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Invisible Disabilities and Postsecondary Education

アメリカの大学における発達障害の対応のビデオをみた感想

2020/4/19



(1) 目に見えない障害と高等教育


私の子どもは発達障害者(自閉症スペクトラム、ADD等)であり、学校や受験等で苦労してきたので興味深く観た。


さすがアメリカの大学作成で短くポイントを押さえている。特に現場教師に対してのメッセージを感じた。すなわち「なにか手伝えることはあるかい?」という問い方、具体的な教室、課題、試験の支援等である。ユニバーサルデザインの見方として、初めは時間がかかっても、一度作ってしまえばあなたにも学生、他の学生にさえ役立ち報われるのは、わが意を得たり、と思った。


しかし、日本はまだ遅れている。私も日本の大学にこうした考えを訴えるつもりで子どもを連れて受験前相談に行った。対応を嘆くと「お父さん、実際のところアメリカや北欧だってそこまで行っていませんよ」と言われた。アメリカでさえこうした啓発ビデオを2007年の段階でわざわざ作成しているところであるからそれも正しいかもしれないと改めて感じた。

(2) テクノロジーの進歩と障害者のアイデンティティ

このビデオは自分の一方的な考えを正してくれた。

「どうして 生まれ持った能力を変えたいの?」「障がい自体を取り除こうとしていることは間違い」「しかし強要されるべきではありません 例えば私はそのままの 自分でとても幸せです」「無理やりに "ふつう" にしようとするのは 違うのではと思います。」といった意見である。
 中でもコートニーという女性の意見は突き刺さった。「あなたの開発チームに 障がい者はいますか?」「"なおす"のが必要なのは社会の方なのです」「障がいを持つことは 極めて普通のこと ただそれが 遅いか早いかの違いなのです」そして大事なことはアクセシブルな社会をつくって欲しいという事であることを理解した。
 編集されているとは言え、私の子どもがこのような意見を主張できるか?と思ってしまった。また他人との比較をしてしまい恥ずかしくなった。

(3)アクセシブルなドキュメントの作成

 私は組織内の情報伝達に関心があるが、同じ問題であると感じた。これも一度作ってしまえば他の健常学生にも役立つはずだ。たとえば、学習の遅れのある生徒もわかりやすくなるだろう。
要はコンテンツをデジタル化しないことで、それが社会的に大きな損失となっている。なかなか進まなかったが、図らずもコロナでリモートでちょっと変わったようにみえる。

 (4)  社会的なハードル

 しかし、それでも私はテクノロジーが発達しても啓蒙や少しのコストだけでは解決できない大きなハードルがあると感じる。それは理解不足と誤解という社会的な障壁である。とりわけ他の人から障害が見えない障害者(車いすとか白い杖とかでなく精神や発達、内部障害など)は、そもそもコミュニケーション力が弱いため、わかってもらえないことが多い。こういったビデオはその啓蒙のためにつくっているのだろう。対応してくれない日本の教職員に観てもらいたいものだ(特に私立大学の教職員)。



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