なんでこんな格好良いバンドのコピバンしなかったの!?」と問うたところ(わたしと彼は同じ大学の軽音サークルだった)、「え、やったよ」と言われた。どうやらあまり興味のないバンドの出番には部室に消えるという最悪の癖があったわたしはフツーに超見逃していたらしい。今でも結構後悔している。

出会った当初は、自分の中で気に入った何曲かを繰り返し聴くだけだった。曲名と曲が一致しているのも5曲程度しかなく、その5曲を繰り返し繰り返し聴いていた。
そして、ああでも、やっぱりめちゃくちゃ好きかもしれん、このままめちゃくちゃ好きになっていくのかもしれん、と思っているうちに、この動画と出会った。


しばらくこの動画しか見れなくなった。他の曲が、一切聴けなくなった。
そんで馬鹿みたいに聴いているうちに気がついたのだ。あ、多分、この人の声が世界で一番目に好きだ。

そうしてゆれるは、突然出会ったなんだか超イカしてるバンドから、きっと死ぬまで聴き続けるんだろうなというバンドに変わっていく。




2022年1月、このツイートをした1週間後にArtTheaterGuildの東名阪ツアーが決まり、幸先が最高だな🎶と思っていたら、5月末にゆれるがNTGSSの企画ライブに出演することが決まった。

家で「ゆれるが…………ゆれるが……………」とだけ言いながら大号泣をかましてしまい配偶者に「え??なに??ゆれる死んだ???」と明後日の方向の心配をされた。勝手に殺さんでくれ。
ちなみに配偶者は学生時代に友人からゆれるのコピバンに誘われ、あまりゆれるを知らなかった為「ゆれる聴いてるやつなんてこの世に10人くらいしかおらんやろ!」という最悪の断り方をしたというエピソードを持っている。数年後にゆれるを想って号泣する女と結婚しこのエピソードにしこたま文句を言われるとは露知らず…………マジでコピバンやっといて欲しかったな。配偶者は歌が上手いです。

で、めちゃくちゃ端折るけども7月わたしは大阪までひとっ飛びし、ゆれるの出番が始まるやいなや先程動画を載せた魚に羊、化ける草のイントロが流れたため崩れ落ちて泣いてしまった。ライブで泣いたこと、まああるけど、多分今までで一番嗚咽したライブだった。

そしてそのライブのMCであみが言った。
「10月、ライブやります。あのー……、奄美大島で

奄美大島。
奄美大島………?

こうしてわたしは、「奄美大島?行くっしょ!!!!!」と「いや………行けるわけないだろフリーターなのに………」を100回くらい繰り返す日々を送ることになったのだった。



結論から書くけど奄美大島にはちゃんと行ってきました。興奮が続いてるうちに書きとめようと思って今これを書いている。

1泊2日の弾丸。3日前くらいまでうじうじと「今キャンセルしたら飛行機代返ってくるね………」とか言ってた。今振り返るとアホすぎる、借金してでも行け、奄美だろうが利尻だろうが飛んでいけ。今全く同じ夜をもう一度過ごせるなら倍の金額出してもいいと思ってる。

一応断っておくけどこの記事はライブレポとかではなくて、湧き上がった「書け!!!!残せ!!!!!」という衝動に身を任せただけの乱文です。おれはただのキモオタなので多分あみの造形の話とかをし出すと思うので、そういう見方が苦手な人はほんとごめんね。

開場17時のスタート17時半、しかし開場してすぐ飛び入り参加の裸体がライブを始めたため、結果的にライブが終わる22時半まで5時間立ちっぱなしだった。膝が終わった。すげえ夜だ。どのバンドもギターの音が地獄みたいにでけえしベースは暴れてるしドラムはたまに脱いでる。この後2日間くらい耳鳴りが続いた。

今回の企画ライブはゆれるが共に青春を過ごしたバンドが大半を占めていて、今も活動しているバンドもあれば、今回13年振りのライブですみたいなバンドも、今はバンド名もメンバーも新しくなっているけど久しぶりに旧メンバーで出ますみたいなバンドもいて、出演者全員が胸にエモを抱いているのがハチャメチャ伝わってきた。
わたしはと言うと恥ずかしながらゆれるとカッパマイナスしかちゃんと聴いたことがないのにいっちょまえに最初から最後まで最前列センターに居座り続け、でもどのバンドもロックバンドの大正解という感じで知らん曲でもめちゃくちゃに踊り狂えてしまった。膝も死んだが右腕も死んだ。あと振り回していた首も死んだ。
わたしは好きなバンドのライブでも知らん曲が始まると「早く次の曲が聴きたいな~~~」と思ってしまう不届き者なので、自分が聴いたことないバンドでこんなふうになったことが未だにちょっと信じられない。ロックってすげー。全員音が谷垣源次郎ぐらいムキムキ。

で、tomboの出番中、舞台袖であみが音に合わせて揺れながらにこにこしていた。
ライブに夢中になっている中でも視線の隅にそれを捉えてしまって、胸がいっぱいで死にそうだった。笑ってる、あー、笑ってるな、楽しそうだ。2年4か月、たったそれだけの年月であの人はわたしにとってそういう存在になっていた。だって好きになってからずっと、どんな風に歌ってどんな風に喋ってどんな風に笑うのか、想像するしかなかった。

ゆれるの出番前は呼吸が浅くなる。
斜め後ろで配偶者がSEで流れている舐達麻のサンプリングの曲についてなにか言っていたけれどほとんど覚えてない。マジごめん。ゆれるの登場SEはハンバートハンバートのおなじ話で、7月のライブで初めてそれを聴いた時嬉しくて喉が詰まった。何年も前、軽音サークルの新歓ライブで1つ上の先輩が弾き語りで歌っていたのが耳から離れなくなって、ずっと大事にしてきた曲だった。

メンバーが出てくる。1曲目はまた魚に羊、化ける草だった。アップルミュージックに課金を初めてから今日までの3年間で最も再生してきた曲、死んだら葬式で流して欲しいと思っている、そういう曲。

もう二度とこんなに近くでこの人が歌っているのを見ることはないかもしれない。
そう思ったら動かず黙って見上げていたくなったけど、体は勝手に動く。別にライブの見方なんて人それぞれだしそれが偉いわけじゃないけどあの日あの瞬間一番激しく動いていた自信だけある、ロックバンドのライブなんて暴れてなんぼだ。わたしがわたしに対してそう思っているだけでみんなは好きなように見たらいいんだけれども。

ベースのゆうたが飛び跳ねていて、この人普段はニヒルな感じなのに「俺!今!楽しいです!!!!」って感じで暴れるから最高なんだよなと思ったし、この人のそういうところが最高だと身をもって知れて幸せだと本当に思った。めっちゃ早いダウンピッキングはマジで早い。脳裏にサークルのコピバンでベースを弾いたらしい後輩の顔がよぎって、大変だっただろうなあ………と思うなどする。

そんで、あみは。
あみは、色が白い。肌がつるつるしている。目は少しぎょろっとしていて、いつも歌っている最中は笑っているような形になる。マイクにかぶりつく口元から見える歯は小さくてやたら歯並びが良い。
馬鹿でかいギターの音とは裏腹にボーカルはあまり聞こえなくて、でもシーセイドとかアフターハイスクールの歌い出しとか、比較的楽器が静かな時、ああやっぱり、と思った。やっぱり世界で一番好きな声だ。少年みたいな優しくて少し幼い声で、囁いたら美しくて、叫ぶと胸が締め付けられる。唯一無二だった。
視覚でも、聴覚でも、なんも忘れたくない。ずっと見つめていたしずっと聴いていた。好きだ、好きだなあ、その気持ちだけで奄美大島まで飛んできてしまった、今朝まで福岡にいたのに今はギターに触れられる距離にいる。

もう1回言うけど今全く同じ夜をもう一度過ごせるなら倍の金額出してもいい。

7月、大阪CLAPPERで、前の方にいた人たちが恐らく古くからのゆれるファンで、わたしの知らない昔の思い出話をたくさんしていた。
恥ずかしかった。場違いなような気がして逃げ出したくなった。だってわたしは活動休止前のゆれるを知らない。ゆれるとの思い出なんてなにもない、ただただ家に籠って聴いていただけだった。あの人たちが実際にどんなライブをするのかも知らないのに、大阪まで来ちゃって、馬鹿みたいだと思った。
だけどあの日わたしは吐き気がするほど泣いて、10月には奄美大島の地に立っていた。出番までの間、ああわたしはゆれるが青春を一緒に過ごしてきた他のバンドを知らずに生きてきたし、ゆれるが青春と呼んでいるその期間のゆれるをわたしは知らない、と思ってまた悲しくなったけれど、終わったあとはそんなこと全部どうでもよかった。どのバンドも格好良かったしゆれるが一番格好良かった、わたしは昔のことはなにひとつわからんけど、今、ここにいる。奄美大島まで来た。JALの飛行機なんて高校の修学旅行ぶりに乗ったよ。

一番かっけえ、世界一、もう世界一だ、と思いながら終演後死ぬほど泣いた。ライブ中はともかくとして終わったあとにこんな泣くの初めてだなと思って、泣き止んだあとあみとお話することが出来て結局また泣いた。「福岡から来ました、JALで……」って言ったら「JALで笑」って笑われた。もっと他に伝えるべきことがあるだろ馬鹿が。でも多分だけどたまにでいいからバンド辞めないでくださいって言えた気がするからまあいいや。実際のところ必死だったから何言ったかあんまり覚えてない。あみは「泣かないで……」って困った顔してた。

こんなん泣くだろうがよ!握手してくれた手は少しひんやりしていた。



わたしはゆれるが活動休止を発表した時に「解散はする意味もわからないので、しません。またやりたくなったらやります」と言ってくれたのをずっと信じてきた。そんで今また信じ直している。
「バンドはやりたい時にやるべきもの、同時に、やりたくない時にやるものではない」とあの人は言った。例えばそれがtomboみたいに13年振りのライブですみたいなことになっても構わんのだ。13年後、40歳かあ、まだ最前列で髪を振り乱し拳を振り上げる体力はあるだろうか、健康でいなきゃならんなあなどと柄にもないことを思う。

そういえば7月、カッパマイナスの石原兄がMCで「続けてるやつが偉いんじゃない、やべえライブをするやつが偉いんだ」って言ってました、本当にそうだと思います。5時間の間何回もその言葉を思い出していた。

ちなみにライブ後石原兄に「ギターでかくて最高でした!」って言ったら「ギターなんてデカくてなんぼやんな!!!」って言われて100万回頷いた。

わたしは「この曲に救われた、このバンドに救われた」みたいなことを思わないタイプで、音楽は好きだけど、娯楽に救いを求めることはあまりしない。歌詞に共感して心を拾い上げられたり人生観が変わるほど影響を受けたり、みたいなことも全然ない。
さっきたまたま流れてきたnoteに好きなアーティストのことを「死なないための最後の特効薬」って書いてあってすげーって思った。そういう気持ちはまっすぐ羨ましい。

でも、「わたしはこの人たちのことをこんなに好きなんだ」っていう、そういう気持ちそのものに人生を左右されることは、大いにある。

歌詞がどうとか思想がどうとかは知らん、共感とか自己投影とかでもない、ただただかっけーから好きなのだ、そうして自分の中の「好き」だけにずっとずっとずっと突き動かされている。



別のバンドの話になるけどThe Cheseraseraの活動休止前のツアーに行った時、ボーカルの宍戸翼が「もしかしたら私には何も無いとかそういうことを思っている人もいるかもしれない、でもこうして何かを泣くほど好きでいられることはひとつの才能だよ」みたいなことを言っていた。活休が寂しくて会場のほぼ全員が泣いていたしわたしも泣いていた、そんな中でのMCだった。

わたしにはなんもない。特技も才能もないしそれをリカバリーするような一生懸命さとかやる気みたいなものも特にない、将来の目標とか希望とかもないし、就職活動中はエントリーシートの自己PRの欄が埋められなくてパソコンの前で泣いたものだった。

でも、わたしは、なにかを泣くほど好きになることができる。好きなものが好きだというただそれだけの気持ちで泣けるし、時々その勢いで知らん土地まで飛んでしまったりもする。
そういえば母はよく言った、「あんたの長所は愛情深いところだよ」。いやマジでそうだと思います。愛は地球を救わなくても、わたしの生活をやや明るく照らすことはある。

別に長生き出来なくてもいいけど死ぬまで好きなものをデカい声で好きだと叫んでいられたら万々歳だな。
願わくば、世界一の声の人よ、時々でいいので溢れ出す愛を叫ぶ場を用意してくれ、奄美でも利尻でもいいです。今から体力作り頑張ります。
こんな夜がまたあるなら毎日はこわいくらい楽しいよ。

じゃあまたね。幸せだったよ。

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