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外国人に変な謙遜を教えてほしくない

 日本にいる外国人に「日本語上手いですね」と言うと、大抵の場合「いえいえまだまだです」という答えが返ってくる。

 こちらもまだ日本在住の外国人に慣れていない時は「こいつ・・・デキる!」と思ったものだが、どの外国人も一様に「まだまだです」と判で押したように答えるので、もしかするとそういうマニュアルでも出回っているのか?と勘繰るようなった。

 おそらくこうしたマニュアルは外国人というよりも、日本語の先生の間に出回っているのではないだろうか。彼らは「いえいえまだまだです」を通して、言語としての日本語だけでなく、「意味はないけどとりあえず謙遜しておけ」という日本の文化もセットで外国人に教示しているのではないだろうか。「日本語が上手ですね」と言われてエッヘンとふんぞり返るのは日本的な振る舞いではありませんということなのだろう。

 日本社会で生きていくためには時に謙遜も必要なのかもしれないが、なにも四六時中謙遜する必要もないと思う。謙遜も使い方を間違えると社会の進歩を阻むのではないかと思うことがある。

 例えば重さ30kgの荷物を20m先にある地点まで運ぶ必要がある場合、その場にいる全員がそれを遂行できる能力があるにも関わらず、「20kgならなんとかなるんですけどねえ」とか「15mなら運べる自信があるんですが」とか言う人ばかりだと進む仕事も進まなくなってしまう。当人としてはダメだった時の保険をかけているつもりかもしれないが、指示を出す側の人間としては、彼が本気でそう言っているのか謙遜でそう言っているのか判断がつかなくて困ってしまうだろう。

 戦国時代に「越後の龍」として有名を馳せた上杉謙信だって上杉謙遜という名前だったら「越後のミミズ」くらいにしかなれなかっただろう(ぶっちゃけこれが言いたいがためにこの記事を書いたようなところもある)。

 というわけで、個人的に日本にいる外国の人達には、変な謙遜を覚えて中身まで日本化するよりも、「はい、2年間一生懸命勉強しました」とか「下手すりゃおまえよりうめーぞ」とかそういう感じの態度でいてもらって、変な謙遜がはびこっている日本に風穴を空けてもらいたい。

 とはいえ、今は日本人でも若い人は意味のない謙遜をすることがなくなったようにも感じている。できることはできると言うし、できないことはできないとはっきり言う人が多い。これによって、チームのメンバーに何が足りていて何が足りないのかを正確に評価・把握することができるので、仕事を進めるうえで無用なブレーキがかかることも少なくなるのではないだろうか。あるいはもしかすると、彼らも経験を積むうちに失敗もするようになり、結局は謙遜をしておいた方が賢いという結論に達するようになるのかもしれない。

 余談だが、僕が知る限り「日本語上手いですね」というお世辞に対して最も上手い切り返しをした外国人は、幕末の日本にイギリスと外交官としてやってきてアーネスト・サトウではないかと思う。サトウは「日本語が上手でござるな」に対して「おだてともっこにゃ乗りたくねえ」と返したという話が司馬遼太郎の本に書いてあった気がする。

 もっこというのは主に土木作業を行っていた現場で土を運ぶのに使っていた縄を編んで作った道具のことだが、死刑になる罪人ももっこに乗せて運んでいたそうである。この話は、サトウは日本の役人が話すような日本語だけでなく、江戸の市民が話すような日本語にまで精通していたことを示すエピソードであるが、19世紀のイギリス人からすれば最果ての蛮地に外交官としてやってくるような好奇心、向学心の持ち主はやはり器が違うのだなということを思い知らされる。

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