ブログ

HYOGA式ずぼら中国語のメカニズム

今日は私がどうやって「ずぼら」中国語にたどり着いた話をちょっとしたいです。中国語だけではなく、他の語学をやっている皆さんにも少しヒントになれるのでは、と思います。

HYOGA式ができた理由はとても簡単です。

氷河先生が極めて短気な人だからです。

どれぐらい短気かというと、物事に対する集中力は、大抵3ヶ月程度で尽きます。もしその3ヶ月の間、どんな小さなことてもいいが、何かしらの「達成」が見込めない場合、それを継続することは、私にとって極めて困難なことになるでしょう。だから、もっと続きを読みたい場合、好きやフォローをいっぱいください。読む人が増えないと、一気にやめてしまう恐れがあります。

つまり、多くの人と同じく「褒めて伸びる子」です。

しかし、語学学習の最初の3ヶ月間、普通は何をするのでしょう。

中国語の場合、一般の大学や語学教室で開催する初心者向けの中国語講座は、大抵発音の勉強時間です。そして、多くの挫折者が出たのも、最初の3カ月の「発音学習時期」を乗り越えられなかったからです。

しかも、3ヶ月の苦労が何かしらの成果が得られるならまだマシな話ですが、大抵の場合、3カ月もかけたのに、「中国語を勉強しているの?何か話してみ?」と言われる時、一言も話せず、脳味噌に残っているは、違うアクセントの「あ」か「ま」の響しかありません。

それが、中国語を勉強したとはとても思えません。3ヶ月もかけて発音だけを勉強することは、私から見れば、かなり不可解なことです。

そもそも、無理です。

2005年〜2009年の間、私は中国で日本語を学んでいました。しかし、中国語と同じ、最初の1カ月強はやっぱり「発音学習時期」でした。日本語の発音は五十音図ですから、数は中国語よりだいぶ少ないため、1ヶ月強で十分でしたが、やっぱり最初はひたすら「ひらがな」と「カタカタ」の暗記でした。

基礎の基礎ですが、私はやらなかったのです。クラスメイトが一所懸命味気ない仮名暗記をしている時、私はテキスト後半の文法やら会話やらをやってまして、みなさんがやっと文法や会話テキストに進んだ時、私はすでに翻訳・通訳の仕事で、日本語の実践しています。

これは自慢話の何でもないです。ただただ、私が大の「ずぼら」で、みんなが常識に思うものを常識として捉えず、またみんながおとなしくやるところを、無意味と感じたら勝手にやりたがらないだけです。

そして、この経験が後の私の中国語教育法に影響したわけです。

常識なら、中国の日本語学習者が最初の1ヶ月をかけ、ひらがなとカタカナを暗記すると同じく、日本のみなさんが中国語を勉強する時も、最初の1~3ヶ月を中国語の発音(発音記号:ピンイン)に打ち込め!と要求されます。中国語の発音記号が日本の4倍もあるため、日本語は1ヶ月なら、中国語は3ヶ月かけるのも仕方ありません。

しかし、HYOGA式では、その大事な3ヶ月は全く違うことをやっています。大抵は2、3時間ぐらいで中国語の全体像を把握し、更に12時間〜15時間をかけて、基礎単語を覚えて土台作りをして行きます。その後、ひたすら実践!実践!実践!

そうなると、普通の人はまだ「あ」には幾つのアクセントがあるかでもがいている時、HYOGA式はもうとっくに「あなたの中国語がいいですね。」と褒められています。その方がいいではないでしょうか。

英語なら受験、昇進のために勉強している方は多いですが、中国語は「話す」、つまり「会話」のために勉強するものです。競争社会の中国に育てられたせいか、私はよく「会話」のことを「戦」だと思っています。戦いだからこそ、「戦術」が練らなければいけません。特に初心者の方にとっては、単語の量が圧倒的少ないことで、心身とも非常に不利な状況に立ています。少ない弾でもうまく勝ち抜きするにはなおさら「戦術」が必要です。

だから、今までの英語式ような、インプット中心でかつOn-Deskの学習法ではなく、もっと早く対人会話の実践に立つべきだとだんだん思うようになりました。もちろん、それも大分時間経ってからの話です。オリジナルの学習法を練り始めたのが、2012年〜2016年早稲田在学中でした。最初、ただ発音を回避し、文法を練っただけです。それに追い次ぎ、単語も厳選。しかし最終的に、日本人の「会話」問題に辿り着き、自信が着くような話し方と模索…

2005年〜2009年日本語学習期
2007年〜2012年オーソドックス中国語教授期
2012〜2017年オリジナル中国語教授法を確立期

ということで、こんな経緯でHYOGA式が定着してきました。しかし残念ながら、HYOGA式どころか、一般大衆にとって中国語もまだまだ二の次以下なものです。だから、もし、いつか中国語の波が押してくる時があったら、その時、HYOGA式をシェアしてください。

ではでは、いつかまたどこかで。

陳氷雅

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?