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レイプされた14歳少女、公開処刑される(再)

 もう聞き飽きた人もいるでしょうが、『WiLL Online』様で松本人志の性加害疑惑について書かせていただいています。
 お気づきの方も多いでしょうが、これは松本氏一人の問題に留まらない、世のポリコレ化、女災化の一端と言えるものです。
 未見の方はどうぞ、ご一読を!

 パオロ・マッツァリーノ師匠の主張の粗雑さ、悪質なフェミ騎士ぶりについても書きましたが、これと絡めて明日辺り、動画の投下を予定しています。

 同様に、目下noteでは「性犯罪冤罪としてのフェミニズム」についての記事を再録しています。いえ、「性犯罪冤罪としてのフェミニズム」なんて「犬としての犬」と言ってるも同然なんですが。
 今回のものは2011年2月4日という大昔に書かれたもので、正直、当時あった事件について、ぼくもあまり覚えていないのですが、ともあれ冤罪の本質を突いた記事になっているかと思います。
 では、そういうことで……。


     *     *     *     *

 バタバタしていて、呑気にブログなんぞ更新しているヒマはないのですが、気になることがあったので、ちょっとだけ。

 伝えられたところによるとバングラデシュの14才の少女、ヘナ・ビガムさんが40歳のいとこの男性からレイプされ、公開ムチ打ちの刑に処された後、死亡した。

 という事件があったそうです。
 本来、ソースとリンクすべきなのでしょうが、ニュース系掲示板などで貼られているニュースソースはみな海外のサイトで読めないので、取り敢えず、上の最低限の情報だけで話を進めさせていただきます。

 言うまでもなく、非道い話だと思います。
 これに対する掲示板などのリアクションも当然、この少女に同情的であり、「イスラム圏はおかしい」といったものが大半です。
 いや、そもそもあまりのことに、この事件の状況がまず理解できない人が多かったかもわかりません。
 要はイスラム圏では男性と性的交渉を持った女性は不浄のものとされ、「処女でない」こと自体が罪とされるということなのでしょうが、まず、ぼくたちの人権感覚と照らしあわせてあまりにも不条理で、憤る前にわけがわからん、といった感情がまず喚起されてしまいます。
 いや。
 そうなのでしょうか?
 本当に、ぼくたちにこの事件に対して憤るだけの資格があるのでしょうか?

 ぼくたちのこの社会でも、上の事件と全く同じことが起こっているのにもかからわず、何故ぼくたちは正義感面して、上の事件に憤っていられるのでしょうか。
 ぼくにはそれが大変に疑問です。

 拙著『ぼくたちの女災社会』において、ぼくは「痴漢冤罪」、「DV冤罪」、「ストーカー冤罪」、「セクハラ冤罪」といった冤罪はみな同種のものであり、それは女性による災害、即ち「女災」なのだと指摘しました。
 そして、この「女災」は決して司法や警察のあり方の問題などではなく、今の男女関係の歪みから生じているものなのだ、と指摘しました。
「女災」は、一面では司法や警察の腐敗が原因であるし、一面では男女のディスコミュニケーションが原因でもあるけれど、それだけが原因ではない。
 最大にして最深の原因は、「女性の欲望」にあります。
 女性の中の、「私は、男性に性的に求められる存在でありたい」との欲求が、その何より一番の原因なのです。
 それは丁度、一般的に「性犯罪」と称される男性から女性への加害、つまりレイプなりセクハラなりの原因が男性の中の女性への欲望であるのと、全く同じに。
 上のイスラム圏での事件をもう一度、分析しましょう。

 A男がB子をレイプ
 ↓
 B子が性的なのが悪い
 ↓
 つまりB子が俺を誘いやがったんだ、このビッチめ
 ↓
 ビッチけしからん
 ↓
 死刑

 まあ、性犯罪の累犯者がこれと近いことを言いますね。「あの女が俺を誘いやがったんだ」と。
 ふざけた詭弁なのですが、ある意味、男性にとってこのリクツは、わからないでもない部分があります。
 つまり女性に露出の大きい格好などをされちゃたまらんよなあ、という心理ですね。
 しかし逆に言えば男性は「わかる」からこそ、そうした心理が欺瞞であり、そうした欺瞞に陥って自らの性欲を正当化してはならない、という自戒を、よほどのノータリン以外はしているわけです。
 しかし翻って、女性はどうか。

 A男がB子をレイプした気がする
 ↓
 A男が性的なことをしたのが悪い
 ↓
 つまりA男が私を襲いやがったんだ、この性犯罪者め
 ↓
 性犯罪者けしからん
 ↓
 死刑

 こうしたことが今、日本各地で起こっています。
 女性が、合意で行われたセックスを、後づけでレイプであったと言い立て、男が有罪に。
 女性が、自分の妄想内のセクハラ行為を現実にあったことだと言い立て、男が有罪に。
 現実の世界で、いくらでも起こっていることです。
 そして誰も、この恐ろしい現状に警告を発するものはいません。
 何故か。
 そんなこと、女性様に対する「不敬罪」だからです。
 イスラム圏で、仮に女性をレイプしようがそれは「誘った女が悪い」のであって、レイプした男に責任があると指摘するなど不埒千万な「不敬罪」であるのと、全く同様に。

「そんなことはない、冤罪は悲しむべきことだが、それも男がまず女に性犯罪を働くから、それが悪いのだ。男の性犯罪をなくせば冤罪は消えるのだ」
 そうしたタワゴトを、フェミニストや、そして多くの女性が口にします。
 そんなわけ、ないじゃないですか。
「男に性的価値を認められたい」というのが女の本能であり欲望である以上、仮に性犯罪がゼロになったところで女災は起こります。
 事実、ハーグ条約絡みで女性の訴える夫のDVを調査してみたところ、そのほとんどは事実無根だったそうです。
 また、海外では「ドリンク・スパイキング」というのが問題になっています。
 バーなどで女性の飲んでいる酒に睡眠薬を入れ、その女性が眠っている隙にレイプしてしまう、という事件です。
 むろん、そうした事件は実際に起こっている(男性から女性への加害も確かにある)のでしょうが、イギリスの警察が調べたところ、その証拠はほとんど発見できなかったそうです。
 何しろ睡眠薬など、ちょっと調べれば検出は容易なはずですから、このドリンク・スパイキングの訴えはそのほとんどが女性側の勝手な思い込みであったと判断せざるを得ないのです。

 おわかりでしょうか。
 イスラム圏では大変恐ろしい、おぞましい事件が起こっています。
 しかしぼくたちのこの国でも、それに負けないほどに大変に恐ろしい、おぞましい事件が起こり続け、それに対して警鐘を鳴らす人は数々の罵詈雑言や誹謗中傷や嘲笑や愚弄や嫌がらせが浴びせかけられるのです。

 何故、こんなことが起こるのでしょう。
 男性が自らの欲望に対して「わかって」いるのに対して女性は今まであまりにも守られ続けたせいで内省が欠けていたからでは、ないでしょうか。
 ご承知の通り、日本では驚くほどにレイプが少ない。
 それは何故かと言えば理由は様々でしょうが、ひとつに日本の男性が自らの欲望に対して極めて内省的だからではないかと、ぼくは想像します。
 女性も、男性たちの半分程度でも自らの欲望に対して内省するようになれば、「わかって」くれれば、女災は随分と減るはずです。

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